町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「民族芸能」vol.100らん丈の、我ら落語家群像

2003.07.01(火)

 面白い本を読みました。

 上方落語界の重鎮、桂米朝師匠と、「本質的に人を笑わせたいという欲求がある」作家、筒井康隆との、あわせて九時間にもおよぶ対談をまとめた、その名も『対談笑いの世界』(朝日新聞社)がそれです。

 筒井康隆といえば、ぼくらの世代で笑いとSFに興味を持ったものにとっては、神格化された存在ですし、米朝師匠に至っては、もはや芸界の生き字引といってもいいでしょう。

 そのお二人が対談したのですから、その内容がつまらないわけがありません。

 話題は尽きることなく泉が溢れるばかりに次から次へと止め処もなくひろがり、寄席芸はともかく「一人あげえと言われると」と最も影響を受けたと米朝師匠が告白するチャップリンから、マルクス兄弟、エンタツ・アチャコというすでに歴史上の芸人から、桂三枝師匠に至るまでよくこれだけ覚えているものだと、お二人の記憶力にはただただ、感心するばかり。

 この対談でお二人が触れていたおかげで思い出しましたが、ぼくは高校二年生の夏休み、SF好きの友人と二人で、当時筒井康隆が住んでいた神戸で二日間にわたって開かれた日本SF大会に参加するために、わざわざ東京から神戸まで泊りがけで行き、そこで米朝師匠の「地獄八景亡者戯」を初めて聞いたのでした。

 今思えば、よくまぁ米朝師匠の落語を聴くために神戸まで繰り出したものだと、あきれてしまいますが。

 この対談でも触れており、我々落語家はみな痛いほどよく知っているのですが、医者、警官、学校の先生の団体、これらは見事に落語を聴きません。それは、全員とはいいませんが、その多くが、笑いを理解する受容器が欠如しているからなのではないでしょうか。

 なかでも彼らが苦手とするのが、ナンセンスな笑いです。たとえば、筒井康隆がつくった童謡のパロディ「犬やこんこん、猫やこんこん、降っても降ってもまだ降りやまぬ」これをきいて、前述の団体さんのうち、果たしてどれほどの人たちが笑ってくださることか。

 あるいは、「トンネルを抜け出て、トンネルに入る僅かの間に見える谷間の村。列車の乗客にとっては五秒の村。村の歴史は千五百年」これを聞いた米朝師匠は「ええなあ。それだけのもん作るのは、ほんとになまやさしいこっちゃないですよ」と受けますが、これが、分かる人には腹を抱えて笑うほどに面白いのですが、分からない人には、なんだかちっとも面白くないことでしょう。

 日本は戦後、経済一流、政治は三流でやってきましたが、経済がこんなになってしまった今日、文化、なかでも笑いは一流、日本に行けば面白いものが見られる、と世界中の人に思わせる道を歩むべきではないでしょうか。