『都市』第51号での「趣味燦燦」欄に掲載されたものを、転載して掲出いたしました。
趣味を広辞苑(第二版補訂版)で引くと、
1、感興をさそう状態。おもむき。
2、美的な感覚のもち方。このみ。
3、専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄。
と記されています。
いかにも、広辞苑らしい面白みに欠ける語釈ですね。そこで、新明解国語辞典(第七版)にお出ましを願うと、次のように記されています。
1、そのものを深く知ることによって味わえる、独特の良さ。
2、〔利益などを考えずに〕好きでしている物事。
3、〔選んだ物事や行動の傾向を通して知られる〕その人の好みの傾向。
わたしの場合、俳句はまさしく新明解国語辞典の語釈にあるとおりの趣味なのですが、小稿では、ジャズを採り上げます。
楽器は一切できないので、専ら聴くばかりです。聴くうちにわかってきたのですが、多くの方が指摘するように、ジャズとわたしの本来の職業である落語は親和性が高いのです。
どこが似ているのかといえば、どちらも、テーマをおさえれば、あとは自由というところです。たとえば、「千早振る」という落語がありますが、これは、ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは、を珍妙に解釈する噺というテーマをおさえれば、あとは演者の自由です。ジャズも同じで、同じ曲でも、プレイヤーによって全く異なる曲調となることがしばしばあります。
その際、双方で重視されるのが、即興性です。ジャズも落語もお客さんに左右される要素が、非常に大きく、会場に反応のよいお客さんが多ければ、演者は乗せられて、実力以上の力を発揮することがありますし、その逆となれば、惨憺たる結果と相成ります。
それは、俳句とも通じるところがあって、荻野雅彦が、「『孤独』ほど俳句にとって縁のない言葉はないのではないか」というように、落語もジャズも、そして俳句も、そこに「座」がもうけられなければ、面白味のないものとなってしまいます。