町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

立教大学 全学共通カリキュラム「表象文化2」リポート大学での活動

2001.07.15(日)

【機関】立教大学 全学共通カリキュラム 総合教育科目
【科目・タイトル】表象文化2・映画の表現−日本映画を読む
【開講学期】2001年度 前期[2単位]
【担当】冨士田 元彦 講師(短歌評論家、出版社「雁書館」創立者)
【対象作品】『砂漠を渡る太陽』監督 佐伯 清、1960年度「東映東京」製作

〔作品の輪郭〕
日中戦争敗戦前夜の一九四五年七月、ソ連と国境を接する満州を舞台に、日本人医師(鶴田浩二)を主人公にして、その医師の義侠心あふれる活躍を描いたもので、アクション映画の面白さに加えて、動乱期の人間の責任を問う、真摯な主題が打ち出されている。

〔本論〕
 冒頭、伊藤雄之助演じる黄が、山村聰と出会う場面でアクションシーンが繰り広げられるが、以後、満州馬賊が日本軍を襲うシーンや、主人公の曽田医師と黄が、伝染病の感染を防ぐため、村を閉鎖する立札を巡って砂漠で相対して行われる殴り合いの闘争、高倉健と伊藤雄之助との暗闘、主人公の鶴田浩二が初めて登場するシーンでも、中国人車夫を打擲する日本軍軍人と戦う場面があり、アクションシーンには事欠かない映画である。

 だからといって、この映画を単なるプログラムピクチャアと断ずることは出来ない。
 それは、映画のラストシーン間近で吐く曽田医師の「日本人がこれだけひどいことをしても、誰も責任を取らない」という台詞に端的に表されている。

 確かに、この映画に出てくる日本人は、中国満州で、人民の富を搾取することに専ら励み、非道の限りを尽くしておきながら、特務機関(漢字が分からないので)モトイを演じる山形勲がソ連来襲の報を受けると、自動車に乗って直ちに撤退してしまうことに象徴されるように、中国人民に何らの責任を取ろうとはしない。

 それを非難するために、監督の佐伯は撤退中の山形勲を中国人による銃撃で殺しているのだろう。ただ、そのとき弾に当たって自動車のフロントガラスが粉々に割れるシーンがあったが、現実ではありえない。
 自動車用のフロントガラスは決してあのように砕け散らず、普通のガラスを使用しているため粉々に割れたのだろう。

 それとも、日本軍はたとえ、軍の特務機関が乗る自動車でさえも、車用の砕け散らないガラスを使うことが出来ないほど物資が不足していることを強調するためにわざと、住宅用の一般ガラスをフロントガラスに用いていたのだろうか。

 もう一つ、気になって仕方がなかったのは、登場するソ連人親娘のうち娘が、立ち去る際に一言ロシア語で挨拶した言葉以外は、すべて日本語を話していたことである。

 たしかに、日本が占領している満州に住んでいるソ連人なのだから、日本語を話していても不思議ではないが、ロシア語を話しているほうがよりリアリティが出ようというものである。

 それとも、日本人は創氏改名や宗教の国家神道化、また、言語の日本語化も断行した、日本人への同化を重視した占領政策を推進していたことを強調するために、わざとソ連人に日本語を使わせていたのだろうか。

 また、佐伯監督の他の作品を見たことはないので、この作品のみで判断することには躊躇いがあるものの、佐伯は女性の描き方がステレオタイプに流れる傾向があるように見受けられた。

 したがって、どの女性も同じような印象を与え、確立した個人としての女性が、画面から浮かび上がってこない憾みが残った。

 それが証拠に、役柄の上での佐久間良子と久保菜穂子の際だった違いを認識することが出来なかった。
 ただ、その責を佐伯の力量にのみ帰するのは、酷なのかもしれない。
 なぜなら、時代設定は昭和二十年であるから、いくら場所が、女性の社会進出には日本国内より遙かに先進的だった満州に設定してあるとはいえ、今とは較べようもないほど女性の個が確立していない当時の時代性にも、その責の一端を担わせることは出来よう。

 いつの頃からか通説として、日本人男性が演じて最も自然なのが兵隊であり、女性は看護婦、であると云われるようになった。

 この映画も、右のことを証明する好い例となったのではないだろうか。

 登場する日本軍軍人は誰であろうが一様に、ヒュウモアのかけらすら見受けられず、ただ無闇と怒鳴り散らし、粗野な振る舞いを重ねるだけであり、看護婦は、医師に従順であり、患者にはひたすら尽くすだけで、自らの個が確立していない、自分を抑圧した存在として描かれている。

 その点で、この映画で最も異彩を放っていたのが、伊藤雄之助演じる黄である。

 中国人になりすました元日本軍軍人という役柄のせいもあろうが、日本軍のスパイとして、情報収集に励む姿は、映画の中で最も躍動的な人間像を形成していた。

〔結論〕
 曽田医師はひたすら現地のために尽くしたのに、日本の戦争責任を痛感して敢えて戦火の中に留まる、という道徳的な行為を描いている。
 そこには、こと志と違って、現地に迷惑をかけて無念であるという真情が、鮮やかに剔抉されているように、見受けられた。

〔参考文献〕
佐藤 忠男『日本映画史』第二巻、岩波書店
キネマ旬報増刊改訂版『日本映画監督全集』キネマ旬報社