今日の日本には、自衛隊のイラクへの派遣を始めとして問題が山積していますが、なかでも景気の低迷は深刻の度を増しています。
落語界では古くから不景気になると手近な娯楽ということで、寄席が流行るといわれていましたが、実際にこのように不景気になっても、「手近な娯楽」が往時に比べて飛躍的に増えた結果でしょうか、どうもそうではないらしいということが分かってしまいました。
さて、その寄席ですが、われわれ落語家にとっては、先ず何よりも修業としての場になります。師匠への入門を許され、見習い期間を終えると、前座として寄席に配属されます。そこで、落語家としての素養を身に備えるべく修業するのです。
さきほど触れた、景気の低迷がもたらす弊害のひとつに、失業問題があります。それは、年齢階層別に問題の様相が異なりますが、ノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツはその著書『マクロ経済学』(藪下史郎他訳)のなかで、「技術的能力であれ、責任感や時間厳守といった仕事の基本的な心構えであれ、職業上の熟練度を向上させるためには、仕事に就くこと自体が必要」と指摘しています。
その言い方をすれば、正しく寄席は、落語家が「職業上の熟練度を向上させるために」なくてはならない場所なのです。
その寄席の中でも、上野の鈴本演芸場は、林家彦六師匠が「上野の寄席は、落語家にとっては歌舞伎役者の歌舞伎座といっても好い、晴れの大舞台」と称せられています。その寄席が、ご存知のようにさる十一月二五日早朝、寄席が入る鈴本ビル五階の出火により、年内の興行が出来なくなってしまいました。
これは、年末年始の書き入れ時に営業が出来なくなったという痛手はもとより、何よりも本来楽しかるべき場所である寄席で犠牲者を出してしまったという悲劇を生み出し、また、落語家にとっては寄る辺ともいうべき寄席が、たとえ短期間にせよ、なくなってしまったという損失を意味します。
これは親と同じように、万が一のことがあってやっとその有難さが分かるようなもので、たとえ僅かの間でも寄席が一軒休んだだけで、それはボディブローのように、落語界には将来的に効いて来るのではないでしょうか。
もちろん鈴本演芸場は、間もなく営業を再開するでしょうし、そうすれば、以前と同じようにお客様がお入りくださることでしょう。それを疑う者ではありませんが、こうなって初めて、落語家にとって寄席の存在がいかに重要なものであるかが、再認識させられたのでした。
平和と同じく寄席というものも、それは空気のようにただ存在するものではなく、我々当事者が慈しみ、かけがえのないものとして盛り立てなければならないものだということが、改めて痛いほどよく分かったのでした。