【箇所】一橋大学 国際・公共政策大学院 公共法政プログラム
一橋大学大学院 法学研究科 修士課程・博士後期課程
【科目】行政学Ⅱ・応用:行政学特殊問題第二
【開講学期】2011年度 夏学期[2単位]
【担当】辻 琢也 教授〈一橋大学大学院 法学研究科〉
【課題】外部講師によるオムニバス講義。13回にわたる講義であったが、そのうち4人の講師による講義についてのコメントを付す。
「行政学Ⅱ・応用」期末リポート
1、4月19日 総務省住民制度課「住民基本台帳に関する最近の動きについて」
【課題】
講師は、住民票コードを検索キーとして、ネットワーク化された住民基本台帳に接続することによって、全国共通の本人確認システムに参加でき、本人確認の4情報(氏名・住所・生年月日・性別)が、簡便にして正確に出来るようになったことを指摘していたが、今般の大震災で被災された方々ならば兎も角、それ以外の大多数の国民は、住民基本台帳ネットワークの利便性をさほど認識していない。
その理由は、個人情報が政府によって集約・管理されることに対する、国民の根強い不信感が未だ完全には払拭されていないこと、肝腎の利便性が認知されていないことの2点にあると思われる。従って、住民基本台帳ネットワークに一層の利便性と安全性が備われば、普及率は自ずと上がるであろう。
【解決策】
消費税の導入が行われる際、消費税の逆進的な面を是正するために、低所得者への対策が求められ、それを北欧では実施しているが、我が国では消費税率が低いこともあり一律の税率を課している。低所得者への配慮では、政府が個々の国民の本当の所得を知らなければ有効な対策を講じることはできない。例えば、政府が個人情報を正確に把握していれば、消えた年金問題は起こってはいなかったのである。これらのことを考えると、徴税を含めて、個人情報を政府が正しく管理することで、政府には多大の便益がもたらされる。
ただし、その際留意しなければならないのは、個人情報は政府で一元管理するべきではなく、データベースを省庁ごとに分散管理し、個人情報を利用できる事務の種類や情報の提供先を個別に法律や政令で指定し、それ以外の利用は認めないようにすることである。
その結果、情報管理には手間を取られることになるが、情報漏れによる被害は極力抑えられ、それがひいては、個人情報の政府利用に国民の理解を得ることに資するからである。
個人情報の監理では、自分の情報をいつ誰が閲覧したのか、本人が調べることができるようにすることは、自己情報を自ら監理する視角を持ち込むことになるため、重視される。
さらに、個人情報の扱いを監視する独立性の高い第三者機関を設置し、そこに、立ち入り検査や勧告などの権限を付与し、情報を故意に漏洩した者には罰則を与えるといったことも制度化しなければならないであろう。これらの対策を講じることによって、住民基本台帳ネットワークシステムとプライバシー保護の関係が争われた裁判で、最高裁が求めた安全措置に配慮した制度が担保されたことになるのである。
つまり、「住民基本台帳に関する最近の動きについて」の講義であれば、その住民基本台帳ネットワークが今日あるように構築され、それを今後、発展・展開させることによって、いかに国民生活に資することになるのかを、多くの事象によって国民に告知させることが大事であり、その際、この住民基本台帳ネットワークでは個人情報がみだりに漏洩されることがなく、安全性には二重三重のセイフティネットが張られ、自らの情報は自らコントロールできることを、改めて聴く者にわかりやすく知らしめるべきであったのである。
2、6月7日 厚生労働省 障害福祉課「障害福祉改革ついて」
【課題】
講師は、身体障害者福祉と知的障害者福祉を対象とした、2003年4月から始まった「支援費制度」は、2006年3月に終わったことを自ら指摘し、3年というきわめて短い期間をもって終焉してしまった同制度を否定的な視角から解説していた。
しかし、支援費制度は、講師が指摘するほどにネガティヴな制度といえるのであろうか。評者であれば、支援費制度をよりアファーマティヴな視角を以て指摘するところである。
【解決策】
2006年から施行された「障害者自立支援法」に先立ち、支援費制度は2003年から施行された。その支援費制度は、居宅(ホームヘルプサービス・デイサービス・ショートスティ・グループホーム)と施設(作業施設・入所施設等)サービスを利用できる制度であった。
同制度は、障害者と高齢者制度の一本化(障害者制度と介護保険との統合)への発端となりうることから、障害者側からの異論はあったものの、障害者福祉における「措置から契約へ」の移行、事業者を自ら選択できる障害者の自己決定権の尊重、事業者と利用者の対等性など、利用者にとって少なくない利点が指摘され、その結果、厚生労働省の予測以上に同制度は利用されることとなった。このように利用者、利用量が増加した背景には、従前からある障害者制度が、じつはあまりにも使いにくい制度だったことが指摘されよう。
その一例を挙げれば、支援費制度施行前の障害者制度(特に在宅系)は、ほとんどが地方自治体の外郭団体(社会福祉協議会や福祉公社等)への委託によって運用されていたため、派遣時間が限られていた(平日の9時から17時までの派遣)ことが指摘されており、特に重度障害者(24時間介護が必要な障害者)には使いづらい制度であったといわれている。
それが、支援費制度が始まったことで、利用者が事業者を選択できるようになり、契約により、どの時間帯にでも派遣してもらえるようになったことの利点は大きく評価された。
同制度は、社会福祉基礎構造改革の流れを受け、障害者福祉に変化をもたらしたものの、利用者が予測を超えて増えすぎた結果、国の予算を圧迫することになった。そのため、早くも制度導入の翌年10月には、「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」が厚生労働省より発表され、物議をかもすことになる(久塚純一、山田省三編『社会保障法解体新書』〔第2版〕2007年、法律文化社、226頁)。
「グランドデザイン」発表の背景には、支援費制度導入で浮き彫りになった問題点を解決する意図があった。まず、市町村間、障害種別間で、サービス提供に格差があること。支援費制度導入等により、サービス利用額の全体が増加しており、制度維持が困難であること。他制度と比べて、利用者負担限度額が低く、公平性を欠くこと等。以上、同制度がもたらした否定的な現象を記したが、同制度の最大の功績としては、上記「措置制度から契約制度への移行」を挙げることができよう。それがひいては、福祉サービスの利用者としての障害者、という新たな障害者像の出現にとって画期をなす制度となったのである。
3、6月21日馬淵澄夫前首相補佐官「福島原発事故対応と今後のエネルギー・日本経済の課題」
【課題】
時事通信社の報道によれば、講義の翌日6月22日も、「都内の料理店で民主党の中堅・若手議員約40人と懇談、菅直人首相の後継を決める次の党代表選について「首相が『若い世代に引き継ぎたい』と言っている。それが全てだ」と述べ、出馬に意欲を示した」馬淵澄夫首相補佐官(当時)の講義であったため、期待して同補佐官の講義に臨んだところ、その講義をつうじて、同氏の政治に取り組む真摯な姿勢は容易に感得することができた。
ただ、講義は表題に沿った内容で行われたため、上記代表選挙に関しては、同氏からは一切発言はなかった。したがって筆者もその件に関する質問は控えた。
さて、肝腎の福島第一原子力発電所の事故であるが、同氏は、政府・東京電力統合対策室での6つあるプロジェクトチームのうち、「中長期対策チーム」のリーダーを務めているとのことなので、講義後あらためて、福島第一原発による災害の収束の目途をうかがったところ、「わからない」というご回答を頂き、それには、言葉をなくしたのであった。
【解決策】
筆者からの上記質問への回答は、科学者としては、正しい発言なのかもしれないが、政治家の発言としては相応しくなく、この回答をきいて納得できる国民はごくわずかにとどまるものと思われた。特に気になったのは、福島県民のうち原発の周辺地域住民で避難生活を余儀無くされている方々にも、同氏は同じような回答をなさっていたのかということである。たしかに、福島第一原発事故のような事態は、人類が初めて立ち会うことなので、それが今後どのように収束するのか、だれにも分からないことゆえ、馬淵氏の回答は正鵠を射ているのかもしれない。
しかし、政治家というものは、言葉で相手を説得しなければならないのであるから、被災者を奈落の底に突き落とそうとするかのような、「わからない」という発言は慎むべきなのではないのか、と強く思った次第である。同じ言葉でも、行政の方がそのような言葉を使うことは、行政訴訟等への対応のために、あるいは止むを得ないことなのかもしれないが、政治家としては不適切な言葉ではないのかと思った。ただ馬淵氏は、筆者が知らないだけで、質問を発した学生への真摯な回答として「わからない」と発言しただけで、被災者へは、希望を持てる回答に終始していたという可能性はある。いずれにしろ、政治家は言葉をつうじて、市民に希望を与えなければならないと筆者は考えており、それを不充分ではあろうが自ら実行しているつもりである。
もうひとつ指摘したいことがある。同氏は、行動経済学のカーネマン教授の「ピーク・エンドの法則」理論を引いて、小泉流の「改革には痛みが伴う」ではなく、気が付けば改革が成し遂げられていた、そんな改革を志向している、とのご発言をなさっていたが、小泉元首相はじつは、「改革には痛みが伴う」というフレーズとともに、通常は、「改革なくして成長なし」という一種のスローガンを多用していた。したがって、同氏の発言は、自分にとって都合のよい言葉だけを抜き出して使っていたきらいがあるものと思われた。
4、6月28日 文部科学省 高等教育企画課「国家戦略と大学改革」
【課題】
頂いた参考資料編の33頁に、「主要な財政的支援の推移」という資料が掲載されているが、そこに「競争主義が徹底するアメリカでも、州政府から州立大学への支出は、設置者主義の考え方のもと、学生数・教員数・プログラム数等に応じて算定され、大学の経営上不可欠」との記述がある。
しかしそこで、我が国の国立大学が法人化された2004年度から、国立大学の運営費交付金が年率1%の減額となっていることに触れていなかった。国公立大学はもとより私立大学も含めて日本の大学は、政府からの補助金がなくては経営が成り立たないところがほとんどであるが、それに関する言及がほとんどなかったことが問題視される。
【解決策】
国立大学が法人化されたのは2004年度のことであり、当年度から2009年度にかけての6年間で「国立大学法人・大学共同利用機関法人の第1期中期」が終わり、今年度(2011年度)は第2期中期の2年度目に当たる。
国立大学法人の経常的な収入は、文部科学省から支給される運営費交付金と、入学検定料、入学料、授業料、医学部附属病院があれば、そこからの収入等によって構成される。その他、文部科学省からの科学研究費、政府各省からの受託研究費、企業からの寄附金・受託研究費等の外部資金が臨時収入として計上される。支出は人件費と物件費に大別される。法人化後、運営費交付金の算定の際、対象となる事業費に原則一律“1%削減”を求めていた「効率化係数」は撤回されたものの、法人化以降5年間で約720 億円もの運営費交付金が削減されてきた経緯がある。これは、医学部を有する国立地方大学の年間予算7校分に匹敵するとの指摘もあるところである。
それにともない、政府は、少数個のプロジェクトに、数億円にものぼる大金を、5年間にわたって拠出し続けるという、「選択と集中」の戦術をとっている。その結果、外部資金の獲得競争において、初期条件の最も有利な東京大学の一人勝ちが続いている。さまざまな資金獲得競争において、旧帝国大学、東京工業大学等の強者が、初期条件に恵まれているがゆえに、この路線がとられる限り、ほぼ確実に現在の優位を維持し続けることであろう。特に、日本の大学では自他共に許す最強の東大による、常に他の強者たちを打ち負かす構図に変化は起こり得ないことも指摘されているところである(佐和隆光「国立大学法人の本来の使命」『経Kei』ダイヤモンド社、2011年6月号、42頁)。
しかし、近年、長引く不況と雇用不安のなか、経済的な理由で、受験生が地元の国立大学に進学する傾向が高まりつつある。米国の著名な学者のなかには、州立大学出身で、有名私立大学大学院に奨学金付きで進学し、輝かしい業績をものしたという経歴の人が少なくなく、日本の国立大学法人は米国の州立大学に、その性質が近づきつつある。PISAのトップランナーであるフィンランドの初等中等教育政策を真似て、大学教育政策においても全体的な「底上げ」を図ることの重要性を指摘するべきであったものと、筆者は考える。