町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「民族芸能」vol.96らん丈の、我ら落語家群像

2003.03.01(土)

 落語家はひとりの例外もなく、師匠への弟子入りが許されることによって、入門が果たされます。そう、まさしく門に入るのです。そうして、師匠を同じくする兄弟弟子によって、一門が作られていきます。

 面白いもので、数多(あまた)いる噺家のなかから、同じ大先達を師匠と仰ぐのですから、どこか似たところがあるのでしょう。まさに、類は友を呼ぶのです。そうして、師匠を同じくするものは、おなじ釜の飯を食っているうちに、その一門の芸風を作っていきます。

 たとえば、どなた様でも、寄席に行くとそれとなく、一門によって芸に違いがあることに気づかれることでしょう。それが、芸風です。

 ぼくは素人時分、柳家は質実剛健、陽気な三平一門、かっちりとした圓生一門、といった具合に認識していました。この世界に入ってみると、どこの世界にも例外はあるものだと、再認識させられましたが。

 芸風でたとえれば、入船亭はさしずめ春風駘蕩といったところでしょうか。ほのぼのとした扇橋師匠のもと、この一門に悠揚迫らぬ印象を持つのは、なにもぼくひとりに限ったことではないでしょう。

 その一門にして、すでに四年前、幽明境を異にした扇蔵師匠のお兄様、広藤明人氏から過日、『扇蔵落とし文』と題する遺文集が送られてきました。

 平成十一年五月に旅発った扇蔵兄さんはこんなプレゼントを、四年後の春、我々にもたらしてくれたのです。

 こういってはなんですが、小さん師匠や志ん朝師匠のご遺族や一門が遺文集を出しても、特段驚くにはあたりませんが、扇蔵兄さんの遺文集です。懐かしみつつ、ページを繰っていくうちに、泉下の扇蔵兄さんが羨ましくてならなくなったのでした。

 噺家になろうと決めてから一年経って、ようようのことで、高校生の頃から憧れの的であった扇橋師匠に、御徒町駅から鈴本演芸場に向かう途中で我知らず声をかけていた広藤青年は、実に相応しい一門に弟子入りしたものだと、羨望の念を禁じ得なかったのです。

 その思いは、扇橋師匠による「扇蔵の真打昇進に際して」から始まる同遺文集のなかでも、扇蔵兄さんの手になる「扇橋一門概説」を経て、一門の兄弟弟子による「扇てい・扇太・扇蔵の思い出」に至り、クライマックスを迎えるのです。

 たしかに、扇好さんが書いているように、弟子入りするものは師匠は選べても、兄弟弟子は選べません。けれど、まるで天の配剤であるかのように、その一門へと吸い込まれるごとく、人は弟子入りするもののようです。その何よりの証左が他ならぬ、扇蔵師匠その人なのです。最後に師の句を、掲示します。

 秋霜に濡れて木立は闇に消ゆ