今月十一月は、よその国のことは存じませんが、日本に限れば、一年中で最も結婚式の多い月だそうです。
なるほど、暑からず寒からず、国民の祝日も二日ありますから、休日にも恵まれ、結婚式が多いのも納得できます。
そして、いまや結婚式だけで披露宴は開かないというのは、稀なカップルでしょう。
その披露宴の司会を、大御所ならばいざ知らず若手の落語家でありながら、一度もしたことがないというのもまた、かなり珍しい存在です。告別式の司会を頼まれたことはありませんが、ぼくも披露宴の司会は、特に二ツ目の時分にはよくさせていただいたものです。
司会というものは、慣れればさほど忙しいものではありません。といって、まさか読書にふけるというわけにもいかないので、いかにも仕事に励んでいるそぶりを装い、会場を見渡しながら、どこかにネタが転がってはいないかと鵜の目鷹の目で見ることになります。
そこで分からないのが、最近はさすがに減りましたがそれでもたまに見かける、新婦の手紙に涙する父親の姿です。たしかに、手塩にかけて育てた大事な娘がどこの馬の骨とも知れない男にさらわれるようにして、かどわかされるのですから、父親としては涙にくれるのも分からないではありません。なのに、あれほど嘆き悲しんだお父さんではありますが、一旦嫁がせるとあとは恬淡としたものでして、「オレオレ詐欺」で犠牲になるのは母親であって、「ワタシワタシ詐欺」に引っかかる父親の存在は聞いたことがありません。
そして何よりの楽しみは、場内にいらっしゃる女性に眼を遣ると、眼福にあずかる機会が増えたことです。というのも、最近の女性はじつにお綺麗な方がたくさんいらっしゃる。
すると、あれはどういうわけか、新婦とその友人の美人度には相関関係があることに、気づかされるのです。つまり、新婦が美人だとその友人にも美人が多いことが、往々にしてあるように思うのです。これは、類を以て集まる、ということでしょうか。
いずれにしろそれは、実際に日本人の女性がどんどん美しくなっているからなのか、それとも、化粧術が進化しているからなのかは分かりませんが、男性の一人として、ご同慶のいたりです。
それが証拠に、先日披露宴でご一緒したカメラマンの方にうかがうと、「ほんと、新婦を撮りながら、新郎が羨ましくてねぇ。ファインダーを覗きながら溜息をつくことがありますよ」とおっしゃっていましたから。
ですから、思わず見惚れてしまうような美人に行きあった場合、じっと見つめてしまうことがあると、ある女性の芸人に話したところ、「そうですか。あたしだったら、じっと見つめられたら、なにか顔についてるんじゃないかと心配で鏡を見ます」といってました。