今日(8月26日)、民主党幹事長の菅直人代議士が、来月23日に行われる民主党代表選挙へのサポーター獲得のための遊説を町田駅頭で行う、とのアナウンスを聞いたので、物見遊山がてら駆けつけました。
午後6時から、民主党の地元議員が入れ替わり立ち代り演説をし、菅幹事長が来るのをつなぎ、いよいよ御当人は6時27分に登壇しました。
聴衆は、民主党のことですから、その大半はおおかた組合に動員をかけて集めたのでしょうが、ほぼ200人ほどいたでしょうか。
菅幹事長が登壇すると、スポットライトに灯が入り、いやがうえにも雰囲気は高まりました。ぼくはテレビでなら何度も菅代議士の街頭演説を、断片的にではありますが、見聞きしたことはあります。その代議士が、すぐ目の前でマイクを握ったのですから、さて、どんなことを言うのか、ぼくは固唾を呑んで、発せられる言葉を一語も聞き流すまいと聞き耳を立てたのです。
およそ、30分にわたる演説を拝聴し、今さらながら「議員というのは、偉いものだ」と深く感心させられたのです。
なにしろ、30分もの間、聴衆は街頭で立って聞いているのです。芸人ならば、聴衆を前にすれば、その方々に喜んでいただきたいばかりに、それこそ身を粉にし、死に物狂いでエンターテインします。
ところが、菅代議士は、テレビで話していることばかりを、なんらこの日のために、新しいことを織り込むわけではなく、淡々と、話し続けるばかり。政治家は芸人ではないのですから、もちろん聴衆を喜ばせる義務を負ってはいません。けれど、菅代議士ほどのキャリアを積んだ政治家をマスコミは放ってはおかず、つねにその言動はマスコミが報じています。ですから、街頭で足をわざわざ止めて演説を聴こうという聴衆=菅代議士に好印象を持っている聴衆に向かって、すでに報道されていることを話しても、「それ前に聞いたよ。今日は、もっと違うことを話してくれ」と期待している聴衆を満足させることは出来ないのです。テレビでは言えないようなvividな発言を聴衆は聞きたいのです。その切ない願いをこめつつ、遊説を聞いたのですが、菅幹事長は、その願いを無残にもかなえてはくれず、すでにマスコミを通じて既知のことばかり、話すのです。
あるいは、ユウモアにとんだ気の利いたことを織り込むわけではなく、うんざりするほどに淡々とお話になるから、もちろん聴衆は盛り上がりません。
そこで強く思ったのです。議員というものは、つまらないことを30分も延々と話すことが出来る一種特別な能力を有した者だけがなれ、才能あふれる者のみが就くことが出来る特別職だ、という感想をもったのでした。
教師があんな講義をすれば、学生から総スカンを食うでしょうし、芸人ならば、いっぺんで永遠にお呼びがかからなくなってしまう、その程度のことを30分も延々と話すことができるというのは、これはもう敬服に値する才能です。
こんなことを書くと、ぼくが民主党や菅幹事長にあまり好い印象を持ってはいないのではないかと、疑われそうなので、敢えて書きますが、ぼくは民主党に投票をしたことがあるぐらいですから、大いに期待しているのです。
そもそもアテネに民主制が始まったときから、政治にとって最も大事なものは「言葉」でした。近くは、昭和15年、日中戦争の泥沼化に伴う戦争指導の混迷を批判し、ときの軍部に追随する議会によって除名された、斎藤隆夫を持ち出すまでもなく、政治家にとってその生命線は「言葉」です。ですから、国会の会期末に今や半ばデモンストレーションのように提出される内閣不信任決議案で、野党党首が力の限り魂のこもった言葉を発することができれば、与党の何人かの賛成を得ることができ、内閣を転覆させることが出来る、そんな言葉を操る政治家を待望するぼくは、単なる理想主義者に過ぎないのでしょうか。
ご存知のように、政権は拮抗する政党同士のダイナミックな争奪戦により、勝ちあがったもののみが担うことが出来るのです。
ですからぼくは、自民党連立政党による与党体制を一日も早く崩壊させることを、民主党に期待しているのです。自民党が立派な政党だとは毛頭思いませんが、どんな政党でも、長期間にわたって政権を担えば、当然弊害のほうが、多く露呈してしまうものなのです。
戦後、政界では長らく55年体制が続き、1993年にいったんは細川内閣が出来、非自民・非共産政権ができたものの、当時の社会党委員長村山富市を首班に、自民・社会・さきがけ3党による連立政権で再び自民党を中心とする政権が復活したことが、どれほど現在の政界に大きな禍根を残したことかは、皆さんよくご存知の通りです。
政権は適度に変わらなければ、政治は決してよくはならないのです。この常識を実現させるためにも、野党第一党である民主党にはもっと大きな勢力となっていただきたいのです。
なのに、本日朝刊の朝日新聞の世論調査(24,25日電話調査)結果をみても、自民党の支持率が29パーセントなのに比して、民主党のそれは若干8パーセントしかないのです。これではあまりにお粗末といわざるを得ません。
それを挽回するためにも、次期代表には画期的な人事を望むものです。