高度経済成長が終了する以前、たとえば東京オリンピックが開かれた昭和三十九年の日本は、まだ、戦前に連なる光景を至るところで見出すことができました。昭和三十四年生まれのぼくは井戸を、ごく自然に使っていたように。
戦前と、大正や明治は、すでにして多くの違いが随所に見出せたのでしょうが、また多くのものも共有していたのではないでしょうか。そして、明治と江戸時代とは、これまた文明開化を経ているとはいえ、庶民の生活のうえでは、まだ江戸の残滓を当然のこと、多く含んでいたはずです。
ならば、昭和三十年代の庶民の生活は、それ以前に比較すれば、電気器具の普及に伴って驚異的に利便性が向上したとはいえ、江戸時代の尻尾をほんの僅かながらも確実に、留めていたといっても、あながち言い過ぎではないとぼくは思っているのです。
そんなぼくでも、へっついやら水がめとなると、実生活で使ったことは、ついぞありませんでした。ならば、昭和の末期から平成にかけて生まれた人たちが、そろそろ落語に興味を示し始める年頃になった今日において、どれだけ古典落語で描かれた庶民の生活を分かってくださるものか、はなはだ心許ないのも、ムベなる哉でしょう。
それに果敢にもチャレンジしたのが、大阪の落語作家小佐田定雄先生のお弟子さん、くまざわあかねさんです。
なんとなんと昭和十年当時の生活を、昨年の四月十日から一ヶ月間にわたって、大阪下町で繰り広げたのです。その顛末を記したのが、平凡社から刊行された『落語的生活ことはじめ』なのです。
昭和十年当時の生活とは、普段は着物で過ごし、六畳間を照らすのは四十ワットの電球ひとつに頼り、ご飯は釜で炊き、携帯電話はもちろん、自室に電話を引かず、暖は火鉢で取り、銀行でお金を下ろすときもATMではなく窓口を通し、冷蔵庫は用いず、原稿に字を書くのでも硯で墨をすり、和紙に筆でしたため、その和紙を綴じるときもホチキスは用いず紐を通し、鰹節は削り器で削り、マスコミ情報源は新聞とNHKラジオに限り、汚れた衣類は洗濯板でごしごし洗い、風邪の前触れでも栄養ドリンクは飲まず葛根湯で済まし、表札を貼るのでもセロテープはないのでご飯粒で代用し、風呂は当然銭湯を利用し、洗髪ではシャンプーリンスは用いず石鹸で我慢し、リンスの効果を得るために大島椿油を用い、バスタオルはもちろんタオルも使わず手拭いで身体を拭き、食パンのトーストは炭火を用い、本も古典のみを収録した東洋文庫(ちなみに版元は同じ平凡社、気を遣ってますな)と新派のものしか読まず、といった具合です。
それをなんか言う奴がいたら、桂米朝師匠が書いたように「やってみい」と言いたい。