遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。小稿においても、もう何度も触れてきたので今更ながらとは思いますが、今号は一月発行なので、落語家にとっては特別な意味を持つ、元日に始まる初席での出来事を記します。
それは、今年の初席二日目、つまり一月二日でのことでした。
始めに申し上げますが、ふだんでも着物で通している噺家はいまやごく稀にしかいないことをまずはご承知置き下さい。それでも正月はさすがに別で、元日はもちろんのこと、三箇日は先ず大抵の噺家が、その勢いで中日(五日目)ぐらいまでは多くの噺家が、着物で外出します。
けれど、ごくたまに三箇日でも洋服で楽屋入りする噺家がいるのです。
そのごく少ない噺家の一人が他ならぬ、私なのです。私にしろ、一応噺家の端くれですから、せめて三箇日ぐらいは着物で過ごしたいとは思うのです。けれど、それをかなわなくさせているのが、唐突で誠に恐れ入りますが、便意なのです。
着物、袴をつけたまま便意を満たせるほど、私は器用ではないのです。朝一番にコトを済ませ、あとはそのおそれがまったくないという、極めて規則正しいお通じがある方ならば、着物を着てもさほどの痛痒は感じないでしょうが、ぼくはそういうわけには行かないのです。出し抜け、これが大半というのでは、着物で一日を過ごすのは、なにかと不都合がありすぎます。
けれど人様は、ひとのおなかの具合までは推し測れません。ですから、二日目の浅草演芸ホールの高座袖で、林家こぶ平師と会うと、どうしてお正月なのに着物を着ていないのと言う意味で挨拶もそこそこに、「ダメだよ、着物着なきゃ」というお言葉。「すいません。トイレが近いもんで」とはさすがに言いかねました。
この、こぶ平師の意見はごくまっとうです。けれど”出物腫物ところ嫌わず”という言葉もありますし、着物も大事ですが、腹具合にはかないません。
思えば、江戸時代以前はもとより、昭和の初期までは、日本人たるもの普段着として着物を着るのはごく当たり前のことでした。ですからその頃、彼らは着物袴を着用したまま、どのようにして、用を足していたのか、とても気になるのです。
司馬遼太郎に『翔ぶが如く』という長編小説がありますが、その冒頭に、便意に抗しかねて汽車の中で脱糞をするシーンがあります。まさか、皆そのようにして用を足していたとは思えませんが、袴まで着用していた方はどのようにしてことを済ませていたのでしょう。
つくづく昭和の後半に生を享けてよかったと思う、初席での出来事だったのでした。