【箇所】2011年度夏学期 一橋大学 国際・公共政策大学院
【科目】行政学Ⅰ・基礎[2単位]
【担当】辻 琢也 教授
【テキスト】REINVENTING GOVERNMENT by David Osborne and Ted Gaebler(1992年)
『行政革命』野村隆〈徳島文理大学大学院〉教授[監修]高地高司[訳](日本能率協会マネジメントセンター、1995年)
序章と全11章からなるが、そのうち、第9章と第10章を採り上げた
第9章 分権化する行政 231-255頁
【改革の視角からみた本章のエッセンス】
「集権化された組織は不可欠だった」という前提の下に、伝統的なリーダーたちは、行政の問題を解決する際に「行政の核をさらに強化しようと」試みるが、本章で指摘する、より一層すぐれた解決法は、232頁下段にある「今日の世界では、公共組織で働いている人々が、自分で決定する権限をもつほうが、事態は簡潔にうまく機能する」というものである。
それは「分権化する行政」として、本章の表題となっていることからも容易に理解されるところである。このように、本章の精髄は、「分権」に他ならない。
分権志向により、伝統的なリーダーとは異なりアントルプルヌール型のそれは、問題の解決を図る際に、分権化のアプローチを採用し、多くの決定を顧客、地域社会、非政府組織などの「周辺」に委ねる。
このように分権化した組織には、どのような利点があるのだろうか。本章では、次の点を挙げており、それらは下記のとおりである。
1、柔軟性に富み、環境や顧客のニーズの変化に即座に対応できる
2、集権化された組織よりずっと能率的である
3、集権化した組織よりずっと革新的である
4、分権化された機関のほうが、勤労意欲、コミットメント、生産性が高い
こうした分権化のもっとも顕著な成功例として本章では、集権化が進んだ官僚組織の代表ともいえる国防総省での、クリーチ将軍によって行われた事例を挙げている。同将軍は次のように語っている。
「(勝因は)分権化だったと思う。わたしたちは権限を一番低い階層にも与え、しかもそれと平行して責任を引き受けてもらえるようにした。あらゆる階層に新しいリーダーシップの精神が芽生えたのが、よい結果を生んだのではないか、と思う」と。
それに対して、伝統的な管理者は権限を分散してしまったら、管理ができなくなると思い込んでいる、とクリーチはつけ加えている。しかし、事実はそれとは正反対なのだ。
その根源にある考えは、「人々は自分の思い通りに仕事ができるとき、懸命に働き、独創性を発揮するようになる」というものである。
そこで公共部門においてアントルプルヌール型政府をつくろうとする際、その管理者が最大の障害になると考えるのは、労働組合である。しかし、職員は「変化を起こすのに手を貸したいと思っている」という。なぜならば、「職員は職場が安定していれば、革新に対しがらりと態度を変えてくる」からである。
そこで、組合と協力体制を取るのに最適な方法は、非解雇方針を職員に認知させることだというのだ。
それよりむしろ、「参加型経営にとって一番激しい抵抗が出るのは、労働組合ではなく中間管理職の場合が多い」と、本章では指摘している。なぜならば、「従業員が決定し問題を解決すると、中間管理職の存在理由はなくなってしまう」と考えるからである。
ただ、「参加型組織を成功させるためには、職員やチームに権限を付与するだけでなく、保護しなければならない」ものであるし、その際の生産性は、「下から組み立てなくてはならない」ことは、これまで指摘してきたように当然のことである。
【本章における間違いの指摘】
232頁下段にある「公共組織で働いている人々が、自分で決定する権限をもつほうが、事態はうまく機能する」とする考え方それ自体を、評者は間違っているものと指摘するわけではないが、この記述において訂正すべき点は、その際、組織のミッションを示すことなく、自分で決定する権限をもつことをもっぱら強調することは誤りである、と指摘したい。
なぜならば、ミッションをその構成員に浸透させなければ、その組織は、折角かかげたミッションが顧みられることはなく、構成員によって当該組織が恣意的に運営されてしまう惧れが生じてしまうからである。
第10章 市場志向の行政 257-283頁
【改革の視角からみた本章のエッセンス】
公共機関は、以前とは異なり、現存しこれから発展していく市場の促進者、仲介者、種子的資本家として機能するようになってはきたものの、大企業がこの10年間で学んだほどには、学ぶことはなかった。それは、同機関が、官僚制下にあったからだと本章では指摘するのである。
共産主義の崩壊を例に出すまでもなく、行政システムより市場システムのほうがすぐれていることは、もはや明らかである。
行政よりすぐれていると指摘する、市場を構築する核となるものは、有効なサービスを提供する機能であり、公共部門を運営する官僚制とは正反対のものである。これは、管理計画に対する自由主義の要求や政府の市場介入を拒否する保守主義の要求に代わる第三の道なのであり、公共部門のテコ入れを利用して集団の目的を達成するため個々人の意思を具体化する方法である。これはアントルプルヌール型統治の古典的方法であり、官僚制の政治を利用しない積極的政府であるといえる。
ここで、行政による管理計画と市場とを比較すると、行政にはいくつもの欠陥があることを指摘することができる。それを列挙すると下記のとおりとなる。
1、計画は顧客ではなく有権者によって動かされる
2、計画は政策ではなく政治に左右される
3、計画は「縄張り」をつくり、公共機関はこの縄張りを是が非でも守ろうとするようになる
4、計画はバラバラのサービス提供システムをつくりやすい
5、計画には自己矯正力がない
6、計画が廃止されることはめったにない
7、計画は有益な影響を与えるのに必要な規模を達成することはほとんどない
8、計画はふつう刺激ではなく命令を利用する
以上指摘したが、じつはこれらの管理計画は、市場志向のものと代替可能なのである。
政府は誕生して以来現在に至るまで、問題を解決するために、絶えず市場のルールを変えてきた。そのためにには、さまざまな施策がとられてきたが、その一例を引くと下記のとおりとなる。
1、消費者への情報提供 2、需要の創出、または増加 3、民間部門の供給業者の仲立ち
4、市場のギャップを埋めるための市場機関創設 5、新しい市場部門形成の仲立ち
6、供給拡大のリスクを民間部門と共有 7、公共投資政策の変更
8、買い手と売り手の仲介者としての機能 9、税法を利用した価格設定
10、インパクト・フィーを利用した価格設定 11、利用料金による需要の管理
12、地域社会の建設
このように、さまざまな施策が挙げられるが、上記にあるような市場志向の施策を公共部門のシステムに応用すれば、素晴らしいことが達成できるであろう。すなわち、「制度の変化、競争、顧客の自由選択、結果に対する責任義務」である。
しかし、市場は情け容赦のない世界なので、地域社会への権限付与というもう一つの側面も強調しなければ、役に立つ行政とはなりえないことも指摘する。つまり、「アントルプルヌール型の行政機構が官僚的体質を脱ぎ捨てるとき、市場と地域社会の両面に取り組まなくてはならない」のである。
【本章における間違いの指摘】
1)260頁上段3行目からの「今日の政府にはわたしたちが必要とする健康医療、環境保護、職業訓練、育児のすべてを提供する余裕はない。考えることさえできない。」を指摘する。
これは、米国が低負担・低福祉の社会保障制度をとっており、それを自明視し、それ以外の社会保障制度、たとえば、北欧型の高負担・高福祉、あるいは、ヨーロッパ型の中負担・中福祉に興味すら抱かず、思考停止ゆえの記述と考える。
上で指摘した、高負担・高福祉の社会保障制度を米国が選択すれば、「わたしたちが必要とする健康医療、環境保護、職業訓練、育児のすべてを提供する」ことが可能となる、記述することも可能なのである。
2)272頁上段にある、「(前略)なぜかわたしたちは職場に行くためのフリーウエーのコストを近所の人に要求することにまったくうしろめたさを感じていない」との記述があるが、当たり前のことを、「なぜか」という副詞を用いて書く用法は明らかに間違っている。
なぜならば、有料道路(toll road)や高速道路(expressway)ならばともかく、「フリーウエーfreeway」(無料高速道路)なのだから、そこを通行しても通行料は一切請求されない。
つまり、公共財としてのフリーウエーを建設する際、その費用はすべて公金等によって賄われるため、「近所の人に要求することにまったくうしろめたさを感じていない」のは、いわば当然のことなのである。