【科目】2005年度 早稲田大学 社会科学部 環境社会論Ⅰ
【担当】坪郷 實〈早稲田大学 社会科学総合学術院〉教授
【読書レポート】『リサイクル社会への道』(岩波新書)
【字数制限】3,000字
1、要旨
ブックカバーの帯に“21世紀の地球をごみで埋め尽さないために”(第1刷)という惹句を付していることからも分かるように、ごみをどのような方途で減量し、リサイクル社会をいかにしたら築くことができるのか、それにあたって市民、企業、行政はどのように取り組んだらよいのかを考究したものが、本書『リサイクル社会への道』である。
本書は、全7章に及ぶので、章ごとの要旨を以下に記す。
〔第1章 危機への挑戦〕
近年、ごみ問題が再び脚光を浴びており、その特徴として、埋立地の確保が困難化している事例が、挙げられる。
“ごみゼロ”ないし“埋め立てごみゼロ”を実現しない限り、最終処分地すなわち、埋立地の確保は必要不可欠なものであるが、経済の高度成長とともに都市化、宅地化が進むにつれて、埋立地を新たに見出すのはますます困難化している。
その事情は、広大な国土を持つ米国でも同じであり、シアトル市では、処分地をいかに閉鎖するか、もうひとつは、新たに取得した処分地が、市から480kmも離れているという二つの問題と直面することになった。そのために、市はごみの減量を徹底的に行う必要に迫られ、遂にはそれを成し遂げることに成功したという事例が紹介される。
国内においては、名古屋市が「ごみ非常事態宣言」を行った。それは、市が新たなごみ処分場として準備していた干潟地が自然保護の観点から、事業の中止を余儀なくされたからである。
ところが名古屋市は、その逆風を「追い風に変え」て、市民、事業者、市がごみ減量に取組み、その結果、「名古屋のごみ事情は一変した」といわれるほどの効果をあげた。
〔第2章 ごみ・リサイクル最新事情〕
1970年に制定された「廃掃法」によって、自治体は一般廃棄物のすべての処理をしなければいけないわけではない、と規定された。にもかかわらず、事業者の責務を徹底させる法的仕組みが十分ではなく、また、行政区域外の企業に権限を行使できないために、処理困難なものの処理まで、自治体が引き受けざるを得ない事情に言及する。
1980年代においては、経済成長につれてごみ、特に事業系のごみが急激に増えていた。それが、1990年代に入ると、事業系のごみは減少していった。それは、自治体が実施した減量施策、特に全量有料化の効果が現れたからである。
〔第2章 品目別に見たリサイクル〕
一般廃棄物の内訳は、生ごみ、古紙、容器包装がその主要なものである。
古紙はリサイクルにおいて、50%を越える優等生である。
容器包装に関しては、「容リ法」が施行されたことによって、部分的にせよ拡大生産者責任が導入された。ただ近年の問題として、リターナブル瓶の使用激減が挙げられる。
〔第4章 リサイクル社会とは何か〕
東大の小宮山宏教授によれば、事態を現状のままで放置すると、2050年までに地球が破滅しているかもしれないので、それを克服するために、次のような方法を提案する。
(1)エネルギーの消費効率を現状の3倍以上に高める。
(2)物質循環システムを築く。
(3)自然エネルギーの生産能力を現状の2倍に高める。
著書は、環境問題への取り組みにしろ、リサイクル社会のあり方にしろ、役割相乗型の社会システムを築いていくためのものでなければならないと、考えている。
それは、公共セクター、民間セクター、市民、企業、行政のそれぞれの役割を適切に組み合わせ、それによって得られる相乗的な効果をできるだけ大きくしていくことである。
次に著者は、リサイクル型の社会を築くことを提案する。
〔第5章 リサイクル社会を築くために〕
リサイクル社会を築いていくうえで検討を要する基本問題の一つは、主体論にある。
現在自治体が一般廃棄物の処理・再利用の実施主体になっているのは、住民や事業者の代行者としての立場からであり、もともと住民や事業者に責任があるのであって、自治体はその代行者である、という発想に改めていく必要があると、著者は記す。
日野市がごみ収集を有料化したところ、劇的にごみが減量した事例を引いた後で、環境面での住民意識の変化を挙げ、なかでも合併によってごみ収集が“無料化”された旧与野市では、有料制を求める請願が出された事例を紹介する。
〔第6章 ごみ問題と市民、企業、そして行政〕
市民、企業、及び行政の三者によるパートナーシップは、公共政策を通じて初めて現実のものとなる。
行政に関しては、リサイクル社会を築くために必要となっている政策の形成は、国にその役割を求めざるを得なくなっている。
その際、この国の集権的機能の拡大は、必ずしも地方自治の制約や分権の縮小につながるものではなく、むしろそれは、自治体や民間の努力に応えるものである。
日独の環境問題をめぐる調査結果は、意外なものも含まれていた。
それによれば、日本の方がドイツよりもごみや環境の問題を深刻に捉えている消費者が多かった。ところが、日常生活をみるとドイツ人のほうが、環境に配慮した行動をとる人の割合が高い。
その要因として、著者は家庭教育、責任感、ごみ収集の有料制を挙げている。
〔第7章 廃棄物ゼロ社会を求めて〕
ごみの処理とリサイクルは、一体のものとして理解しなければいけないことを、強調している。その例として、リサイクル事業でのごみ処理収入とリサイクル収入とを一体化することの経済的メリットを、著者は説く。
最後に著者は、リサイクル社会を築く政策課題として、三つの柱に言及する。
それは、経済、技術、コミュニティである。
この三つを、自治体は、各地方の特性や条件を活かしながら、有機的に結合していくこと、それによってリサイクル社会を築き発展させていくことが求められている、と記し本書を結ぶ。
1、論評
上記のように、リサイクル社会を築くために、経済、技術、コミュニティの三者が協働して有機的に結合することに、評者はなんら異存はなく、むしろそれは不可欠なものであると認識するものだが、以下の2点について、字数制限内で論評を加える。
1)NIMBYと呼ばれる、施設周辺の住民による反対運動への対処が、あまりに楽観的であり、かつまた無策に過ぎないだろうか。
評者はその解決策として、迷惑施設の近隣に公務員住宅を建て、住まわせることによって迷惑施設の実態をその政策を推進する者が先ず体験する仕組みを作るべきだと考える。
2)P.74において、RDFに触れているが、RDFの安全性確保の視点が欠落しているのが、腑に落ちなかった。三重県での死傷事故の例もあるので、先ず安全性を確保すべきである。