町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

慶應義塾大学 文学部専門教育科目「社会学史Ⅱ」大学での活動

2019.03.05(火)

【箇所】慶應義塾大学 文学部専門教育科目≪通信授業≫
【科目】社会学史Ⅱ[市販書採用科目][2単位]
【問題】➀テキスト(徳永恂、厚東洋輔 編『人間ウェーバー』有斐閣)を通読したうえで、➁テキストの末尾にある「読書案内」の「Ⅰウェーバーの主要著作」に挙げられている文献のなかから(以下、略)。
【分量】4,000字以内
【添削教員】浜 日出夫〈慶應義塾大学 文学部〉教授

「社会学史Ⅱ」

➀ 徳永 恂・厚東 洋輔編『人間ウェーバー』人と政治と学問(有斐閣)

②『職業としての政治』脇 圭平 訳(岩波文庫

③上記文献の要約

1、政治とはなにか

政治とは、「非常に広い概念で、およそ自主的におこなわれる指導行為なら、すべてその中に含まれる」[1]が、本書で扱う政治とは、「国家の指導、またはその指導に影響を与えようとする行為」[2]を指す。

2、政治と権力

 たとえば、歩行者が道路を横断する場合、ちかくに横断歩道があれば、それを利用して横断しなければならない。これは、法[3]によって構築された社会規範である。このように、国家が定める法によっても、市民の権利義務関係が規定されることがある。

 これをウェーバーは『職業としての政治』において、次のように記す。「国家も、(略)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である[4]」とする。

 ウェーバーは、このような支配の正当性の根拠には、次に示す3つの型があるという。

1)「伝統的支配」、2)「カリスマ的」支配、3)「合法性」による支配、の3種であり、先の横断歩道の件は、このうち、3)に該当する。

3、「カリスマ」としての政治指導者

 上記3つの支配の型のうち、ウェーバーが興味をもつのは、「カリスマ的支配」である。この「カリスマ」に対する帰依とは、「人々が習俗や法規によってではなく、指導者個人に対する信仰のゆえに、これに服従するという意味である」[5]

 このような指導者のうち、政治指導者は、独特のタイプであり、継続的に政治的支配をおこなおうとすれば、次に示す2つの条件が必要であるとウェーバーは指摘する。

1つは、「あらかじめ服従するよう方向づけられていること」[6]であり、もう1つは、物理的暴力が支配者の手に掌握されていることである。

4、職業政治家

 近代国家に至り職業政治家が、「君主に奉仕するという形で登場してきた」[7]。彼らは、カリスマ的指導者とは異なり、「自分から進んで支配者になろうとはせず、政治支配者に奉仕した「職業政治家」であ」[8]る。

 「政治を職業とするといっても、二つの道がある。政治「のために」生きるか、それとも政治「によって」生きるか、そのどちらかであ」り[9]、この区別は、「経済的な側面に関係している」[10]。これは、「金持ちの職業政治家だと、自分の政治上の仕事に対する報酬を直接求めなくてすむが、財産がないと、否でも応でも報酬を求めざるをえなくなるという」[11]違いである。したがって、「政治が無産者にもできるためには、そこから報酬の得られることが必要である」[12]

5、近代的な官吏制度と職業政治家

 「長期間にわたる準備教育によってエキスパートとして専門的に鍛えられ、高度の精神労働者になった近代的な官吏は、他方で、みずからの廉直の証しとして培われた高い身分的な誇りをもっている」[13]

 当然のことながら、「官吏には「政府の政策の支持」が義務づけられ」[14]ているが、官吏は「その本来の職分からいって政治をなすべきではなく、「行政」を―しかも何よりも非党派的に―なすべきである」[15]存在である。

 このような官吏団の台頭と時を同じくして「指導型の政治家」も登場してきた[16]。「政治指導者が、内政を含む一切の政治を形の上で統一的に指導することがどうしても必要であり、また避けられなくなったのは、立憲政の発達」[17]によるものである。

 「君主に奉仕しながら成長してきた」[18]職業政治家にはいくつかのタイプがあり、それは、1)聖職者、2)文人(読書人)、3)宮廷貴族、4)貴紳(ジェントリー)、5)法律家の5種類に分かたれる。

 ここで、ウェーバーは次に示すような興味深い指摘をおこなっている。それは、「官僚に政治家の仕事をさせると、論理的根拠の点で「有利な」事件でも、技術的は処理が「まずく」て、「不利な」事件にしてしまうことがよくある」[19]というのである。

 その理由をウェーバーは、「専門官吏はデマゴーグではないし、本来の目的からいってデマゴーグであってはならない。そんな官吏がなまじデマゴーグになろうなどという気を起こすと、拙劣きわまるデマゴーグになるのがおちである」[20]と指摘する。

6、民衆政治家(デマゴーグ)と政党組織

 立憲国家となった西洋諸国において、政治指導者の典型となっているのが、民衆政治家(デマゴーグ)である[21]。民衆政治家とともに、職業政治家が存在し、それは、ジャーナリスト、政党職員という形態をとる。

 1832年のドイツにおける選挙法改正当時は、職業政治家の候補者の選定を牛耳ったのは地方の名望家たちであった[22]。その当時の政党は「選挙の時だけの生命」[23]しか持っておらず、「名望家団体というのが党機構の性格」[24]であった。

7、近代的な政党組織と官僚

 上記のような名望家が支配する「牧歌的状態と鋭い対照をなしているのが、近代的な政党組織である」[25]

 それは、「民主制、普通選挙権、大衆獲得と大衆組織の必要、指導における最高度の統一性ときわめて厳しい党規律の発達」[26]によって構成された政党組織である。このようにして、「「本職」の政治家が経営を握るようになる」[27]。その結果、「広汎な民主化がおこなわれる」[28]こととなった。

 ここで、ウェーバーは興味深い指摘をおこなう。すなわち、「「官僚」というものは、デマゴーグとして強い影響力をもつ個性的な指導者には、わりと簡単にくっついてゆくものである」[29]というのである。

8、西洋各国の政党組織

1)イギリス

 「1868年まで純然たる名望家組織であった」[30]が、それ以降、選挙権の民主化をきっかけに、政党は一切が官僚制化されることとなった。「その結果、すべての権力は党の頂点に立つ少数者の手に」[31]集中されることになった。

2)アメリカ

 米国では、人民投票的な政党「マシーン」が早くから発達した。それは、米国では「人民投票で選ばれた大統領が、行政府の長であると同時に官職任命権も握っていた」[32]からである。それは、「猟官制」によって、一層強化された。

3)ドイツ

 政治運営の決定的な条件に「議会の無力」[33]が挙げられるが、それは、「専門的に訓練された官僚層がドイツでは圧倒的な重要性をもっていた」[34]からであり、ドイツには「政治上の主義をもった政党が存在した」[35]。当時のドイツでは、新しい政党装置の萌芽が現れてきた。その第1は「アマチュアの装置であ」[36]り、第2にそれとは逆の「プロ」の装置である[37]

9、政治家にとって重要な資質

 「政治家にとっては、情熱、責任感、判断力の三つの資質がとくに重要である」[38]がそのうち、「政治への献身は情熱からのみ生まれ、情熱によってのみ培われる」[39]。それは、「政治家の活動には、不可避的な手段としての権力の追求がつきものだからである」[40]

10、政治のエートス

 「政治家にとって大切なのは将来と将来に対する責任である」[41]。その際、「政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、(中略)すべての暴力の中に身を潜めている悪魔の力と関係を結ぶのである」[42]。なぜならば、政治には暴力によってのみ解決できるような課題があるからである[43]

 「現実の世の中が(中略)どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間」[44]だけが、政治への「天職」を持つ。

④ 現代社会を論ず

1、政官関係のあり方

 ウェーバーは「高度の精神労働者になった近代的な官吏は、他方で、みずからの廉直の証しとして培われた高い身分的な誇りをもっている」と指摘しているが、事務次官経験者に初の実刑判決が確定した1996年の特別養護老人ホーム汚職事件や、1998年に発覚した大蔵省を舞台とした接待汚職事件あたりから、わが国では官僚への不信感が広く国民に共有されることとなった。

 「政と官の関係を抜本的に見直す(=政治主導)」ことを主要な施策に掲げた民主党は、上記の官僚不信とも相俟って2009年の総選挙で政権を奪取した。

 しかし、その政権では、官僚を使いこなすことができない民主党というレッテルが貼られることとなった。

 その理由については、様々なコメントが寄せられたがその1つに、「官僚の能力が落ちた。政治主導になり、余計なことをしないほうがいいと指示待ちになった」(内閣府幹部)というものがあった。

 ここに、政官関係の要諦があるのではないだろうか。いくら、政治主導とはいえ、官僚が指示待ちでは、政策は進まないものと筆者は考えるからである。

2、よりよい政官関係を築くために

 よりよい政官関係を築くためには、政党の機能をより一層強化することが大事である。そのためには、霞が関の官僚群とは別に、米国の民主党におけるブルッキングス研究所、共和党におけるヘリテージ財団のような、政党を支えるシンクタンクが必要なのではないだろうか。シンクタンクが出来れば、霞が関を飛び出す官僚を引き受ける受け皿づくりにも資するであろう。(字数3,995)


[1] 『職業としての政治』脇圭平訳(岩波文庫)8頁3-4行。

[2] 前掲書8頁8-9行。

[3] 道路交通法12条 歩行者は、道路を横断しようとするときは、横断歩道がある場所の附近においては、その横断歩道によつて道路を横断しなければならない。

[4] 前掲書10頁13-14行。

[5] 前掲書12頁14行‐13頁1行。

[6] 前掲書14頁3-4行。

[7] 前掲書18頁14行。

[8] 前掲書19頁1-2行。

[9] 前掲書21頁12-13行。

[10] 前掲書22頁7行。

[11] 前掲書24頁9-10行。

[12] 前掲書25頁8-9行。

[13] 前掲書27頁14行-28頁1行。

[14] 前掲書33頁8行。

[15] 前掲書40頁14行-41頁1行。

[16] 前掲書29頁7-8行。

[17] 前掲書30頁1-3行。

[18] 前掲書35頁5-6行。

[19] 前掲書40頁5-7行。

[20] 前掲書40頁10-12行。

[21] 前掲書42頁6-7行。

[22] 前掲書51頁10行及び14行。

[23] 前掲書52頁4行。

[24] 前掲書52頁9行。

[25] 前掲書54頁4-5行。

[26] 前掲書54頁5-6行。

[27] 前掲書54頁7行。

[28] 前掲書54頁9-10行。

[29] 前掲書56頁7-8行。

[30] 前掲書57頁8行。

[31] 前掲書59頁13行。

[32] 前掲書62頁10-11行。

[33] 前掲書69頁10行。

[34] 前掲書70頁2-3行。

[35] 前掲書70頁10行。

[36] 前掲書73頁3行。

[37] 前掲書73行6行。

[38] 前掲書77頁11-12行。

[39] 前掲書79頁2行。

[40] 前掲書79頁12-13行。

[41] 前掲書84頁11行。

[42] 前掲書99頁12行-100頁1行。

[43] 前掲書100頁7行。

[44] 前掲書105頁14-106頁1行。