毎年、多くの学生が大学を卒業しますが、そのうちの多くを占めるのは、法学・経済学・商学等の社会科学系学部だと思われます。
以前はそれぞれの学部を卒業すると、法学士、経済学士、商学士という学位が授与されましたが、いまはただ学士とのみ記され、そのあとに(法学)、(経済学)、(商学)と記名されます。
さて、いまどきの経済学部を卒業したからといって、その学位にどれほどの価値があるのか。個人差はあるもののその大半に、世評でいわれている通り大きな価値を見出すことは難しいのではないでしょうか。
実際2001年に、ある大学の経済学部を卒業した学士さんに、「今の日本のような、モノの値段が下落するデフレ状態のもとでは、お金(=貨幣)の価値がどうなるか分かるよね」と問うと、「下がる?」と不安げに答えた方がいたほどですから。
それでもわれわれは、否応なく経済(学)と関わりながら、日々の暮らしを営んでいます。たとえば、取引先の金融機関や企業がいつ倒産の憂き目を見るかもしれませんし、それどころか、勤務先の会社にしたところで定年まで現状を維持できるのか、もっといえば、定年という制度すら、将来はどうなるか分からないのが今の日本の置かれた経済状況です。
そんなときに頼りにするのが、エコノミストの意見ではないでしょうか。なにしろ、エコノミストといえば、経済の専門家なのですから。
たとえば、あるエコノミストが、これからは、景気がよくなり株価が上昇するといえば、株をもう少し持っていようとなるでしょうし、あるいは、買い足すかもしれません。
その逆ならば、持ち株を売ることでしょう。
ただし、エコノミストはあまりに多いのです。はたして、誰が信用に値するのか。経済学部を卒業したぐらいでは、到底、エコノミストの真贋を見定めることができないのが、日本の学士(経済学)の実力ではないでしょうか。たとえばデフレ下で、「おカネの価値が下がる」と答えるような人では、どのエコノミストが間違ったことを言っているか、その判断は容易にはつかないことでしょう。
そんな方にうってつけなのが、本書です。著者の東谷暁は、今や自らも認めるように「経済評論家評論家」として名を成しましたが、本書は、『誰が日本経済を救えるのか!』(日本実業出版社)に次いで刊行した「経済評論家評論集」です。
本書では40人余りのエコノミストを俎上に載せており、それぞれの発言や主張がグラフ化され、採点までされているのです。
それを読むと、いかにエコノミストの発言にはぶれがあるか、それが、一目瞭然となります。
これは、他の評論家集団では、ほとんど考えられないことです。
たとえば、映画評論家を考えてみましょう。ある映画を熱心に褒めたかと思うと、次には、その映画を口を極めて謗る、そんなことはプロとして許されはしませんし、だれもそんなことはしません。
しかしエコノミストの場合は、自らの主張の転換、変更はごくありふれた日常の光景にしか過ぎないのです。
どうしてそんなことができるのか。「経済は生きもの」と一言のもとに片付けられてしまうのですが、そのエコノミストを信用していた者は、いい迷惑です。
どのエコノミストにしろ、よって立つところ(=発言の淵源を形成した学問的裏づけ)があるのですから、それを見極めておくことが重要なことになりますが、経済学の基本的なことを知らないと、発言の淵源をたどることができません。
卑近な例で恐れ入りますが、落語を例に取れば、同じ『湯屋番』という噺でも、その舞台の湯屋が、わが三遊派は「桜湯」、対して柳派は「奴湯」という具合に、違いがあります。
湯屋の名前ならば、どんな名前であろうといいようなものですが、経済学の場合は、そうはいきません。
たとえば、構造改革派と秩序維持派では、日本の経済に対する認識がまるで異なりますが、その両極端な2派の間をいったりきたりしたのが、日本の経済財政政策でした。
その結果、1990年代の10年を「失われた10年」といわれてしまうのです。
面白かったのは、「日本のエコノミストはしばしば政府の政策を激しく批判するが、検討してみると政府が打ち出した方針に従順だという」くだりでした。
なるほど、「政府が何か新しい施策を打ち出すと、先を争ってその宣伝に努め、その結果を先取りするような発言が横行するようにな」っていますから。
また、今流行の「インフレ・ターゲット論」について、著者は「本当の効果が証明されていない学説で、ここまで盛り上がりをみたのは、20世紀初頭のマルクス経済学研究者がロシア革命やドイツ革命の開始をきいたときぐらいだろう」と、一刀のもとに断じています。
なお、終章にある40人のエコノミスト採点で、最高得点を獲得しているのは、野口悠紀雄(青山学院大大学院教授・2005年度から早大大学院教授)、池尾和人(慶大教授)の2人であり、最低得点者は3人いましたが、それはご自分でお確かめ下さいますように。
ちなみにわたしが最もシンパシーを覚えるエコノミストは、神野直彦(東大教授)ですが、さて、それもいつまで続くか、心許なくもあります。