作家の井上ひさしは、風邪をひくと芸能誌を枕元にうずたかく積んでそれを片端から読みながら、風邪が退散するのを待つそうです。
対して、ミステリ好きの丸谷才一は、「買つて来いスパイ小説風邪薬」(『七十句』立風書房)という句があるぐらいですから、やはり本を読みながら風邪を遣り過ごすのでしょう。
ぼくもつい先日風邪を引いてしまいまして、やはり床に臥しているあいだ読書を楽しみました。
そのときに読んだ本が、この『挨拶はたいへんだ』でした。
本書は、『挨拶はむづかしい』に続いて編まれた、丸谷才一のスピーチ集第2弾であり、単行本は2001年6月に朝日新聞社より刊行されています。
収録されたスピーチは、1985年に谷崎賞を受賞した村上春樹への祝辞に始まり、2000年のドナルド・キーンの喜寿の会での祝辞にいたる、祝辞、受賞者挨拶、乾杯の辞、弔辞、など慶弔取り混ぜて、49編を収録しています。
以前、文壇三大音声の持ち主といわれていたのが、他ならぬこの丸谷才一と、開高健、井上光晴の三氏でした。
他の二氏は残念ながら鬼籍に入りましたが、丸谷才一は依然として大音声ぶりが健在です。
なぜならば数年前に丸谷才一の講演を聞きにいった際、その話し振りがあまりに朗々としており、感歎した覚えがあるので、よく知っているのです。
丸谷のスピーチのいいところは、その作品と同様に、話の柄が大きいためにふくよかであることです。ちまちましたところが微塵もない。褒めるときには盛大に誉めそやす。これは褒めるときの鉄則でしょうね。それを忠実に実行している。ですから、聞いているほうも、自分のことではないのになんだか嬉しくなってくるのです。
先述の、話の柄が大きいというのは、文明論も絡めているということです。ですから、話に奥行きがでるのです。
“十代の少年であるわたしに最も情熱的に教へたのは、美と藝術が尊いといふことでした。それは人生において一番大事なもので、それに対して無関心であることは程度の低い恥しいことであり、ましてそれに敵対し対立することは野蛮なことでした。”
“もののあはれといふ言葉、これでもまだ遠慮した言ひ方なので、わからないため、折口信夫はもつとはつきりと、いろごのみといふ言葉を用ゐ、これこそ日本文学の精神だと言ひました。”
いずれも間然する所がありません。それを、照れずに真正面から話すところがいかにも丸谷らしい。
あるいは、高樹のぶ子への祝辞のなかで、“人生においてセックスが幅をきかせるにつれてロマンチック・ラヴ、恋愛といふものの有難みが薄れてきたのかもしれません”という指摘をしており、これは現今、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』などの純愛ものがヒットする状況を考える際に、有効な指針を与えるものとなっています。
恋愛といえば、結婚ですが、“結婚といふものを褒め讃へる名文句は非常に少ないんです。逆に結婚を悪く言ふ名セリフは非常に多い。これは面白いことです。こんなに悪く言はれながら、しかし、人間は昔から結婚といふ制度をつづけてきた。つまり、これがいちばん具合のいい仕掛けだつたんでせうね。そしてその良さは、洒落たこと、ひねくれたことを一言言ふのが商売である連中、つまり、文学者が何か言つて、その美点や長所を褒め讃へるのはどうも向いてゐない、さういふ良さであるらしい。米のめしとか、パンとか、水とかの味に似た良さらしい。”
じつに上手いことをおっしゃる。あまりに上手いことをいうので、真似をする人が出てくるのではないかと心配してしまうほどです。そうすると、これを言おうとした人の前でこれをやられたら、その人は頭の中が真っ白になってしまうでしょうね。
頭の中が真っ白といえば、養老孟司が丸谷才一との対談のおり、こんなことを言う。
「(略)女には青春といふものはありません。男の一生は、幼年、少年、青年、中年、老年といふ具合に分節化されているけれど、女の一生にはさういふことはなくて、彼女らは、ノツペラボウな人生を生きてゐるんです」
この発言をきいて、丸谷は頭の中を真っ白にさせてしまうのですが、それを聞いた吉行淳之介は「じつによく見てるな。女を知つてゐる人のセリフだ」とつぶやく。
ここを読んで、なるほど、達人というものはものの見方が違うものだわいと、妙に感心させられました。
なお、巻末に井上ひさしとの対談を併録し、花を添えています。
そこで丸谷が、“日本の政治家は、血統と金力と腕力、そういうもので政治をやると思ってるわけでしょう。ところが、近代デモクラシーは言葉の力でするものなんですよね。”というごく真っ当な意見を吐いています。
ですから、政治家のことを英語では(ジェンダー的には難のある呼称ですが)、statesmanと呼び、政治屋のことをpoliticianという蔑称で呼ぶのです。
いうまでもなく、この場合のstateとは、「表明する」という意味です。
※ご存じの通り、丸谷才一は歴史的仮名遣いで表記していますので、引用も原文通り歴史的仮名遣いにしました。なお、井上ひさしとの対談のみ、原文通り、現代仮名遣いです。