梶井基次郎の『檸檬』は、大正十三年十月に完成をみた小説だそうですが、今日にも通ずる面を多くもった作品です。
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」との書き出しは、カフカの『変身』の冒頭を想起させ、現代人が共通してもつ愁訴をまず露呈させます。
この”不吉な塊″は、「えたいの知れない」ものであるがゆえに、現代性を獲得しているのです。
面白いのは、”不吉な塊″はえたいの知れないものですが、それを鎮めるのは、丸善であり、檸檬であるといった具合に、個別具体的な物象であることです。
こうして、具体的個別な「物」のみが、えたいの知れない不吉な塊をもった現代人を癒してくれることを、梶井は図ったように読者に教えてくれたのでした。