町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

城山三郎『官僚たちの夏』(新潮文庫)らん読日記

2005.04.22(金)

 本作はあまりに世評が高く、いまや経済小説の古典といっても好いほどの作品なので、いまさらながらとも思いましたが、念のために記しますと、昭和49年6月から12月まで連載された「週刊朝日」が初出誌です。
 その際のタイトルは『通産官僚たちの夏』でしたが、連載翌年の刊行時に上記のように改題されました。

 世評が高いことの例証として、第1巻に川端康成を戴き、最終の第80巻に古井由吉を据えた“新潮現代文学”という、新潮社から全80巻にわたって刊行された文学全集のうち、城山三郎が担った第56巻に収録されているのが『落日燃ゆ』と、この『官僚たちの夏』であるというトピックをひとつ挙げさせていただきます。

 本書が連載されていた当時は、『通産官僚たちの夏』というタイトルが冠せられていた通り、現在の経済産業省がまだ通商産業省(通産省)と呼ばれていた当時、その次官にまで上り詰めた実在の官僚を主人公に頂いたのが、この小説です。

 本書は上記のように、モデル小説ですが、文中に実名が出ることはありません。けれど容易に、実在の人物を特定することができます。たとえば、元首相の池田勇人や佐藤栄作、田中角栄と思しき政治家が出てきますが、すぐにそれと分かるように著者は書いています。
 昭和40年に亡くなる池田勇人がモデルの一人となっているのですから、本書の時代設定は昭和30年代です。

 その当時から10年以上の時を隔てて執筆された本書はまた、今から30年以上も前に書かれた小説となっています。

 その小説をいま手に取ったその理由は、今春学士入学した早大で「行政学」を担当する辻隆夫教授の参考文献リストのなかに《番外》として、本書が掲示されていたからです。

 本書は唐突に始まるので、その時代設定が判別しにくいのですが、読み進むうちに上記のように昭和30年代のそれも前半であることが、次第に分かってきます。
 今日の行政機関と当時の行政機関とでは、かなり大きな違いがあることでしょう。それが証拠に、上述のようにいまや通商産業省という名称もなくなりました。
 同じようにその当時の官僚と現在の官僚とでは、内実にかなり大きな違いがあるのでしょうが、もちろんぼくにその実際のところが分かろうはずが、ありません。

 たとえば所轄大臣に対し、〈無定量・無際限〉に働き続けた秘書官が出てきますが、そういう秘書官が今でもいるのかどうかは、確かめようがないからです。

 ただ、そういう働き方を大臣が秘書官に強要し、それを反撥しながらも結局は受け容れる官僚が、当時ならばいてもそれは、ごく当然のことである、と思わせる熱気が当時の通産省には、間違いなくあったことは、容易に納得できるのです。
 それは善悪の問題ではなく、世界的な競争に参加し、ライバルと拮抗できる力を持った民間企業がまだまだ少なかった当時の日本の産業界では、通産省の役割が今と比べて段違いに重要だったために、ある意味で当然のことだったのです。

 翻って、今日の官僚の実態を著した作品に見るべきものが少ないとぼくが思うのは、ぼくが出版界の実情を知らないためなのか、それとも実際に優れた著作がないためなのか、あるいは小説のモデルを担えるような、個性的で有能な官僚が今日の霞が関からいなくなってしまったためなのか、それを知りたいと強く感じたのは、他ならず本書が描いた官僚の大半が極めて魅力に富んだ逸材揃いだった、という好き証拠となるのです。

 なによりも、当時の中央政府官僚は日本という国家のことを真率に考えていたことは、否定できない事実です。

 それに較べて今日の官僚は国民にどのように思われているのでしょうか。こんなデータがあります。
 人事院による、平成16年度第3回「国家公務員に関するモニター」アンケート調査結果によれば、国家公務員に対して信頼感を持っていると答えたモニターが12.1%しかおらず、なんと85%のモニターが、国家公務員の一部または全般に不信感を抱いているのです。

 ちなみに、国家公務員の信頼感をテーマにしたアンケートを採ったのは、今回が初めてということですが、そんなアンケートをとらなければいけないと人事院が判断するほどに、国家公務員を信頼している人が減ってきているのです。

 実際のところ、ぼくもこのときのモニターとして、回答したのですが、そのときは“職員の一部には信頼感を持っているが、全般的には持っていない”の欄にマルを付けました。
 21世紀初頭の国家公務員が、国民からこれほどまでに信頼感を持たれていないことを当時の公務員が知ったら、さぞや嘆いたことでしょう。

 最後に、著者の年譜を見ていて、城山三郎が大学在学中にキリスト教の洗礼を受けていた事実を、初めて知ったことを付記します。