朝日新聞紙上において篠田節子はすでに、日曜家庭欄に『寄り道ビアホール』(朝日新聞社、講談社文庫)を連載していますが、同書はエッセイだったために、小説はこの『讃歌』が朝日新聞への初めての連載となります。
本作は2005年4月16日に208回にわたる連載を終えたばかりなので、もちろんまだ刊行されてはおらず、多くの新聞小説がそうであるように、刊行時には本作もまた加筆訂正がなされるものと思われますが、日々の新聞に載っていた小説の感想を、うろ覚えのままに書かせていただくことをまずお断りした上で申し上げますと、ぼくはかなり楽しんで『讃歌』を、読んだのでした。
おそらく本作は、今年のエンタテインメントにおける、稔りある収穫、といっても過言には当たらないと思います。
ごく簡単な梗概を以下に記しますと、天才少女バイオリニストと呼ばれた女性が米国に音楽留学するものの、そこでは満足な結果を残すことが出来ず、それどころか音楽と恋愛の失敗によって彼女は自殺を企てます。
幸いにもそれには失敗し生命は取り留めたものの、半身麻痺の身となって帰国することを余儀なくされます。
そのために長い間、自宅にこもりっきりの生活を余儀なくされましたが、奇跡的に楽器を弾けるまでに体調は恢復し、再び楽器を手にとって演奏活動を始めます。ただし今度は、楽器をヴィオラに持ち替えて。
その演奏があるテレビ関係者の目に留まり、彼女を主人公にしたテレビのドキュメンタリー番組が制作されることになりました。
その番組は大きな成功を収め、権威ある賞を受賞し、その反響から彼女の演奏生活は一変し、一躍時の人となります。ところが……。
といった展開なのですが、本書の素晴らしいところは、後半における主人公の演奏にまつわる謎解きの部分、です。
未読の方々のために、その面白さを詳述できないのは残念なのですが、ある面を多角的に様々な角度からみると、実に様々な見方がある、という書き方は、やはり朝日新聞に連載された宮部みゆきのベストセラー小説『理由』とも重なる手法ですが、それが本作の場合、実にうまく作用しています。
主人公の女性の音楽の評価に関して、たとえば、作者はこんな言葉を関係者に言わせています。
「結局、彼女の実力は、このレベルだったということなのですね」
小野は、そこに並んでいるアニメの主題歌やポップスの曲名に視線を落とす。
「レベルじゃない。資質の問題だ。なぜわからない?」
音楽を始めとして芸術の評価はこのように、素人と専門家との間では、全く異なる、ということは、実はそれほど珍しいことではありません。
それを的確に表現したのが、上記の文章です。
まさにこの“資質”というものが、本作における最も重要なキーワードとなっています。
篠田は先述の『寄り道ビアホール』において、「プロの出番」というタイトルの文章中で、“小説についていえば、真摯な思いのこめられた同人誌作品に対して、プロの書き飛ばした中身のない作品があるなどと言われる。しかし中身以前に、ここにもプロとアマの間に大きな差がある。一言で言えば「もたつき」の有る無しだ。プロの作品に「もたつき」は許されない。”と書いています。
まさに本書は、この言葉を具現化したような作品であって、前半部の素っ気ないまでの文章が、じつは後半の謎解きに至ると、大きな効果を生みだすことになる、という長編小説における前半と後半のバランス感覚=長編小説の骨法を忠実に守った、近来稀に見る読み応えのある小説として、篠田は圧倒的な勝利を本作によってその手に収めています。
ですから、篠田が朝日新聞4月19日夕刊に記すように、“純愛や泣きや人情を超えたところにある、感動とも感慨ともつかぬ複雑な思いを心に刻みつけて”本書を、読み終えることが出来たのです。