【箇所】20007年度前期 早稲田大学大学院 社会科学研究科
【科目】公共経営論Ⅰ
【担当】片山 泰輔〈静岡文化芸術大学 文化政策学部〉教授
【著者】金 基成〈山梨大学大学院 生命環境学専攻〉准教授
「社会関係資本と地方政府の役割」―制度と文化の相互強化的好循環の可能性―
※ 要約
本研究の目的は、政府政策が社会関係資本(ソーシャルキャピタル)の形成とパフォーマンスの向上に影響するという、最近の社会関係資本概念を巡る理論的論点の蓋然性について、日本の事例を通じて検討することである。
そのため、まず、ソーシャルキャピタルを媒介にした、制度要因と文化要因の相互強化的な好循環の可能性を明らかにする。
さらに、非西欧的な文脈にある日本の事例の中でも、このような新しい理論的観点の蓋然性を裏付ける好例が存在することを明らかにする。
それが、宮崎県綾町と東京都三鷹市である。
1.はじめに
信頼性、社会的ネットワーク、相互性の規範と定義される社会関係資本(social capital)は、民主主義政治体制における制度パフォーマンスに肯定的効果をもたらすとされている。
パットナムの研究によれば、このような社会関係資本はマクロ的な文化要因によって影響される。
また、最近ホールによって提起された観点によれば、ソーシャルキャピタルの形成は、比較的に短期間で政府政策など制度的要因の影響を受ける。
日本において、ソーシャルキャピタルのパフォーマンスが好いとされている、宮崎県綾町と東京都三鷹市は、その好例であるが、その発展過程では、ソーシャルキャピタルの形成とその民主的動員に積極的であった、首長の強いリーダーシップと制度的工夫が重要な役割を果たしていることが明らかにされる。
2.社会関係資本論の到達点
2.1. 社会関係資本の捉え方
民主主義制度が効果的に機能するためには、信頼感と相互性に基づく市民のネットワークが不可欠である。
パットナムはそれを、社会関係資本(social capital)とみなす。
彼によれば、ソーシャルキャピタルは、社会経済的要因の従属変数ではなく、独立変数として機能しているとされ、これは、伝統的近代化論の仮説とは異なる視点である。
パットナムによれば、市民の間に存在する連帯的な相互性とそのネットワークは、社会的存在としての生活を豊かにするものであり、それだからこそ、良いパフォーマンスをもたらすものである。
パットナムは、自らの研究に対する批判を整理し、ソーシャルキャピタルをより明確に以下のように整理している。
1)胎生的にコミュニティー的連帯感の回復を意識した概念である。
つまり、市民的連帯感の減少とは対極にある概念が、このソーシャルキャピタルである。
2)悪いソーシャルキャピタルも想定できるが、ソーシャルキャピタルの本質は、その肯定的な外部効果、つまり広く公共的な便益をもたらすことにあるために、それを詮索する利点より、詮索しない利点のほうが大きい。
3)ソーシャルキャピタルに影響を及ぼす要因として、マクロ的な政治文化以外にも、制度的要因、とりわけ政治的リーダーシップは、形成に直接影響を与える重要な要因である。
ソーシャルキャピタルへの関心が高まるなか、理論解説、統計的比較や応用研究、理論研究などの研究が行われている。特に、規範的な理論研究は、市民社会論や討議民主主義の観点からソーシャルキャピタルを捉えている点に特徴がある。
しかし、研究の対象として、自治体に着目した研究は意外なことに存在しない。
2.2. 制度イニシアティブへの注目
ソーシャルキャピタルの捉え方を決定的に転換させたのは、ホールの批判である。
その批判の核心は、社会関係資本論には制度的要因を軽視している傾向があるというものであった。
つまり、従来の観点では、ソーシャルキャピタルは文化的歴史的要因によって形成されたものとされ、制度的要因の存在に気づいていないのではないかという批判を行った。
アメリカではコミュニティーの崩壊とソーシャルキャピタルの欠損とは、正の相関関係があるとするが、イギリスでは、そのようなことはなく、ソーシャルキャピタルは一定の水準で維持されてきたと、ホールはその研究によって、明らかにした。
この英米での相違は、イギリスにおける以下の3点の指摘によって、明瞭化された。
1)高い教育水準とコミュニティーへの関与度との間には正の相関関係がある。
2)中産階級であるほどコミュニティーへの関与度が高い。
3)イギリスの歴代政府は、ボランティア・セクターとのパートナーシップを重視してきた。
ホールの研究によって、従来は、ソーシャルキャピタルが政府のパフォーマンスに影響を与えるという因果関係だけを前提にしてきたが、政府政策も比較的に短期間でソーシャルキャピタルの形成に影響できる、という新しい因果関係を示唆した。
こうして、ソーシャルキャピタルは制度要因によっても影響されるという立場に立てば、ソーシャルキャピタルの形成に関する論理的行き詰まりや政策的不妊性の問題を解決できるようになる。
社会関係資本論の文化決定論に対するホールの批判は、ソーシャルキャピタルを媒介にした制度要因と文化要因の相互強化的な好循環を示唆している。
2.3. 理論的到達点の含意
以上の論点から下記のことを指摘できる。
1)ソーシャルキャピタルは、価値指向的概念である。
つまり、ソーシャルキャピタルは、市民社会、参加民主主義、討議民主主義と親和性を持つ概念である。
2)ソーシャルキャピタルの有効性は、局外者にも広く便益をもたらす外部効果にある。
3)ソーシャルキャピタルを維持、発展させていくうえで、政府の政策やリーダーシップは歴史的文化的な土壌よりも、重要な役割を果たす。
4)自治体政府は、将来のパフォーマンスを決める鍵となる政策となるために、ソーシャルキャピタルの形成に積極的でなければならない。
3.日本の事例を対象とした蓋然性の検討
政策パフォーマンスを向上させるソーシャルキャピタルは、政策を通じて比較的に短期間で形成させることができる、その実践例を、綾町と三鷹市に求め、その発展過程を分析する。
3.1. 先進自治体としての名声
宮崎県綾町は、中山間地域[1]の過疎の町から、全国的に有名な有機農業の町として生まれ変わり、自然生態系農業のまちづくりという政策目標を達成してきている。
東京都三鷹市は、行政と市民とのパートナーシップによる生活基盤整備という政策課題に取り組み、高環境・高福祉の都市自治体として高い評価を受けている。
まず、綾町であるが、同町は、森林伐採に多く依存した産業形態だったために、林業の衰退とともに仕事は減り、人口も減少していった。
ついに1970年には、過疎地域振興市町村の指定を受けるまでに疲弊してしまっていたが、郷田實氏が町長になってから、有機農業を基軸に劇的な発展を遂げ、1991年には、内閣総理大臣のふるさとづくり大賞を受賞するに至り、2000年には国の過疎地域指定からも解除された。
三鷹市は、革新自治体の理念であった「シビルミニマム」[1]の影響を受けつつ、住民自治による都市生活基盤整備に力を注ぎ、都市問題の改善を優先した政策を進めてきた。その結果、鈴木平三郎市長のもと、1958年には全国初の乳児保育所が設置され、1974年には都市自治体としては初めて下水道を100%完備した。
鈴木市長の退任後も市政運営方針は受け継がれ、1999〜2001年の間には、約400名の市民が都市基本計画と都市基本構想について論議を交わし、直接草案を作成するに至った。
このように、綾町と三鷹市は、地域づくりではともに高い評価を受けているが、動員可能な資源の面では、かなり異なる環境下にある。
このことは、置かれている環境や動員可能な資源そのものは、パフォーマンスの向上に直接的な影響を与えないことを示唆している。
両自治体の成功を説明する鍵は、環境や資源そのものというよりは、民主的に動員できる集合行動にあるものと考えられる。
3.2. 首長のリーダーシップと社会関係資本の制度
集合行動の次元に注目した場合、綾町と三鷹市の共通点として、社会関係資本の形成に向けられる首長の強いリーダーシップが挙げられる。
綾町では、郷田町長によって自治公民館の制度が取り入れられた。
この自治公民館活動は、地域内の住民の親交を深めたり生涯学習活動とまちづくり活動とが密接に結びついているところに特徴がある。
この制度により、ソーシャルキャピタルが同町に生まれ、育ったものと考えられる。
三鷹市には、自治公民館と同種のものとして、コミュニティー・センターと住民協議会のネットワークがそれに相当する。
コミュニティー・センターは、ドイツにその範を求め、都市住民にコミュニティーへの帰属感を再び持ってもらうために、開館したものである。
なお、その運営は、自治的な組織である住民協議会に委ねた。
この住民協議会と綾町の自治公民館とは、それぞれ水平的なネットワークを形成している。このことによって、行政と住民も水平的な関係で接触することが可能となった。
この水平的なネットワークを通じて、地域の問題に気づかされ、その解決策も探ることができるようになった。
こうして、自治公民館と住民協議会は、ソーシャルキャピタル形成の場であり、住民のエンパワーメント[3]の場にもなった。
3.3. 社会関係資本の民主的動員とパフォーマンス
自治公民館と住民協議会は、「公」と「私」の接点に作られた「公共」の社会空間である。
その空間では、近隣性と親密性に基づいて新しい社会的関係が再形成される場を提供している。
自治公民館は、地域の課題について熟慮する頭脳の役割を果たし始め、ついには行政に提言したり、説明責任を求めたりする、住民の行政に参加する機能も併せ持つようになった。
実現された政策例として、一坪菜園運動がある。これは、各農家に小さな菜園をつくり、自分で食べる安全な野菜を自分でつくる自給運動である。それを都会から、主婦たちが買いに来るようになった。
こうして、自治公民館は、地域再生という政策目標の達成にも大いに寄与することになった。
三鷹市の住民協議会は、近隣住区に共通した社会的諸問題に関する住民の意思あるいは希望を、地域的な連帯感に基づいた協議などを通じて解決し実現すべく結成されたコミュニティー組織である。
その象徴として、コミュニティー・カルテづくりを行った。このコミュニティー・カルテを、市は行政の施政計画に取り入れるまでになる。
それは、さらに発展し、住民協議会が直接まちづくりモデル地区を選定して事業案を提案するようにまでなった。
それは、「みたか市民プラン21会議」による、都市基本計画の草案作成の活動に至り、「みたか市民プラン21会議」の共同代表のひとりが現在の、清原慶子三鷹市長である。
その結果、行政は、住民のニーズをより的確に把握することができるようになり、質の高いサービスを供給できるようになった。
4.おわりに
綾町と三鷹市における、自治公民館と住民協議会は、首長のリーダーシップのもと、ソーシャルキャピタルを形成する目的で創設された制度である。
それによって、社会性のネットワークの形成とコミュニティーへの関与に対する、住民の潜在能力が刺激され、地域づくりに大いに寄与することとなった。
こうして、ソーシャルキャピタルを媒介にした、制度と文化の相互強化的好循環が成立することが、証明された。
ついては、ソーシャルキャピタルを機能させるために、綾町の自治公民館と三鷹市の住民協議会は、ひとつの良きモデルを提供することになった。
ソーシャルキャピタルは、パットナムが指摘するように、時系列での増減ではなく、時代の変化とともに、どのように変容していくかが問われ、それが有効に機能できるかどうかを分ける鍵となる。
[1]中山間地域は、一般的には「平野の周辺部から山間部に至る、まとまった耕地が少ない地域(農業白書)」とされています。
[2] シビルミニマム[和製civil+minimum]ナショナルミニマム[national minimum]という概念をもじった和製英語。ナショナルミニマムは社会的に認められる最小限度の国民生活水準のことであり、国家が広く国民全体に対して保障すべき必要最低限の生活水準とされる。一方、シビルミニマムは市民レベルで維持すべき最小限度の生活水準を指し、自治体が住民の生活のために保障しなければならないとされる。
[3] エンパワーメント (エンパワメントとも、Empowerment) とは一般的には、個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになることであると定義される。