「小林信彦『名人 志ん生、そして志ん朝』(朝日新聞社)を読んで」
『一冊の本』(朝日新聞社)の今月号をもって、作家の小林信彦先生(以下、先生と略す)が連載していた「志ん生、そして志ん朝」が完結しました。早くも来月には『名人 志ん生、そして志ん朝』と改題されて上梓されますから、その折の再読を楽しみにしていますが、完結したので、バックナンバーが手許にないため雑駁なものとなるでしょうが、読後感を以下に記します。
まず、この六回目の連載で完結してしまうとは、あまりに早すぎるとの感が拭えません。
「なんだ、もう終わっちゃうの」てなもんです。特に、期待していた、先生が志ん朝師匠をどんなふうに思っていたのか、それに答えてくれる記述があまりに少なかったのが、残念でした。それは、今年九月十八日朝日新聞夕刊に、“世間は9・11で騒がしいが、ぼくにとって忘れられないのは、10・1―すなわち、古今亭志ん朝さんの命日である。“
と書いているほどの思い入れがある落語家なのですから、もっと踏み込んだ記述を期待したのも、ごく当然のことでしょう。
そもそも、志ん生師匠を語るときの、いかにも楽しげな伸び伸びとした筆致が、志ん朝師匠の段になると、すっかり影をひそめてしまうのです。それは、志ん朝師匠は先生よりも年少であり、志ん生師匠は没してから三十年近くたっているのに較べ、志ん朝師匠は逝ってまだ一年しか経ていないことが、何よりも大きな影響を与えているものと思われます。
あるいは、けっして楽屋を訪ねようとはせず、東京人らしい節度をもって接した先生が、志ん朝師匠への過度の思い入れを韜晦するために、その筆致を開放しなかったからなのかもしれません。それがために、名古屋の大須演芸場で平成二年から始めた三夜連続の独演会を、先生は平成七年から最終回の平成十一年まで、五年続けてホテルに泊まって通い詰めるのですが、その感想を、のびのびと演じているのがなによりも良かった、と付言するものの“よござんしたね”の一言で表現します。
ただ、それだけではやはり意を尽くせないものがあったようで、後段に“ぼくは名古屋で〈東京言葉の、美しい、完璧なアクセント、イントネーション、間で、観客を別な空間につれてゆき、幸せにする〉円熟した志ん朝落語に浸った“と述懐するのを忘れません。そして、そこに“昔の寄席”を発見するのです。
もうひとつ是非とも付け加えたいのが、表題にしている志ん生志ん朝両師匠への深い敬愛の情は言わずもがなのことですが、先代馬生師匠を先生が高く評価していることです。
小稿の終わりに、先生がこの連載の最後に記した言葉を転載させていただきます。
“〈粋〉は遠くなった。そして、その幻想を描ける人も消えたのである。”この「人」とはいうまでもなく、志ん朝師匠のことです。