【機関】立教大学 経済学部専門教育科目
【学科目】経済地理
【開講学期】2001年度 通年[4単位]
【担当】矢延 洋泰 講師
【リポート題目】「腐敗追放に成功したシンガポール−香港との対比」
[前書き]
このレポートのテーマ”腐敗追放に成功したシンガポール−香港との対比”を選んだ理由は、本年7月2日付け朝日新聞夕刊2面に載った、腐敗知覚指数による主な国・地域の順位、を見たことによる。
そこで、世界の汚職の監視をしているNGOの「トランスペアレンシー(透明度)・インターナショナル」(本部ベルリン)が、政界や官界のクリーンさを示すランキング「腐敗知覚指数」を発表していた。この指数は、7独立機関による調査を総合し、「職権乱用や個人の蓄財がどれほどはびこっているか」を各国別に数値化したものである。
対象となった91カ国・地域のなかで日本は21位だった。この順位は23位だった昨年よりランクは若干上がったものの、なお先進国では下位にある現状と比較して、アジアではシンガポールが最上位の4位に入り、次いで14位に香港がつけていた。
因みに1位はフィンランド、2位にはデンマーク、3位にはニュージーランド、4位にはシンガポールと並んでアイスランドが入っており、6位はスウェーデンが付けている。
これを見ても分かるように北欧諸国や、ニュージーランドのように行政改革に成功した国が「クリーン度」が高いと評価されている中で、シンガポールが上位に付けている理由を探りたいがために、アジアではシンガポールに次いで「クリーン度が高い」香港との対比をした上で、それを明らかにすることがこのレポートの目的とするところである。
蛇足ながら、上記の指数において最下位の91位に数えられたのは、「調査データが不十分」との但し書きが付きながらではあるもののバングラデシュであった。
[序論]
クリーンシティは、シンガポールの代名詞である。これは、空路ではなく、マレーシアよりジョホール海峡を橋で渡ったとき痛感させられることである。
ほんの僅かな幅しかないジョホール海峡を隔てて、かくも街並みが一変してしまうのかと、改めてシンガポールのクリーンさに思いを新たにするのである。
ただし、シンガポールのクリーンさは、ひとり景観に留まるものではない。
腐敗追放に成功し、清廉で優秀な官僚を有する国という意味でのクリーンさをも有する。
腐敗追放はリー・クアンユーと彼が率いるPAP(人民行動党)の政策の柱の一つであった。
そして、アジアにはもう一つ、官僚の腐敗追放に成功した「地域」があり、それは、いうまでもなく香港である。
両者は官僚の清廉さという意味では共通点があるが、香港は基本的に経済政策の原則はレッセ・フェーレであって、官僚主導型の国家運営ではない。
もちろん、シンガポールのように世界に名高い罰金政策を取っているわけでもない。官僚の経済政策に対する役割は大きく異なる。
官僚の政策への関与は対照的なほど異なるが、両者の経済発展を支えたのは政策の的確さと同じくらい、或いはそれ以上に国民(香港の場合は市民)の政府への信頼と支持にあったと考えられる。
政府の腐敗が進めば民心が政府から離れ、国家の求心力が失われることによって、経済運営に破綻が生じることは、マルコス末期のフィリピンなど、発展途上国ではいくらでも眼にすることである。
本論において、シンガポールと香港の反腐敗政策について、比較検討を試みたい。
[本論]
【1】シンガポールの反腐敗政策
今でこそクリーンシティ、シンガポールであるが、かつて腐敗にまみれていた時代があった。
19世紀後半のシンガポールでは警察法が施行されていたが、それは正しく機能していなかった。
現在、シンガポールの腐敗防止政策は、The Corrupt Practices Investigation Bureau(CPIB:汚職調査局)がその任に当たっている。
腐敗を断ち切るためには、警察とは別に公務員等の汚職腐敗摘発のための組織が、強い政治的意思のもとで設立される必要があったからである。
CPIBの設立は1952年であり、シンガポールの独立より13年も早い。
1959年に自治権が確保され、普通選挙が実施されるとリー・クアンユー率いる人民行動党が多数派となり、汚職追放が政策の最重要課題として掲げられるようになった。
CPIBが大きな権限を持つようになるのは、1960年に腐敗防止法(Prevention of Corruption Act)が改正されたことによる。
ではCPIBは何故、かつて蔓延していた汚職を追放することに成功したのであろうか。
CPIBは自らを省みて、以下に列挙する理由を記している。政治的指導者が汚職根絶に強い意志を持っていること、汚職防止法の内容が適切で、汚職の防止に適切な刑罰を定めていること、汚職を取り締まる部局が、汚職の取り締まりに関して、社会的な地位、政治的なつながり、皮膚の色、信条などにかかわらず、フリーハンドが与えられていること、以上が、CPIBが掲示する理由である。
また一方で、シンガポールでは高級官僚に限らず役人の給与水準は、民間に較べて高く設定されている。これは、汚職の原因がしばしば、生活できないほどの低い給料しか支給されないことにあるからである。
そもそも、シンガポールが清廉な政府を守ろうとしてきたのは、単なる国家経営戦略上の問題というよりは、さらにもっと深く、国のアイデンティティに通じるものがあるという側面がある。
1965年のシンガポール独立は、マレーシアからの分離独立という形ではあるが、マレー人優遇政策をとるマレーシアにあって、シンガポールはいわば追い出されたというのが実状である。
したがってシンガポールの独立は、国民にショックを与え、国家存亡の危機をもたらした。
それが、国民の間にリー・クアンユーと人民行動党への求心力を生んだのである。
そんなところから、1984年の建国記念日にリー・クアンユーは香港とシンガポールの国家としての理念の違いについて以下のような演説をしている。
両者は同じ都市国家として発展してきたが、その違いは「香港では独自の国民意識の形成が許されなかったので、市民の誇りも、所有意識も、共同体としての達成感も、集団の業績の意識もありません。(中略)住民には香港が(中国に返還されるまで)自分たちのものだとう感覚がありません。
だから香港の労働者は個人と家族のために、仕事に精を出し、すばらしい業績をあげて、経済が大きく発展した」のに対して、シンガポールは「積極的な国家建設が行われたので、国民はたんに自分の家族だけでなく、シンガポール人全体の進歩を自分のものとして、それに対して強い誇りを持つようになりました。」と述べ、国家への求心力がない個人主義・香港と、国家意識の強固な家族主義・シンガポールという対比を行っている。
いまやシンガポールでは組織的な腐敗は根絶された。かつて、第二次世界大戦とその後には、公務員給与が生活できないほど低く、インフレもあって、汚職は頻発していた。
しかし、腐敗防止法とCPIBの設立にあわせて、公務員給与と労働条件を改善したことによって、腐敗防止に成功した。その理由は、首相自らが腐敗とは全く隔絶していたことも大きな一因である。
このように政府が清廉であることは、シンガポールの経済発展に資するという問題以上に、シンガポールが都市国家として国の結束を図るうえで、欠くことのできない要件であると考えられている。
よって、腐敗防止に対する不動の政治姿勢が、これからも必要とされるのである。
【2】香港の反腐敗政策
香港の腐敗防止政策は、Independent Commission against Corruption(ICAC:廉政公署)がその任にある。これはシンガポールのCPIBと非常によく似た組織である。
その相似点を以下に列挙すれば、行政長官(返還前は総督)に直属している独立部局であること、ICAC法に基づいて広範囲で強力な権限が与えられていること、原則的に民間や政府内部からの通報に基づいて調査をすること、調査の対象は原則として政府であるが必要に応じて民間にも及ぶこと、腐敗防止のために公務員に対する訓練を定期的に行っていること、等である。
1988年のICAC法によれば、調査・懲戒の対象となる行為は広く、贈収賄や強請、守秘義務違反、着服などのいわゆる腐敗行為のほか、選挙関係の違反行為、脱税行為、不法な麻薬やギャンブル、通過犯罪、破産や会社取引の違反行為、文書偽造、金融取引での違反行為等、民間の経済活動の公正に違反するものも多く含まれている。ICACの職員は同級の公務員よりも高給であり、CPIBとの顕著な違いは逮捕権があることである。
かつての太平洋戦争における日本の占領期まで腐敗に悩んでいたことは、香港もシンガポールと同じだが、第二次大戦後、香港は再びイギリスに統治されるようになっても、更なる腐敗に悩んでいた。
その後香港は、多くの腐敗防止のための方策を取った挙げ句、当時のSir Murray総督により、1974年にICACを発足させた。ICACは先ず腐敗の温床である警察機構の浄化を押し進めた。
その後、ICACと警察との対立はあったものの、結果的には警察が関与する腐敗行為は、大幅に減少させることができた。
ICACが成功した要因は、腐敗防止に努めることが資本主義の発展に寄与することを市民が理解し、それが社会的な合意を得たことが挙げられよう。
公正な競争ルールの確立こそが繁栄の秘訣であることを、急速に経済成長する香港市民は肌で知ってしまったのである。
1997年の中国返還により、中国本土の腐敗の温床が再び香港を席巻するとの見方もあったが、ICACを北京政府が阻害しているという情報はまったく見受けられない。
むしろ、腐敗粛正を打ち出している本土では、ICACに腐敗摘発のノウハウを学ぼうという動きすらある。北京政府の政策方針が大きく変わらないことが、ICACの今後を握っている。
[結論]
シンガポールと香港では腐敗一掃の経緯が異なり、政府の政策の目指すところも異なるが、植民地時代の腐敗をくぐり抜けて政治的混乱に耐えながら組織的腐敗を追放していった歴史は、共通している。
お互いに都市国家である両者であるが、シンガポールは、国を守り経済力を蓄えていくために合法的でクリーンな経済システムを作ることが国家の至上命題であり、香港も、貿易や金融で世界の経済拠点になるためには経済システムの透明性を高めることが極めて重要である、という共通点はある。
都市国家が生き延び、世界から資本を集めるために、腐敗追放は国是であったのである。
しかし今や、両者とも政策の維持ができるかという疑問が投げかけられている。
シンガポールではリー・クアンユーという強いリーダーシップによって維持してきた政治的意思を今後も次世代が受け継いでいくのか。
香港では北京政府が、香港の繁栄にとってICACとその働きがいかに必要なものであるかを理解し、政策を継続していくのかという問題がある。
現状では、今すぐにでも状況が変わるという兆しは見えない。
両者の政策担当者は、腐敗防止政策の重要性を今後も強く認識し、維持するように努力すべきである。
[参考文献]
杉谷滋編著『シンガポール−清廉な政府・巧妙な政策』関西学院大学産研叢書(23)(御茶の水書房、1999年)