【箇所】早稲田大学大学院 法学研究科 公法学専攻
【科目】地方自治法研究Ⅱ【開講学期】2009年度 後期[2単位]
【担当】辻山幸宣<地方自治総合研究所所長,中大大学院客員>教授
【課題】『住民監査請求で下級裁判所が住民勝訴の判決を言い渡しても、当該議会がその訴訟での損害賠償を求める権利を放棄する議決を行った場合』
1、住民監査請求とは『地方自治の現代用語』〈第二次改訂版〉(学陽書房2005年)澤井勝
住民訴訟はこの住民監査請求(地方自治法第242条)を前置することとされている。請求権者、すなわちこの監査請求をすることができるのは住民である。住民とは、地方自治法第10条にいう住民であって、「市町村の区域内に住所を有する者」である。
したがって、この住民は国籍の有無を問わない。この住民監査請求は普通地方公共団体の長、委員会、委員または職員の行為について請求することができる。
監査請求の対象は、違法または不当な行為、または怠る事実である。違法・不当な財務会計上の行為にあたるものは、公金の支出、財産の取得・管理・処分、契約の締結・履行、債務その他の義務の負担の諸行為である。
怠る事実とは、公金の賦課・徴収、財産管理の不行為をいうとされている。請求の内容は、当該行為の防止、是正、怠る事実の改善、損害の補填のために必要な措置をとるよう求めることである。具体的には、差し止め、取り消し・無効の確認をすること、代執行や滞納処分、損害賠償請求などをすべきことである。
監査請求は、文書によって、違法または不当な行為があった日、または終わった日から1年以内に行わなければならない。ただし、正当な理由があった場合はこの限りではない。
監査委員は、この請求があった場合監査を行い、請求に理由がないと認めるときは理由を付して請求人に通知するとともに公表する。理由があると認めるときは議会、長、職員に対し、期間を定めて必要な措置を講ずるよう勧告する。
2、栃木県旧氏家町(現さくら市)の浄水場用地購入を巡る住民訴訟を巡る事件の概要と同様の訴訟について
【経緯】
栃木県の旧氏家町(現さくら市)が浄水場を新設するため、2004年9月に2億5千万円で取得した約8千平方メートルの土地の購入額が相場より高すぎるとして、住民の男性が2005年12月、市に対して周辺の取引価格と比べた際の損害分1億2千万円余りを当時の秋元喜平町長らに返還させるように求めて提訴した。それに対し宇都宮地裁は、08年12月、価格決定が「合理性、妥当性を欠く」として訴えを全面的に認めた。市は直後に控訴し、現在東京高裁で係争中である。
【市議会の対応】
旧氏家町(現さくら市)の浄水場用地購入を巡る住民訴訟で昨年12月、宇都宮地裁が住民側勝訴の判決を下した。当時の町長(前市長)が町に与えた損害1億2千万円余りについて、市が前市長に請求して返還を受けるよう市に命じる判決だった。
市は東京高裁に控訴。その判決期日が9月29日と決まったのを受け、市議会がある「議決」をした。「市がこの訴訟で損害賠償を求める権利を放棄する」という内容だ。9月1日の市議会本会議で議員16人が提案。賛成16、反対5の賛成多数で可決した。
前市長が05年の合併後の市長を今年4月まで務め、「市の発展に貢献した」というのも議決の理由だった。
【地方自治法でこの件を考える】
地方自治法は、96条1項10号「法律若しくはこれに基づく政令又は条例に特別の定めがある場合を除くほか、権利を放棄すること。」 と規定するとおり、市が賠償請求権を放棄する場合、議会の議決が必要と定める。自治体にとっては、議会の議決を得た場合、責任を追及されない「お墨付き」を得たことになる。
【司法判断】
判決期日はいったん取り消され10月29日には口頭弁論が再開された。その際に市側は、請求権放棄の議決があったことについて、「住民の代表によって構成される議会で可決された以上、十分に尊重される必要がある」と主張し、それに対し住民側は「議決に公益性はなく、市に損害を与えるだけのものだ」と主張し、改めて結審した。判決は12月24日に言い渡されることとなった。
【上記案件以外にもこのような住民訴訟が議会で損害賠償を求める権利を放棄する議決が行われることがある】
上記のように、損害賠償を求める権利を放棄する議決が行われると、住民側の逆転敗訴となるケイスが全国で相次いでいる。
山梨県旧玉穂町(現中央市)では、元町長がかかわったとされる談合事件に絡み、住民が元町長を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こした。05年、甲府地裁は元町長に約1億4千万円の支払いを命じたが、翌06年、町議会がさくら市と同様に請求権を放棄する議決を行った。すると同年、東京高裁は「損害賠償請求権は消滅している」とし、住民側敗訴の判決を出した。最高裁が棄却し、07年に住民側の敗訴が確定した。
千葉県鋸南町や埼玉県久喜市でも議会の請求権放棄により、一審で勝訴した住民側が上級審で逆転敗訴した。
住民敗訴が相次ぐ理由としては、地方自治法の改正(悪?)によって、住民訴訟制度が変更されたことにともなうものと考えることできる。同法では、以前は首長や職員個人を直接訴えることができたが、地方自治法が02年に改正され、首長や職員個人に損害賠償を求めることから、自治体を被告にして住民が訴える仕組みに変わったのである。首長個人が被告になると、個人で対応せざるをえず、敗訴した場合は訴訟費用まで負担する必要があるなど「精神的、経済的負担が重い」との声が自治体関係者から上がっていたことを反映させて同法は変更された経緯がある。
一方、大阪府茨木市であった臨時職員への「一時金」支出をめぐる住民訴訟では、異なる司法判断が下された。それは、一審判決で、市が市長に約6600万円を請求するよう命じられたのを受け、市議会が請求権放棄を議決したが、昨年、控訴審で再び市側は敗訴したというものである。
〈議会による請求権放棄が問題となった主な訴訟〉
◆鋸南町(きょなんまち)(千葉県)
納税貯蓄組合への補助金295万円の返還を町長に求めた訴訟。98年4月、請求権放棄。04年10月、最高裁で住民側の敗訴確定
◆久喜市(埼玉県) 土地区画整理組合に派遣した市職員2人に支払った給与など約3710万円の返還を市長らに求めた訴訟。06年6月、請求権放棄。07年12月、最高裁で住民側の敗訴確定
◆旧玉穂町(たまほちょう)(山梨県) 建設業者に公共工事の予定価格を教え、落札価格をつり上げたとされる元町長に対する損害賠償訴訟。06年2月、請求権放棄。07年3月、最高裁で住民側の敗訴確定
◆茨木市(大阪府) 臨時職員に支払った条例に規定がない「一時金」の計約5億1千万円の返還を市長らに求めた訴訟。一審で市が敗訴した後の08年6月、請求権放棄。二審も敗訴し、市側が上告中
◆神戸市(兵庫県) 外郭団体に派遣した職員に支給した人件費約72億5千万円の返還を市長らに求めた訴訟。二審で市が敗訴した後の09年2月、請求権放棄。市側が上告したところ、09年11月27日に、大阪高裁が市議会の議決を「議決権の乱用で無効」とする判断を示し、一審では約45億円を違法支出とし、矢田立郎市長と外郭団体に返還させるよう市に命じたが、二審では約55億4千万円を返還請求の対象になるとした。
これに対し、「首長らへの債権放棄の議決を無効とする司法判断は初めて。各地の行政や議会への警鐘となる」とのコメントを、阿部泰隆(中央大学)教授は朝日新聞に寄せており、同判決に自民党神戸市議団幹部は「市長個人で払えるわけがない。万引きで死刑判決を下すようなものだ」との発言があったことを朝日新聞は伝えていた。
◆檜原村(東京都) 非常勤職員への賃金支出が不当だとして、村長に約1300万円の返還を求めた訴訟。二審で村が敗訴した後の09年3月、請求権放棄。村側が上告中。
【地方制度調査会の動き】
議会による請求権放棄を問題視した政府の地方制度調査会は平成21年6月16日、当時の麻生太郎首相に対し、「4号訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権を当該訴訟の係属中に放棄することは、住民に対し裁判所への出訴を認めた住民訴訟制度の趣旨を損なうこととなりかねない」として、「4号訴訟の係属中は、当該訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権の放棄を制限するような措置を講ずるべきである」と答申した。これを受け、総務省で地方自治法改正に向けた検討が進んでいる。
3、『行政法』の教科書にみる住民監査請求、住民訴訟についての記述
藤井俊夫『行政法総論』〔第四版〕(成文堂、2005年)
行政事件訴訟には、まず、大別して抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟、および機関訴訟がある。
【民衆訴訟】tax payer suit
抗告訴訟および当事者訴訟は自己の法律上の権利・利益を侵害された個人が行政(国・地方公共団体)を相手として提起する訴訟である(そこで、これを主観訴訟とよばれることもある)。これに対して、民衆訴訟は自己の個人的な権利・利益の保護よりもむしろ行政の法適合性の確保そのものを目的として、国・地方公共団体等の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟である(行政事件訴訟法5条)。そこで、これは客観訴訟ともよばれている。但し、それだけに、この訴訟は例外的なもので、法律に定める場合にのみ、また法律の定める者のみが提起できるにすぎない(同法42条)。この例としては、公職選挙法における選挙無効または当選無効の訴訟とか地方自治法242条の2における住民訴訟などがある。
地方自治法における住民訴訟は、地方自治法242条の住民監査請求がその前提となっている。
すなわち、まず、地方公共団体の住民は、その地方公共団体の長、委員会、委員または職員について、違法もしくは不当な公金の支出、財産の管理、契約の締結等があったと認めるときは、これらを証する書面を添え監査委員に対し、監査を求め、その行為を防止、是正し、もしくは怠る事実を改め、または、損害の補填に必要な措置を講ずべきことを請求できるとされている(同条1項)。
その上で、地方公共団体の住民は、監査委員の監査の結果とか議会、長、職員等の措置などに不服があるとき、または、議会、長、職員等が勧告された措置を講じないときには、裁判所に対し、右の請求に係る違法な行為または怠る事実につき、訴えをもって以下の請求をすることができるとされる。
すなわち、問題の行為の差止め請求(1号請求)、問題の処分の取消または無効確認請求(2号請求)、問題の怠る事実の違法確認請求(3号請求)、職員等に対する損害賠償または不当利得返還請求をすべきことを地方公共団体の執行機関または職員に対して求める請求(4号請求)である(なお、この4号請求は、平成14年の法改正により、長や職員個人を被告とするものから、地方公共団体の執行機関等を被告とするものに変更されている)。
なお、この住民監査請求および住民訴訟は、本来は、地方自治財務行政の適正な運営の確保を目的とするものである。pp.276-279(下線報告者)
櫻井敬子・橋本博之『現代行政法』(有斐閣、2004年)
【民衆訴訟】
民衆訴訟とは、原告が「自己の法律上の利益にかかわらない資格」で提起する訴訟類型である。(行訴法5条)
4、蝉川千代(川崎市職員)『住民訴訟制度と地方議会の権限』(上)―四号訴訟に対する債権放棄を中心に、について
1 序論
(1)住民訴訟
「住民訴訟制度は、昭和23年にアメリカの納税者訴訟をモデルに導入され、昭和38年の地方自治法改正において、日本独自の規定が盛り込まれた。平成14年には、4号訴訟を中心に変更が加えられ、同年9月より施行されている。」
(2)地方公共団体の訴訟外の行為と住民訴訟
「住民訴訟の提起は、地方公共団体の事務執行を制限しない。このため、住民訴訟制度の趣旨を阻害するとも思われる地方公共団体の行為が行われる場合がある。」
「C市の住民が、D前市長の行った補助金支出行為を違法として、C市市長のDに対する損害賠償請求の行使の義務付けを求める訴訟を提起した。本件訴訟の係属中に、C市市議会がDに対する権利放棄の議決を行った。」
(3)従来の状況
「これまで、地方公共団体が住民訴訟係属中に訴訟外の行為を行い、訴訟の帰趨との関係が問われていたのは、主として旧1号訴訟であった。
判例は、差止め請求は当該行為がなされる以前か、それがなされつつあるときにのみ認められ、違法行為の差止め訴訟係属中にその行為がなされ、終了したときは、その訴えの利益は消滅に帰するとしている。判例は、訴訟係属中に地方公共団体が訴訟外で対象となる行為を行うことを認めており、学説も同様にこれを認めている。」
(4)鋸南町事件
「原告がその行使を求めている請求権を、地方公共団体が放棄することに問題はないのだろうか。
4号訴訟係属中の債権放棄は、住民訴訟の制度趣旨との関係で問題をはらんでいると思われる。すなわち、権利放棄に関する現行法の解釈、及び立法による手当ての必要性の二つの次元においてである。
この問題が実際に議論された事件として鋸南町納税貯蓄組合補助金交付事件がある。この事件は、長に対する損害賠償の請求を行った住民訴訟の係属中に、議会が長に対する損害賠償請求権を放棄したという事件である。
同事件について、一審判決は、「住民訴訟提起後、議会が同条(自治法242条の2)1項4号の代位の対象となった損害賠償請求権を放棄することは、住民訴訟の制度趣旨を失わせる結果となること、(略)議会の権利放棄の議決により、違法に公金を支出したことが適法となるものではないことからすると、(略)本件権利放棄の議決は、原告に対して、効力を有しないと認めるのが相当である。」とし、長(係属中に死亡したため継承人)の損害賠償責任を認めた。
(5)本稿の目的
「住民訴訟制度の趣旨を害するおそれがあると考えられる地方公共団体の権利放棄については、(略)どのような場合に議決による権利放棄が制限され、どのような場合に許容されるのか、現在のところ、具体的な検討は行われていない。
しかし、4号訴訟に対する債権放棄に関する検討は、現在も重要であると考える。その理由は以下の2点である。
第一に、権利放棄という行為の性質である。権利放棄は、地方公共団体の有する財産権その他の権益を対価なく減少させる行為であり、公益に反する可能性が極めて高い。」
「鋸南町事件控訴審判決は、議決による権利放棄の実体的限界について何も示しておらず、批判のあるところである。」
「第二に、法が住民訴訟を設けたことの関係である。4号訴訟において、原告の請求が認められるためには、請求権の存在が前提となる。そのため、訴訟係属中に地方公共団体が債権放棄を行うと、裁判所は当該債権の存否について先に判断する。そして、債権の消滅が認定されると、原告の請求は棄却されてしまう。
このように、訴訟係属中の債権放棄は、請求権発生の原因である財務会計上の行為の違法性について、裁判所の判断が示されることなく、訴訟を終了させる効果を持つ。」
2 本問題における法的検討
1 訴訟係属中の債権放棄の適切性
(1) 訴訟係属中の債権放棄の法政策上の適切性
4号訴訟係属中に、原告がその行使を求める債権を、議会が放棄することは法政策上適切だろうか。
1)「議会といえども、住民訴訟を取り下げたり、終了させたりする目的の議決を行うことはできない。よって、そのような議決は、違法無効である。」
2)「4号訴訟において、地方公共団体が当初予定していた事務は、損害賠償の請求や強制執行を行なわないことである。このように4号訴訟では、不作為が当初予定していた事務執行となる。この点、訴訟が係属しても債権の請求や強制執行が行われるわけではなく、不作為はなんら阻害されない。
このことから、係属中の債権放棄によって除去される、地方公共団体が当初予定していた事務の障害というものが存在しないことが判明する。」
3)「訴訟係属中の債権放棄は、地方公共団体が当初予定していた事務の停滞を阻止するためではなく、訴訟を終了させることを目的としていると強く推定される。このような行為は、法が住民訴訟制度を設けたこととの関係から、適切でないといえる。それゆえ、訴訟係属中の債権放棄は禁止とすべきであると考える。」
(2)現行法の解釈としての検討
現行法の解釈として、訴訟係属中の債権放棄を違法とする解釈が導けるだろうか。
A説:訴訟係属中の債権放棄は一律に違法とする立場(鋸南町事件地裁判決、神戸市事件地裁と高裁判決)
⇒(ア)非訟事件手続法76条の類推適用(76条申請ヲ許可シタル裁判ハ職権ヲ以テ之ヲ債務者ニ告知スヘシ)
旧4号訴訟が代位訴訟の形態を採っていたことを根拠とする
「原告自らが地方公共団体に対し債権を有しているわけではなく、住民という立場から、地方公共団体全体のために訴訟を提起しているに過ぎない。このように、自ら債権を有していない住民訴訟の原告の利益と、自らの債権を保全しようする債権者の利益とを同視することはできないであろう。」
「平成14年法改正により、4号訴訟の訴訟形態は、住民が地方公共団体を被告として訴える形となった。これにより、住民が地方公共団体を代位するということは観念しえなくなり、この点からも、非訟事件手続法76条を類推適用することはできない。」
(イ)権利放棄の効果
「執行機関等に対し損害賠償等の請求をすべきことを義務付ける4号訴訟において、原告の請求が認められるためには、地方公共団体が損害賠償請求権を有していることが前提となる。そのため、訴訟係属中に債権が放棄されると、裁判所は、損害発生の元となった財務会計上の行為の違法性を審査する前に、債権の存非について判断を行う。つまり、債権の構造上考えにくく、権利放棄の効果を理由に、訴訟係属中の債権放棄を違法とすることは困難である。」
(ウ)住民訴訟の制度趣旨
「地方公共団体の財務統制の特色は、議会による統制のほかに、監査委員による統制、住民による統制が用意されている。」
「住民は、住民訴訟を用いて財務統制を行うことができる。しかし、それは裁判所による司法審査を経て、認容判決を得た場合に限られると考えられる。すなわち、訴訟が係属しただけでは、住民の判断に統制主体としての正当性があるとはいえず、自治法96条1項10号によって正当性が与えられた議会の判断と同等に扱うことはできないであろう。」
【小括】
「このように、訴訟係属中の債権放棄を一律に違法とする鋸南町事件地裁判決の立場(A説)は、十分な根拠を持たないと思われる。」
B説:訴訟係属中の債権放棄は、一定の要件の下において適法とする立場(安塚町事件高裁判決)
⇒高裁判決によると、「専ら特定の個人の利益を図る目的をもってされた場合等、同号が権利の放棄を認めうるような特別の事情がある場合には、当該議決は、議会にゆだねられた権限を濫用し、又はその範囲を逸脱するものとして、違法となり、その効力が否定されるものと解するのが相当である」とする。
地方公共団体は、住民の福祉の増進を図る目的を持つ団体(自治法1条の二1項)である。住民の代表機関である議会といえども、地方公共団体の目的と異なる判断を行う可能性があることに鑑みれば、一定の場合に債権放棄が違法と評価される場合もあると思われる。したがって、安塚町事件高裁判決のいうような内在的な制約が、法96条1項10号には含まれていると解される。
以上から、現行法の解釈としては、一定の要件の下に訴訟係属中の債権放棄を適法とする立場(B説)が妥当であると思われる。訴訟係属中の債権放棄を一律に適法とする立場(C説)は、自治法96条1項10号の趣旨を考えると、支持しがたい。
C説:訴訟係属中の債権放棄は一律に適法とする立場(鋸南町事件高裁判決、安塚町事件地裁判決)
⇒「訴訟係属中の債権放棄を違法とする明文の規定は存在しない。そのため、鋸南町事件高裁判決、安塚町事件地裁判決は、議決の成立要件を満たせば、債権放棄を適法であるとする。
【小括】
以上の検討から、鋸南町事件高裁判決・安塚町事件地裁判決のように訴訟係属中の債権放棄を一律に適法(C説)と解するのは、議決に関する住民訴訟の従来の判例の立場と異なり、自治法96条1項10号の趣旨からも行き過ぎであることが判った。
とはいえ、自治法96条1項10号に権利放棄の規定があるため、訴訟係属中の債権放棄を一律に違法(A説)と解釈することは困難である。現行法の解釈としては、一定の要件の下に訴訟係属中の債権放棄を適法(B説)とするのが限界である。
【若干のコメント】
このように、蝉川氏による論考の結果、「訴訟係属中の債権放棄を一律に違法と解釈することは困難である」ことがわかり、あわせて、「一律に適法と解するのは」、地方自治法の趣旨から行き過ぎであることもわかった。
そこで、評者は、あまりに高額な賠償請求を個人に担わせることは現実的ではなく、そのような場合には、一定期間の公民権の停止をそれに代わる措置にしたほうが、より現実に即した対応だと考える。