いつまでも人気の衰えない小説家というものがいるもので、日本では近代以降に限っても夏目漱石、太宰治、最近では村上春樹に至るまで、じつにたくさんいますが、なかで江戸川乱歩は没してから四十年も経とうというのに、一種独特の光彩を放ち続けています。
「幻影城」と聞くと、怪しいトキメキを抱く方が今でも少なからずいらっしゃると思いますが、探偵小説専門誌の名称であり、由来は池袋の江戸川乱歩邸敷地内にある書庫=土蔵がそのように呼ばれていたからだそうです。
それが、ご遺族から隣接する立教大学に委ねられたのを機に、立教大学創立百三十周年記念行事の一環として、立教の講師を勤めている鈴々舎馬桜師匠と、池袋に古くから住んでいる三遊亭圓窓師匠の両師匠が中心となり、乱歩作品を落語化して池袋演芸場の中席で口演されました。そこに立教卒業の落語家というご縁で、らん丈も出演させて頂きました。
その千秋楽、トリを勤めた圓窓師匠の肝煎りで打ち上げの宴が、立教の渡辺憲司教授をお迎えして開かれたのですが、その座る位置を決めるさなか、馬桜師匠のいった科白が妙に胸に沁みました。
それは、「吉っちゃん(三遊亭吉窓師、圓窓師匠の総領弟子)は、そこじゃない方がいいだろう」というものです。
つまり、圓窓師匠の隣しか席が空いていなくて、そこに吉窓師が座ろうとしたときの科白が先述の言葉なのです。
馬桜師は、そこにいる咄家をぐるっと見渡して、「みんな身に覚えがあるだろう」と続けたのです。
結局、「あたしはここがいいですよ」といって何事もなかったかのように、吉窓師は師匠である圓窓師匠の隣に座ったのですがたしかに、馬桜師がおっしゃるとおりなのです。
ここは部外者には分かりにくいところなのですが、落語会の打ち上げで師弟は余り近すぎず、といって離れすぎてもいないところに座るのがよく見られる光景です。
これには様々な理由がありますが、先ずお客様を師匠の近くに座らせるという原則があります。それはそうでしょう。師匠を目当てに落語会に来てくださったのですから、打ち上げでも師匠と話したいと言うのが自然ですから。
ほかには、面白いもので種々の咄家が集まると打ち上げには一門で固まらないという不文律が、理由として挙げられます。
こういうところが部外者には分かりにくいでしょうが、そうなんですね。たいていの場合、見事にばらけます。
その理由ですか。それは色々あって一概には言えませんね。ただ基本的には、師匠は選べますが、兄弟弟子は選べない、というドグマをここで思い浮かべていただくとよろしいかと思いますが。