町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

『三度目は早稲田大学』大学での活動

2005.04.01(金)

 2005年4月に、早稲田大学に学士入学しました。
 大学への通学は、落語家の活動と並行しての履修となるために、1998年度に夜間学部から、授業選択において柔軟性のある時間編成ができる「昼夜開講学部」へと移行した(2009年度からは「昼間部」へ移行)、社会科学部に学士入学したのです。

 ではいったい何を学ぶために、三度目の学生生活を、立教の文学部と経済学部に次いで、早稲田で送ることにしたのか。

 それは、当年度に履修登録をした科目を、じかにここに掲示するのが最も手っ取り早いと思うので、以下にその科目を記します。
 社会科学総合分野から「環境社会論」、政治学分野から「比較議会論」「政治機構論」「行政学」「国際政治理論」「現代地方自治論」「現代政治制度論」「現代政治分析」、法学分野から「憲法」「法学原論」、商学分野から「マーケティング論」「産業心理学」「中小企業論」、ゼミナール1・2はともに、「地方自治と行政」、以上あわせて履修上限の48単位となりますが、これらの学問を学びたかったから編入学したのです。

 ごらん頂ければ分かりの通り、経済学分野は1科目も登録していません。それは、今年度は政治学、なかでも行政学と地方自治に関する勉強に、集中するためです。

 今年度の早大編入にあたって驚いたことは、さほどありません。というのも、立教の経済学部を卒業したのが2002年でしたから、それから僅か3年しか経っていないために、大学こそ違え、ハーバードやオックスフォードに編入したというのならばともかく、どちらも同じ東京の私大なのですから、それほど大きな違いはないからです。
 といっても、驚きがまるっきりないのかといえば、そんなことはないのです。

 瑣末な点では、早大はかなり特異な大学といえるのではないでしょうか。
 他の大学との最も顕著な違いは、教室に時計が一切ないことです。その理由はおそらく、試験で教室を使う際に、時計があると、その時計の時刻が不正確な場合、試験時間に齟齬が生じるからでしょう。

 けれど、どうにも解せないのが、授業の開始と終了を知らせるチャイムあるいは、ベルが鳴らないことです。
 そのために、時間の管理は自ら行わなければなりません。
 時計はなくとも、チャイムを鳴らさないことには、授業時間が画定されません。
 さすがに教授は時計を持ってはいますが、教員の時計はすべて正しい時刻を指し示しているとは、限らないからです。チャイムを設置していない大学は、早稲田ぐらいのものではないでしょうか。

 社会科学部は、先述のように昼夜開講制をとっており、平日は午後1時から9時10分まで、各10分のインターバルをとって5コマの授業が組まれているのですが、それをすべてとった場合、夕食を何時に食べることを大学は想定しているのか、という問題があります。

 つまり、立教は大学院の独立研究科では、午後6時から30分間の夕食時間を設定していますが、早大は最終授業が終わる9時10分以降に、学生が夕食を摂ることを想定しているのでしょうか。

 あるいは慶應義塾大学SFCのように、食事時間を設定しない代わりに、学生は授業中であろうと食事を摂っても構わないというのであれば、そうしますが、早稲田はそこのところが曖昧なのです。

 ぼくは貧乏人なので、愛妻弁当が欠かせませんが、これをいつ食べるかが、目下のところ大きな問題となっています。
 ひとつの授業が終わって、次の授業も同じ教室なので、さて、弁当を使おうと蓋を開けると、これがキムチ弁当。こうなると、困るのですよ、匂いが教室に充満してしまいまして。学生たちは射るような視線をこちらに向けますしね。

 もっと悲惨だったのは、弁当を開け、さて箸をと探したところ、箸箱のなかが空っぽだったとき。
 空腹には勝てず、箸箱の蓋で弁当を使いましたが、このときも学生の視線が痛かったこと。
 みな見て見ぬふりで、口にこそ出しませんが、「人間、ああなったらお終いだな」とか、「人間落ちるところまで落ちるとああなるのか。可哀相に」、あるいは「箸も買えない貧乏人がまだ日本にいたのか」といった憐れみの視線を、強く痛く感じたものです。

 ほかには、早稲田では気取った人に会わない、といったところでしょうか。立教には気取った人が多かった、というわけでは決してないのですが、早稲田では今のところ、皆無です。

 そういえば、こんなことがありました。
 トイレで、個室に入ったところ、その個室の鍵が掛からないのです。これは、目的の行為が実にやり難くなる事態ですが、その行為をしないわけには行かず、また、他の個室がすべて使用中だったため、その個室を使用せざるを得ないために、苦労しつつも用を済ませました。

 個室を出て、手を洗った後に、事務所に行き、その旨を申し出、改善を望んだところ、職員に真顔で、こう尋ねられました。「分かりました。早速資材課に伝えておきます。それで、そのトイレは男性用ですか。それとも、女性用ですか」
 あのなぁ、どうしてぼくが女性用のトイレの個室の鍵の掛かり具合を知っているのよ。

 それにしても、よく訊かれるのです。なんでまた、しかも三度も大学に通うのかと。その度に、ぼくはある人の言葉を援用して、こう答えることにしています。

 『磁力と重力の発見』で大佛次郎賞などを受賞した山本義隆さんは、「何のために勉強するのでしょうか」と問いかけられて、こう答えているのだそうです。
 「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」「外国では、自己主張しない人間は単に不勉強で無能だと思われるだけです」

 ぼくもまさしく、「自分の頭で考え」ることができるようになるため、ただそれだけのために、大学に通って勉強を続けているのです。