【箇所】20007年度後期 早稲田大学大学院 社会科学研究科
【科目】行政組織論Ⅱ行政改革論
【担当】辻 隆夫〈早稲田大学 社会科学総合学術院〉教授
【著者】西尾 隆〈国際基督教大学 教養学部〉教授
【タイトル】『公務員制とプロフェッショナリズム』
【掲載誌】「公務研究1巻1号」(良書普及会、1998年)
1、概要
1 はじめに
日本の公務員は、どの程度「プロフェッション」と呼ぶのにふさわしい職業なのか。
ただしこの問いはもはや、アメリカ行政学では古典的なテーマとなっている。
こここにおいて公務員は、選挙によって選ばれる政治家とも、資格と能力は問われない一般市民とも異質な、公務という呼び方でアイデンティファイしうる内的条件と自律化の制度的契機をもたない限り、専門職業家と呼ぶことに躊躇してしまう存在となっている。
近年の日本の公務員をめぐる環境の変化は、この外国研究・学説研究に属する問いを、きわめて具体性・実践性の高いテーマへと押し上げつつある。
それを以下に箇条書きにする。
1、公から民営化しうる行政事務の性格は、公として成立しない公務員の再定義を迫る。
2、ボランティア活動の重要性が注目されているが、その結果、公務員と市民の間にいかに一線を画すべきかという問題が現れた。
別言すると、公務員と市民の境を融解させてもなお、公務員のプロフェッションは確保されるのか、という逆説的な問題が現れた。
3、「必置規制」問題では、保健所における医師、図書館における司書、博物館における学芸員など、行政組織の中のさまざまなプロフェッショナル集団の役割をどう評価するのかが議論されている。
4、1996年以降多発している官僚の汚職事件を通して「公務員倫理」のあり方が問い直され、その制度化が政治日程にのぼってきている。
こうした変化はなにも、公務という閉じられた世界だけに浸潤した現象ではなく、日本の社会全体で進行しはじめている終身雇用制の崩壊、正規外の契約職員といった雇用形態の多様化、労働市場の流動化、医療をはじめとする専門集団への信頼の低下、そして市民の知的水準・能力水準の高まりを反映し、社会の中の「政府システム」の変容をもたらしている。
2 プロフェッショナリズムの条件と公務員
米国の職業社会学者ムーアによれば、プロフェッション(専門職業)とは、「顧客集団から提示された諸問題を解決するために、一般的知識を体系化しその蓄積された知識を明示的に活用するような職業」と定義づけられている。
これを要約すれば、社会的な「臨床の知」をめぐる職業集団の組織化こそが、プロフェッションという「制度」のエッセンスと見ることができよう。
また、ブラウンは、専門職業化のための最低限の条件として、専門知識の蓄積と体系化、専門家集団の形成と自律化、社会的要請としての顧客集団の存在という3要素によって、専門職業化が進行すると考えた。
第1の要素「知識の体系化」については、行政学における多岐にわたる雑居状況を、社会に対する治療という視点から統合していこうとするものである。
第2の要素「専門家集団の自律化」については、行政学固有の領域に加え、政策分析・政策評価・交渉・倫理といった比較的新しい領域の知識とアート修得への需要は高まっており、そうした分野では、行政というプロフェッションは、緩やかな組織化・ネットワーク化の途上にあると考えられる。
第3の「顧客集団の存在」については、「プロフェッションは顧客の欲求を創り出さなければならない」というテーゼが喚起される。
その際、「政府内のプロフェッショナル」と「政府に関するプロフェッショナル」に区別され、プロフェッションのあり方を以上の2種類に区別しておく必要がある。
前者は、医師、法律家、保健婦、都市計画官等である。
後者は、そうした専門家集団とその諸集団を相互に調整する、広義のマネジメント活動担当グループを指す。
この顧客集団の存在という論点からみると、後者のプロフェッショナルは、一体だれに対して奉仕しているのかという疑問が生じるが、彼らは具体的な仕事上の対象を持たず、抽象的存在を相手に、「能率」や「有効性」を高めるべく職務を遂行している。
しかし、そうした活動は間接的には、納税者からの要請に沿うものとみてよい。
3 戦後日本の公務員制とその改革
日本の公務員制は、戦後改革によりアメリカの影響を色濃く受けたにもかかわらず、半世紀を経た現在、アメリカのそれとは対照的な性格を持つに至っている。
それは、下記の5点である。
1、職階法が制定されながら結局実施されていない。
つまり、科学的人事管理の前提となる組織横断的な職の分類・整理が行われていない。
これは、職務の客観化・言語化・合理化がいまだ確立されていないことに起因する。
2、組織の幹部はジェネラリスト志向が強いが、それは採用省庁内でのジェネラリストというに過ぎない。
3、入省官庁による天下り先の世話まで含めた終身雇用が日本における原則。
4、給与体系は、官民格差の比較に基づく年功制が基本であり、個人の能力評価の余地は少ない。
5、幹部職員に対する政治(家)のコントロールが、アメリカと較べて著しく弱い。
それは、プロフェッションとしての自律性は政治への実体面における従属と引替えに獲得されるものであり、日本の官僚の自律性には正当性に問題がある。
引いては、官僚の政治からの過度の自律性という問題がここにはある。
こうした新しい職員のあり方は、可能性として一方では公務員の「市民化」と同時に、他方では「プロフェッショナル化」を志向しうる。
市民化とは、公務員が市民的感覚を身につけるという意味である。
一方、公務員のプロフェッショナル化とは、予算・組織・人事制度の運用や政策の分析・評価からなるアメリカ行政学的な固有の知識の開発と活用であり、固有の知識の開発と活用が求められる。
以上、「市民化」と「プロフェッショナル化」という両方向の可能性をみてくると、観念としてはその双方向の価値と精神を同時に追求すべきだという結論に行き着く。
4 公務員倫理の制度化
国会・内閣・政治リーダーたちに公務員集団をコントロールしようという気概と権威は、依然として弱い。
むしろ注目されるのは、官僚の不祥事を告発している市民レベルの気概と勢いであり、そうした下からの挑戦を受けて公務員集団の「対市民規律」という倫理が形成されはじめた事態こそ新しい。
かくして、公務員倫理の制度化をめぐる背景と動向をふり返る限り、公務員の「プロフェッショナル化」という方向の実現性は薄く、逆に官僚の「市民化」を目指すことこそが改革の方向であるべきことが明らかとなろう。
5 おわりに
「公務員倫理法」制定の文脈からは、上記のように公務員の「市民化」のテーゼこそが求められている。
一方、天然資源の少ない日本では人間のみが活用しうる資源であり、卓越した公務員集団の必要は今後ますます高まってくる。
そうした観点からは、社会倫理・市民意識を備えながらもそれを超える能力をもった、しかも自立しかつ協力の精神に富み、政策能力と対市民規律を不断に高めようとするプロフェッショナル集団を育成することは、日本にとって今後の不可欠の課題である。