【箇所】早稲田大学大学院 社会科学研究科 政策科学論専攻
【科目】現代人権論Ⅰ【開講学期】2007年度 前期[2単位]
【担当】後藤 光男 教授〈早稲田大学 社会科学総合学術院〉
【課題図書】樋口 陽一、山内 敏弘、辻村 みよ子『憲法判例を読みなおす』(日本評論社)
【緒論】
日本国憲法15条1項に、公務員の選定・罷免権を「国民固有の権利」と定め、判例も「選挙権は国民の最も重要な基本的権利」であるとしている。
しかし、この選挙権の内容に何を含ませるか、選挙権に公務的性格もあわせて認めるかという点になると、見解は必ずしも一致しているわけではない。
従来の憲法学の通説では、選挙権の内容を、投票する権利や選出する権利とは捉えず、「選挙(=公務)に参加することができる資格または地位」と解してきたことがこの問題の根底にある。
つまり、選挙権は、国家が存在して初めて意味を持つものであるために、その法的性格について争いがある。
今日では、個人の権利としての側面とともに公務としての側面もあわせもつと考える二元論が通説である。
もし、選挙権の権利の内容を選挙人資格請求権(選挙人名簿に記載される権利)にとどめるならば、投票の機会や投票価値の平等、自由な選挙活動が保障されなくても、権利侵害の問題とはならない。
これに対して、戦後の選挙訴訟の中心となった在宅投票制廃止違憲訴訟、議員定数訴訟、戸別訪問禁止違反事件では、各々、主権者の権利としての選挙権の実現をはかり、普通・平等選挙の徹底と投票価値の平等、選挙活動の自由を確保するための主張が繰り返されてきた。
これは、選挙権の内容が狭く解されて十分に保障されない状態では、国民主権や議会制民主主義は、正しく機能されないものと考えるからである。
しかし、最高裁は、参議院議員定数訴訟や戸別訪問事件判決では、合憲判断を墨守してきた。
一方、下級審判決では、戸別訪問事件判決にみられるように、多くの画期的な違憲判決が登場し、また、在宅投票制廃止違憲訴訟の一・二審判決でも、違憲判断が示された。
【1】普通・平等選挙の原則と在宅投票制廃止違憲訴訟
1 裁判の経過
1950(昭和25)年4月15日に制定された公職選挙法(および同月20日制定の同法施行令)は、不在者投票制の一環として「疾病、負傷、もしくは身体障害のため、または産褥にあるため歩行が著しく困難な選挙人」に対する在宅投票制を採用し、従来からの郵便投票のほか同居の親族による投票の提出を認めた。
ところが、同年4月の統一地方選挙で在宅投票制が悪用され、多数の選挙違反があったことを理由として、在宅投票制を廃止する公職選挙法改正が1952年に公布され、施行された。
Case Study1
[重度身障者の選挙権]
≪事実の概要≫
1931年に雪降ろし中に屋根から転落して寝たきりとなった、1種1級の身体障害を認定された原告は、国家賠償請求訴訟を起こし、1968年以降8回の選挙で選挙権を行使し得なかったことに対する慰謝料計80万円の支払いを求めた。
在宅投票制廃止は、「身体障害者等を個人として尊重せず、国民主権の原理に基づく選挙権行使を奪い、投票に関し、身体上の欠陥その他の不合理な理由により差別をすること」となり、憲法13条、15条1項・3項、14条1項、47条に違反する、さらに在宅投票制廃止後復活の立法措置をとらないことによる違憲状態は国会議員の故意又は重大な過失による、と主張した。
これに対し被告(国)側は、在宅投票制により投票の秘密が著しく害され選挙の自由公正を期し難いという弊害を指摘し、その廃止の合憲性を主張した。
〔第一審判決〕
※札幌地裁小樽支部(1974.12.9)
選挙権を「憲法の基本原理である国民主権の表現として、国民の最も重要な基本的権利」であると解し、立法機関が選挙事項を定める際には、「普通平等選挙の原則に適合した制度を設けなければなら〔ない〕」として、憲法47条の立法裁量を制約する論理を示した。
判決は、「民主制の根幹をなす重要な基本権」としての「選挙権そのものの実質的侵害が問題とされている事案においては、被告主張の*明白の原則は採用しがたい」として、明確に「明白の原則」を否定し、選挙権の権利性を重視する視点から、必要最小限度の原則による厳格な審査基準によって立法裁量を制限する議論を展開した。
この基準にたって立法目的と必要性、目的達成の手段を検討した結果、「国会の立法措置は、前記立法目的達成の手段としてその裁量の限度をこえ、これをやむを得ないとする合理的理由を欠くものであって、……憲法第15条第1項、第3項、第44条、第14条第1項に違反する」という画期的な判断をした。
また、在宅投票制廃止の合理性判断にあたっては、「弊害除去の目的のため在宅投票制を廃止する場合に、右措置が合理性があると評価されるのは、右弊害除去という同じ立法目的を達成できるより制限的でない他の選びうる手段が存せずもしくはこれを利用できない場合に限られる」として、いわゆる**LRAの基準を提示した。
あわせて、違憲の法律改正を行ったことについての国会の過失を認めて10万円の支払いを被告に命じ、原告勝訴。
*明白の原則
政策的な判断は、裁判所よりも政治部門の方がよりよくなしうるという観点から、当該規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限って違憲とする。
このように、著しく不合理であることが明白かどうか、それが論議される。
最も緩やかな審査基準であるために、立法裁量の範囲が広いことを意味している。
** LRA:less(least) restrictive alternative(s)
同じ立法目的を達成するため規制の程度のより少ない手段が存在するかを具体的実質的に審議し、そのようなより制限的でない手段があり得ると解される場合は、当該規制立法を違憲とする基準である。
この基準は、立法目的の達成にとって必要最小限の規制手段を要求する基準と言い換えることもできる。
〔第二審判決〕
※札幌高裁(1978.5.24)
(a)国会の立法義務が明白な場合、(b)国会が立法義務を故意に放置する場合、に違憲審査権を肯定したうえで、在宅投票制を復活しなかった立法不作為が憲法に違反するとして、違憲性・違法性を認定する判断を示しつつも、結果的には、本件で問題とされた1969年以降の国会議員の故意・過失を否定して、原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却した。
〔第三審判決〕
※最高裁(1985.11.21)
「原則的に国会議員は立法に関して政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的責任を負わない」として、立法不作為を司法審査の対象にすることに消極的である。
憲法47条の立法裁量論を前提として、この種の立法不作為に国家賠償法を適用することを拒絶した。
このため、立法行為への国家賠償法の適否とりわけ立法不作為の違憲性を国家賠償請求訴訟を通じて問題にする場合の訴訟要件や、この場合の国家賠償法1条の故意・過失の認定基準等をめぐって議論が展開されることになった。
【2】投票価値の平等と議員定数訴訟
1 衆議院議員定数訴訟―30年間の訴訟展開
(1)定数訴訟の展開
1945年・1947年の衆・参議院議員選挙法、1950年の公職選挙法など戦後初期の選挙法では、いずれも各選挙区の人口に基づいて定数が配分されたために、議員一人当たり人口の最大較(格)差は概ね1対2未満にとどまっていた。
ところが、その後人口の都市集中などの変動の結果、選挙区間で議員定数と人口との関係に不均衡が生じた。
そこで、1962年以降、定数不均衡が選挙権の平等原則に反するとして、数多くの選挙無効請求訴訟が提起され続けてきた。
(2)1976年最高裁違憲判決と投票価値平等の基準
衆議院議員選挙定数訴訟のなかで最も重要な意味を持った1976年最高裁大法廷判決は、投票価値の平等が憲法上の要請であることを明らかにして最大較差1対4.99(有権者比)の不均衡を違憲とした反面、不均衡の許容基準については、(a)投票価値の不平等が、諸般の要素を斟酌してもなお「一般的に合理性を有するものとは到底考えられない程度」を超える場合で、(b)「合理的期間内における是正」が行われない場合に違憲となる、という二つの抽象的な基準を示したにとどまった。
学説は、一人一票の反対解釈として1対2を基準とする見解が通説であるが、選挙権が主権者の権利である以上可能な限り1対1に近づけることが憲法上要請され、たとえ、1対2以下でも違憲問題は生じうると考えるのが妥当であろう。
次に、1976年判決以来の論点として、選挙の効力がある。
定数配分規定を違憲とした1976年判決は、初めて*「事情判決」という行政訴訟法上の法理を援用し、「本件の選挙は憲法に違反する議員定数配分規定に基づいて行われた点において違法である旨を判示するにとどめ」、選挙自体を有効とした。
これは、選挙を無効として議員資格を奪うことからくる政治的混乱を防ぐとともに、議員定数問題の解決を国会の手に委ねるという配慮によるものであった。
*「事情判決」
行政事件の取消訴訟では、審理の結果係争の処分が違法であれば、これを取り消すのが原則であるが、「(処分)を取り消すことにより公の利益に著しい障害を生ずる場合において、原告の受ける損害の程度、その損害の賠償又は防止の程度及び方法その他一切の事情を考慮したうえ、処分又は裁決を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認めるときは、裁判所は、請求を棄却することができる」(行政事件訴訟法31条1項1文)。
2 参議院議員定数訴訟
(1)訴訟の展開
参議院については、1994年まで一度も定数是正されなかったため、最大較差は拡大の一途をたどり、1993年9月現在で、1対6.70に及んだ。
これに対して、1993年12月の大阪高裁違憲判決以前には、下級審・最高裁のすべての判例が合憲判決を維持してきた。
(2)1993年12月16日大阪高裁違憲判決と1996年9月11日最高裁判決
その後、参議院議員定数不均衡について初の違憲判断を示し、選挙自体は事情判決の法理により有効としたのは、1993年12月16日大阪高裁違憲判決と、その上告審判決である1996年9月11日最高裁大法廷判決である。
まず、大阪高裁判決は、最高裁の判例にしたがい、全国選出議員の職能代表的色彩、地方選出議員の地域代表的要素等を加味する参議院選挙制度の合理性を認定し、1992年7月参議院選挙での6.59倍の格差を違憲状態と判断した。
次いで1996年最高裁大法廷判決は、本件の最大格差1対6.59の不均衡を「違憲の問題が生じる程度の著しい不平等状態が生じていたものと評価せざるを得ない」とし、最高裁で初めて違憲状態を認めたことが注目された。
この判決には、多くの課題が含まれている。
第一に、違憲判断の基準について、結果として6倍以上ではじめて違憲状態を生じるという、いわば6倍基準論が示唆されている点。
第二に、定数是正のための合理的期間について、原審判決と最高裁少数意見が7年間の経過を違憲と判断したのに対し、多数意見が合憲と判断したこと。
【3】選挙活動の自由と戸別訪問禁止違憲訴訟
1 訴訟の展開―最高裁合憲判決と下級審違憲判決
1925(大正14)年に、最初の男子普通選挙が施行されたときに、選挙の公務性が強調され、不正選挙を防止するために、厳しい選挙運動規制が定められた。
その後、1945(昭和20)年の衆議院議員選挙法改正時に、選挙の自由化・取締規定の簡素化がはかられたが個別訪問全面禁止規定は削除されず、今日まで維持されてきた。
これに対して、1950(昭和25)年9月27日大法廷判決や文書頒布規制に関する1955年3月30日大法廷判決は、憲法21条の表現の自由も「公共の福祉」によって制約され、個別訪問は選挙の公正を害するとして合憲と判断した。
このように、比較的安易に「公共の福祉」論が用いられていた時期を経て、1969(昭和42)年4月23日大法廷判決以後は、戸別訪問の弊害論が展開された。
それは、不正行為温床論情実論無用競争激化論・煩瑣論迷惑論、とよばれる議論であり、戸別訪問を認めれば不正行為の温床になったり、情実に流されて投票したり、無用な競争を強いたり、被訪問者への迷惑になる、などの弊害が指摘された。
一方、下級審では、東京地裁1967年3月27日判決、和歌山・妙寺簡裁1968年3月12日判決などで、戸別訪問禁止の違憲性を問題とする無罪判決が出された後、とくに1969年頃と1978〜80年頃に、最高裁の弊害論への批判に基づいた違憲無罪判決が多くの地方裁判所で続出した。
控訴審(広島高裁松江支部)でも違憲判決が出されたが、その上告審判決である1981年6月15日第二小法廷判決は、*猿払事件判決の3基準を採用し、規制目的と規制手段との合理的関連性を問題とする手法を用いて合憲とした。
*猿払事件判決の3基準
「政治的行為」の禁止そのものの憲法適合性について、判決は、1.禁止目的が「行政の中立的運営」の確保と「これに対する国民の信頼」の維持にあるとしたうえで、2.この目的と禁止される「政治的行為」との関連性、3.それを禁止することにより得られる利益と失われる利益の均衡、を問題とする。
2 注目すべき下級審判決
(1)矢田・植田事件控訴審判決(広島県松江支部1980年4月28日判決)
相次いで出された地裁での戸別訪問禁止違憲判決のほとんどは、高裁・最高裁で合憲判決が言い渡された。
この矢田・植田事件控訴審判決も、最高裁の合憲判決によって覆されたが、高裁での貴重な違憲判決としての意義をもつ。
判旨は、「主権者としての国民の政治的活動の自由」が憲法15条、16条、21条で保障されていることを前提として、戸別訪問禁止が弊害の阻止を狙いとする場合の禁止目的と禁止された行為との関連性等の検討を目指した。
そして、規制は「合理的でかつ必要やむを得ない限度においてのみ許される」という基準にたって具体的な弊害の内容を検討した結果、「戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的でかつ必要やむを得ない限度の規制であると考えることはできない」と違憲の判断を示した。
そこでは、「選挙運動は、候補者や選挙運動者だけが行うものではなくて、主権者としての誰もが行い、また行いうるものである」という認識にたっている点が重要であろう。
(2)正木事件第一審判決(1980年5月30日岐阜地裁判決)
ここで採り上げる正木事件は、その後名古屋高裁1983年7月12日判決で合憲・有罪判決がだされ、ついで最高裁で上告棄却された。
事例は、1976年12月の衆議院議員選挙に際して、学習塾の経営者が塾生を介してその保護者ら16名に法定外選挙運動文書を頒布したとして起訴されたところ、岐阜地裁は、これを無罪としたものである。
被告らは、後援会入会勧誘用の文書を同調者にのみ頒布したと主張したのに対して、裁判所はこれを斥けた上で、本条の違憲性について入念な検討を行った。
判旨は、まず、選挙を「具体的に、国民が国政に参加し、主権者として自らこれを決定する、最高にして最重要の権利行使である」とした上で、選挙運動は、候補者同士、*選挙人同士、選挙人から候補者への情報提供・情報交換の場として、交流的で多面的な様相を呈することを明らかにした。
*選挙人
選挙に参加することができる者。選挙人となるための資格を選挙権という。
また、文書頒布規制を正当化するための従来の弊害論の各々について、検討した結果、弊害を克服することが可能であるとした。
さらに、「本条は文書等の活動の自由を合理的根拠なく、若しくは必要最低限度の基準を超えて制限しているゆえ、憲法の基本理念に違背、抵触した違憲無効の規定である」との判断を示した。
以上の判旨には、国民主権(「人民主権」)原理を実現する主権行使の権利としての選挙権の意義を重視する立場が示されていることが、とくに注目される。
これに対して、従来の日本の議論は、常に買収などの不正を想定して選挙活動の自由の規制を論じ、主権者を取り締まり(統治)の客体として捉えて過度なパターナリズム(干渉政治)で対処してきた。