2002年12月13日(金)、横浜市青葉区役所で開かれた、町沢静夫先生による講演会《ひきこもりを考える》に参加しました。
町沢先生は、大学教授も勤める精神科医でありながら、大学や病院の枠にとどまることなく、マスコミや論壇で広く活躍していることは、皆さんよくご存知のことと思います。おそらく、今日の日本で最も有名な精神科医の一人ではないでしょうか。
当日も、平日の午後2時からという時間帯にもかかわらず、200人もの聴衆が集まったでしょうか。寄席の関係者ならばだれもが羨む、大変な盛況ぶりでした。
ぼくは、らん丈HPプロフィールにある通り、2000〜02年にわたって立教大学に在学したのですが、その際、コミュニティ福祉学部の名物教授、町沢先生の担当科目(「精神医学」や「パーソナリティ論」)を受講したかったのです。けれど、経済学部の学科と重なってしまい、結局一科目も受講できなかったのは、いまにいたるも残念に思っていたところだったので、今回の講演会には勇躍参加したのでした。
講演会に参加して、何よりも思ったのは、町沢先生の講演の面白さと聴衆から先生へ発した、その質問の真剣さでした。
講演内容は、表題にあるとおり、現在の日本にいかにひきこもりが増殖しているかというところから、始まりました。ひきこもりは、厚生労働省の統計では20万人となっているそうですが、町沢先生の実感では80万人にも達しており、その80パーセントは男性だそうです。きっかけは、不登校によるものが多く、中学校は義務教育なので卒業できるものの、高校進学後、中退してひきこもりになる。あるいは、大学進学後留年を繰り返し、ひきこもりになる。あるいは就職後、出社拒否を起こし、そのままひきこもりになるなど、ライフステージのあらゆる段階において発生する可能性があるのだ、といいます。
では、ひきこもりの過半数をどうして男性が占めてしまう現実があるのか。それは、母子のあまりに強い密着、(それを町沢先生は母子カプセルと命名していました)に原因があると、指摘していました。
つまり戦後の家庭は、地方から都会へ人口が流入し、都市では少子化に伴い核家族化が進み、就業人口は第2次及び第3次産業への移動が起こった結果、サラリーマン家庭が激増し、給料は銀行口座に振り込まれることで、母親による家計の出納権の奪取が達成され、哀れにも父権は喪失し、それと反比例し、母権が強大化し、付随して子どもの権利も強まり、いまや父親の権威は地に堕ち、ペットや家具以下となってしまった現状があります。
その結果、エディプスコンプレックスを発揮することなく、子どもはやすやすと母親を独占することができるようになった。そうして、母子カプセルが出来上がったというのです。
そこで、町沢先生が提唱するのが、”男性よ、もっと強くなれ”運動です。家庭内では、女性はすでにして、強いのです。これ以上強くなってどうしようというのでしょうか。むしろ、今は男性こそ強くならなければ、ならないのです。そうして、母子カプセルを壊し、家庭内で父親の復権を果たさなければ、母親に保護された息子はいつまでも自立できず、ひきこもったあげく、健全な対人関係を築くことができなくなるというのです。
あるいは、成熟化の遅れた今の日本人にも触れます。いつのころからか、日本人は成熟するのに時間がかかるようになったといわれています。一昔前は、8掛けで明治時代と同じ年齢になるといわれたものです。つまり、20歳ならば0.8をかけて16歳。20歳で成人となるならば、25歳にして、ようやく成人式を迎えることができるというのですが、いまや40歳にして成人になるというのです。なるほど、そういわれてみれば、最近あきれるほどに「出来ちゃった婚」が増えてきたのも、ここにその原因の一半が見出せるのかもしれません。
あるいは、ひきこもる子がのめりこむのが、インターネットにおけるチャットです。その内容は、あきれるほどに陰湿で暴力的で破壊的なのです。匿名性を隠れ蓑に、勝つためには完膚なきまでに相手を叩きのめすものの、負けた場合は、一層ひきこもってしまうのだといいます。
講演の後は、質疑応答がありました。この日の講演会は質疑応答を含めて午後4時にすべて終了する予定だったのですが、講演それ自体ですでに4時を回っていたのにもかかわらず、その後、町沢先生は20分にもわたって、参加者の質疑に応じてくださったのでした。
そこで質問したのが男性ばかりだったのが、先ほどの講演内容と符合しているかのようで、ぼくには大層興味深く思われたのでした。
その内容がまた、先生の論を補強するかのように、過度に干渉する母親からどうやったら自立できるかという方の、なんと多かったことでしょう。
まさに”母強くして、国滅ぼす”の感が、ありました。でもなぁ、我が家のことでいえば、これはもう完全なる女性上位社会です。何が怖いといって世の中に、wifeほど怖いものはありません。いまのところ我が家に子どもはいませんが、もしも出来たら、それこそ父親のいるべきところはなくなってしまうでしょうね。
もうひとつ、講演を聴いての感想を付け加えるならば、先生の講演は面白すぎるのが難点でした。これじゃ、落語家の立場がなくなるというものです。