『都市』第63号・2018年6月
牛の声と船の汽笛と長閑なり
消防の訓練中や春一番
階段を一段飛ばし春に入る
雛飾り人の気配を感じをり
パソコンがつながるまでの花曇
牛の声と船の汽笛と長閑なり
消防の訓練中や春一番
階段を一段飛ばし春に入る
雛飾り人の気配を感じをり
パソコンがつながるまでの花曇
冬めくや釣堀へ行く二人連れ
肩に舞ふ落葉や眼鏡くもらせて
冬に入る雨に大股歩きかな
決断を一日延ばし冬の暮
寒紅の唇閉ぢて襷掛け
自選五句
たんぽぽや終に子どもは授からず
寒星やメニューに見入る老夫婦
片想ひ独活の天ぷら噛みしめて
完璧な蟹股歩きやませ吹く
漱石忌卵落としてカリー食ぶ
「俳句と私」
ressentimentというフランス語を、私は日本語として覚えました。
このルサンチマンを、広辞苑(第二版補訂版)にあたると、「怨恨・憎悪・嫉妬などの感情が反復され内攻して心に積っている状態」と記されています。私が俳句を詠むのは、まさにルサンチマンによるのです。
「怨恨・憎悪・嫉妬などの感情が反復され内攻して心に積って」くると、それらを吐露しないと苦しくなります。そんなとき、「こん畜生」とおもいながら俳句を詠むと、心が平らかになってくるのです。花鳥諷詠は、あらばこそ、です。
心に積った憂さを晴らすために、俳句を詠む、これが「俳句と私」とのただならぬ関係です。
サイレンの入り交じりたる秋祭
秋澄んで腕の時計の新しく
理髪店往きも帰りも野菊愛で
新しきネクタイを締め文化祭
宵闇や売りし本また買ひ戻し
相撲取り仰ぎてゐたる柿の花
新茶汲む永の別れを胸に秘め
桑摘むや今年の雨に怯えつつ
ぼうたんの落ちて逃げるや子どもたち
紫蘇香るきれいに空いた耳の穴
桜見て少しく長く歯をみがく
まづなめて肌を味はふ柏餅
米研がず炊くもありなん花魁草
江ノ島の水族館へ袷着て
哲人の貌の乞食聖五月
久方のカフスボタンや冴返る
白梅を腰を伸ばして見入る母
涅槃雪怒るわけにもいかず寝る
動きゐるやうにも見えて春の土
三月や人生決める本を読む
ちやんちやんこ着てバスを待つ夕べかな
漱石忌卵落としてカリー食ぶ
風邪引の妻の味噌汁味薄し
ジャズピアノ聞きつ賀状の宛名書き
正月来ざふきんのなき家庭にも
ごきぶりを殺してのちの葬儀かな
飼犬の鼻の乾きや熱帯夜
何をしたでもなく迎ふ夏夕べ
都県境の橋渡りつつ秋覚ゆ
美しき人のきれいに汗をかく
媼一段おきに駆け上がる秋
服たたむにも癖があり秋の昼
なめこ汁唇にても味はへり
みの虫の茶は他とは違ふ茶色
飼主も犬も走るや冬ぬくし
町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打