【箇所】2009年度後期 早稲田大学大学院 法学研究科
【科目】社会保障法特殊研究(1)
【担当】中島 誠 講師〈当時、厚生労働省障害福祉課長〉
『立法学』序論・立法過程論(法律文化社、2007年)
ここでは、第2部 立法過程論における、第4章 与党内過程を採り上げた。
1 与党審査の仕組み
「与党審査とは、内閣提出法案を国会に提出するに当たり、事前にその法案について与党の了承を得ることである。」
それは、「内閣提出法案は、各省協議を終え、内閣法制局の審査をクリアーしてもなお、与党審査というプロセスを経なくてはならない」ことを意味している。
(1)与党審査の根拠
「憲法はもちろん、法律上も根拠がないインフォーマルなシステムである」。
a 内閣・与党の一体性
(1)国会運営の円滑化
「議院内閣制の下で政府と与党は一体のものとして捉えられ、我が国ではその運用として、国会への提出法案の大半が内閣提出法案となる以上」、与党議員はその内容を把握し、「必要に応じ自らの考えを法案に反映させるために、事前に審査することが必要になるという」考えに基づく。
また内閣側としても、与党審査を経ることなく法案を提出した場合、与党議員からも反対意見や反対討論が出され、国会が混乱することを避けるために、法案成立に向けて円滑な国会運営を図るため合理的なものであると考えられる。
(2)与党依存の国会運営
上記「内閣と与党の思惑の一致の背景には、我が国の制度において、内閣が国会運営を与党に依存せざるを得ない仕組みとなっていることが指摘」される。
それは、「法案審議が国会の専権事項とされ、法案を提出した内閣には国会の議事運営に関与する公式の手段が与えられず、与党に頼らなければ何事も進まないという「与党依存の国会運営」となっている」ことに原因の一半が求められる。
「同じ議院内閣制を採用しているイギリスでは、与党の院内幹事長が国会における議事運営の任務を負っているが、当該職は閣僚の一員であり、国会担当大臣の位置付けとなっており、我が国にはこのような仕組みは存在しない」とされていたが、民主党を中心とする政権が2009年にできたことにより、自公連立政権時とは大幅に異なり、日本の政治は新しい局面に入った。
それをジェラルド・カーティス(コロンビア大学)教授は、「内閣が政策を作り、それを党が国会で通すという方式」に、「革命的に改変した」と指摘した。(朝日新聞、2009年10月22日[朝])
早野透は、「何だか、そこのけそこのけ、民主党が通る、国会は単なる採決要員でいいと言っているようにも聞こえる」と指摘した。(朝日新聞、2009年10月22日[朝])
b 党内民主主義の確保
「与党審査は、党議拘束をかけるに当たって党と議員の意見が対立する場合に、その調整を図る場としても機能している。」
なぜならば、「議員は党議と対立することも十分ありうるため、与党審査の場で、議員個人の意見を表明する機会が与えられる」ことで、党内民主主義の確保を図ることができるからである。
なお、自民党は、公認(推薦も含める)立候補者「当選のために、より多くの利益の包摂を狙った脱イデオロギー化が進行」した結果として、包括政党となったことは注目されるが、民主党もその流れを踏襲することになると思われる(評者)。
(2)日本特有の与党審査
「与党審査は、日本特有のシステムである。」
なお、これに関しては、昭和37年から始まったものとする説と、すでに戦前から行われていたとする説もある。cf.tx.p.89
「与党審査の存在は、後述する(1)内閣・与党が分立した二元体制、(2)その下での内閣、大臣の指導力の低さ、(3)具体的な政策プログラムである政権公約の不在や不完全さといった我が国の政治システムが抱える問題点を如実に浮かび上がらせている」。
ただ、これに関しては、民主党が与党になった今日、小沢一郎幹事長の下、(1)に関しては内閣の強化を図り、与党はそれに従属させる体制とし、(3)に関しても、マニフェストを前面に押し出した政権運営を民主党は行っているため、ともに過去のものとなった感があるが、(2)に関しては、予断を許さない状態にある。
2 与党審査の舞台
(1)連立政権における政策決定機関
(自公)「連立政権とは言え、そこでの与党審査では、最大与党であり、また長期にわたる政権担当経験を有している自民党が、意思決定の内容だけではなく、基本的にはボトムアップという意思決定の手法においても、大きな影響力を有している」ため、以下、自民党における与党審査を考察する。
(2)自民党与党審査の運営
a 全会一致原則
「自民党における与党審査は、基本的には全会一致の原則で進められる。」その結果、「国会審議において強力な党議拘束をかけることができる」。
与党審査を通して自民党内で対立が鮮鋭化することもあるが、自民党内部での利益の対立の増加はそのまま自民党が包括する社会的利益の拡大を意味するところとなる場合もある。
b 部会への自由参加
自民党議員は、政務調査会の部会に自由に参加でき、そこで議員が、「自由に主張することで、諸利益の多元化・重層的な調整を可能にするという一連の仕組み」がある。
これによって、自民党が社会的利益の複合化に対応でき、「縦割り行政の下で政策分野相互の利益調整が困難である官僚制に対し、自民党が相対的に優位にたちうる背景」を構成していた。
(3)自民党政務調査部会
「自民党の与党審査体制は、時系列的に、政務調査会部会→政務調査会審議会→総務会という流れになっており、実質的に審査の中心になっているのは政務調査会部会である。」
a 部会の組織
「政務調査会は、「政策の調査研究及び立案のため」に設置された機関であり、「部会を設け、各部会に部会長一名並びに部会長代理及び副部会長各若干名を置き、必要に応じ、専任部会長を置」く」ものであり、それは、国会の常任委員会と連繋している。
b 部会の審査
「各省庁は、法案や予算要求案等を部会に提出し、了承を得ることになっている。」
表決を採らずに全会一致での了承を目指すが、「異論が出された場合は、部会長一任の取り付けによる収拾の他、修正、結論持ち越しとなる場合もある。」
c 部会の機能
部会は利益主張・調整の場としての機能の他に、議員が政策を学習したり、さらには族議員として認知される場としての機能も有している。
「自民党政権下では「部会」を足場とする族議員と官僚が「貸し借り」を築きながら調整して政策を決定していた。」
(4)自民党政務調査会審議会・総務会・国会対策委員会
a 政務調査会審議会
自由民主党党則では、「政務調査会においては、政策案を決定する場合は、審議会の議を経なければならない」とされている。
b 総務会
総務会は、自由民主党党則第38条により「党の運営及び国会活動に関する重要事項を審議決定する」機関とされ、政策についての意思決定だけでなく、政治情勢や国会運営の状況なども考慮して、全党的な意思決定がなされる場である。
総務会は1962年から、国会に提出される法案を事前審査し、政府と与党の権力二元化を象徴する場となった。総務会の決定は党議拘束をかけることと引き換えに「全会一致」が原則であり、それが明確に否定されたのは、郵政民営化法案を多数決で了承した事例を数えるのみである。その当時総裁であった小泉純一郎は、つぎのようなコメントを寄せている。「実質的に多数決みたいなのも(過去に)あった。反対する人は気を利かせて退席するという冷静さもあった」。
これは、利害調整を尽くしたことを示す効能がある反面、責任の所在をあいまいにし、国会議員が「自分は反対したが、政府が勝手に決めた」と釈明する免罪符にも利用された。
野党に転落した自民党では、一時総務会の廃止論が浮上したものの、谷垣禎一は総裁就任後、田野瀬良太郎を総務会長に指名し、田野瀬は就任後、「総務会の役割は何ら変わらない」と明言した。
ちなみに、民主党は現行の「民主党」となった1998年の翌年総
務会を廃止し、「次の内閣」を設置した。しかし、参議院では、「参院独自の課題を扱う」(高嶋良充参院幹事長)として政策審議会を維持している。
c 国会対策委員会
政務調査会審議会、総務会での実質的な審査とは異なり、「野党との関係を念頭に置いた具体的な国会運営の視点から審査が行われ、国会における審議の順序や野党との折衝方針などに焦点を当てられる。」
3 族議員
(1)族議員登場の背景
「族議員とは、特定の利益団体の利益や特定の省庁の縄張り利益の代弁、擁護、拡張、調整を行って、政策決定に影響を及ぼし、見返りとして当選に必要な政治資金と票を得る議員のことである。また彼らは、立法過程だけでなく、補助金等の交付、公共事業の箇所付け、許認可などの行政執行過程へも、日常的に影響力を行使している。」
「族議員を誕生させた背景には、議員が大臣等となる議院内閣制、省庁ごとに設置された委員会、その与党審査、中選挙区制当時、同一選挙区において自民党議員が複数存在したことによる棲み分け等が考えられる。」
「こうした長年の自民党一党与党体制が、自民党議員と各省庁とのつながりを緊密なものとし、「党(=自民党)高政(=政府)低」と呼ばれる与党・政治家主導という意味での政治主導体制をもたらした。」
「1973年の石油ショックに端を発する緊縮財政下での予算や権限の配分を巡る省庁間対立の激化の中で、その利益調整役として自民党の役割が大きくなったこと」も族議員の誕生と存続に寄与したと考えられるが、森政権以後、小泉政権においては、特に、「経済財政諮問会議」が基本方針(骨太の方針)を示すことによって、族議員の介入を阻止することが可能となった。
(2)族議員の実態
族議員は利権の多い分野において育ち、その代表が御三家と言われる農林、建設、商工であり、一方、族議員が育たない分野は、環境、科学技術、労働、外交、法務、地方自治と言われてきたが、鈴木宗男のような「外交」族もいるし、共産党や公明党の議員は、「福祉」族議員という言い方も可能と思われる。
(3)利益団体と後援会
族議員に対して、自らの利益実現のために働きかけを行う利益団体と、こうした利益団体の幹部を構成員に含み、議員が自らの票獲得のために選挙区において組織している後援会について、以下で概観する。
a 利益団体の類型
類型化すると、下記のとおりとなる。
(1)社会の基本的利益を代表するセクター団体(経済団体、農業団体、専門家団体)
(2)政府の政策によって社会に生まれる利益の分配及び再分配を受ける政策受益団体(行政関係団体、教育団体、福祉団体)
(3)イデオロギーや価値体系を主張する価値推進団体(労働団体、消費者団体、市民・政治団体)
ただ、小泉首相(当時)は、郵政民営化を訴えた際に、自民党を長年支援してきた、特定郵便局長で組織する「大樹」との関係を一方的に切り、その代わり、輿論を見方にして、改革を断行したように、「利益団体の政治的影響力の減退が顕著となっている」。
b 利益団体政治システム
「1960年から1980年の20年間においては、利益団体の対立軸として、(1)イデオロギー的、体制連関的争点を巡る大企業団体と左派系労組、平和・民主団体(革新)の対立、(2)行政改革や再分配政策を巡る民間大企業労使連合と政策受益団体の対立、(3)企業規制を巡る経済団体と消費者・環境団体との対立が存在し、「大企業労使連合優位の多元主義モデル」が形成されていた。」
その後、「経済のグローバル化の進展により、日本型労使関係が変容し、民間大企業労使連合の基盤が狭隘化・脆弱化しつつある点は見逃せない。」
c 後援会
「後援会(自民党国会議員を念頭に置く)は、議員及び立候補予定者の個人的集票機関であり、仲間からなる固定的部分と、地元の首長、地方議会議員、各種の利益団体などからなる変動的部分から組織され、その運営に要する活動費や人件費は、基本的に議員本人が負担していた」が、政党交付金が各支部に交付されるようになると、その交付金を支部長を兼ねる国会議員が自らの後援会費に援用していると思われる事例がでてきたのは、問題視されてよい。
後援会の問題点として、以下のことが指摘できる。
(1)「利益誘導と票・政治資金の交換を行う、我が国の「分配の政治」構造の一翼を担っている。」
(2)「巨額に上る後援会運営経費の捻出のため、構造的な政治腐敗を助長していること。」
(3)「本来は議員一代限りの組織であるはずであるのに、組織の存続が自己目的化してしまうため、議員の引退後も二世(以上)を担ぎ出し、国会における世襲議員の乱出を生み出していること。」
後援会に関して、本書においては小選挙区制の導入後も、「後援会の役割はむしろ増大しているといった面も否定できない」との大嶽秀夫(同志社女子大学)教授の考察が紹介されていたが、近年は、小選挙区制が定着したせいか、“党主力”ないしは“政党”を全面に押し出した選挙が行われているようである。
その証左として、2009年の総選挙では、民主党の少なくない候補者は、自民党の候補者と比較した場合に脆弱な後援会しか有していないのにもかかわらず、じつに多くの選挙区で、議席を得ることに成功した。
(4)族議員と官僚
「官僚から見た族議員は、自省庁の政策に異議を唱え、修正を働きかける「干渉者」と、自省庁の政策の実現や権益の擁護について党や国会での合意を形成してくれる「支援者」という二面性を持った存在である。」
本書でも指摘しているところであるが、議員は、「官僚による事前の説明、了解の取り付けに対し、深い関心を持つと同時に、極めて敏感になる」結果、官僚により族議員視されることに重大なる関心を寄せる。
このように、議員は官僚からの“御説明”に重大なる関心を寄せる存在であるうえ、族議員は「支援者」という面もあるため、「官僚は根回しだけで疲弊し、本来費やすべき政策の企画立案に充てるエネルギーと時間が限られるとともに、あるべき政策が特定利益のために歪められかねないといった憂慮すべき事態も生じている。」
「官僚の多くは政治的な調整に時間や労力の大半を割かれ、民間企業でも通用する専門性や管理能力を高められない」
(5)政府・与党二元体制の出現
「場合によっては官庁の主張と異なる姿勢をとる「猟犬型」族議員の登場は」、政府と与党の関係に亀裂をもたらし、政府・与党二元体制の出現を招くことになった。
「そこでは、?本来自民党によって支持されているはずの政府が企図する政策が、自民党によって困難にさせられ、?政府が推し進める行政改革や規制緩和等に対し、各省庁が自民党を通じて抵抗する、という内閣と与党、そして官僚が交錯する大きな矛盾と混乱の状況が生み出されている。」
こうした、政治的意思決定における決定と責任の所在の不明確さを一掃させようとしているのが、2009年に与党となった民主党であり、同党と社民党・国民新党の3党連立政権である。
4 与党審査の功罪
「我が国特有の制度である与党審査」の功罪については、下記のようにまとまる。
メリット
(1)議院内閣制下での政府と与党の一体性確保
(2)国会運営の円滑化←与党議員からも反対意見や修正意見が出されるのを避ける
(3)党内民主主義の確保
(4)複合化した諸利益の調整
(5)自民党の政策立案能力、利害調整能力の向上と自民党支持基盤の拡充
(6)省庁間の縦割り行政の弊害緩和
デメリット
(1)憲法に定める統治機構の外部にある与党というインフォーマルな場での不透明な政策決定
(2)政府・与党二元体制の出現による決定と責任の所在の不明確さと、それに伴う政官関係の混迷←メリット(1)と表裏一体をなす
(3)国会審議の形骸化
(4)利益誘導型の「分配の政治」構造の一層の強化←cf.c後援会(1)p.104
(5)族議員を巡る癒着・不正の温床
(6)党議拘束による議員個人の自由な意思表明の制約
(7)省庁間の縦割り行政の助長←メリット(6)
「国家目標が明確で、政府と与党間が一枚岩的な関係であった時代には、リーダーである総理・(自民党)総裁」の間に齟齬が生じることはなかったが、利害が錯綜し、国民の意思が容易に収斂されえない今日の状況下では、与党審査には「罪」のほうが、顕在化しているようである。(評者)
5 与党審査廃止論
「小泉政権は、「構造改革」を旗印に、公共事業や社会保障分野を始めとする分配の硬直化とそれを支える過度の政府介入を打破すべく、与党審査の段階で、政務調査会部会を牙城とする族議員の抵抗に遭ってきた。」
それに対抗して、小泉首相は、内閣主導体制を構築しようとして、与党審査の事前承認制を事前の審議制に改めることを唱えたが、党内から、その内容及び党内手続きの両面で批判が続出し、最終的には政治家と官僚の接触のあり方に論点が矮小化された。
それに関しては、後の福田康夫首相が、私的懇談会「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」の答申原案が、2008年1月10日にまとまり、「議員の口利き」を防止するため、国会議員と官僚の接触を原則禁止する方針を出した。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumuinkaikaku/index.html
いずれにしろ、「小泉首相は、我が国の政治構造であり「分配の政治」を政策本位の政治へと変革することを目指し、そのための政治システムを与党審査に象徴される与党・政治家主導から内閣主導へと転換しようと」したことは間違いなく、それを、民主党は政権を取った後、小沢一郎幹事長のもと、鳩山由紀夫首相とともに推進していくようである。
コラム「分配の政治」
京極純一による「分配の政治」は、「明治の文明開化以降、また戦後の高度経済成長による、富と文明生活の地域格差、階層格差を政治的な再配分によって補正する(均霑)するもの」という指摘があったが、これは、昭和30年代後半からはじまる高度経済成長時代を迎えるまで、都心部に比べて貧しかった農村地帯が日本に残存していたという構図に由来するものである。
しかし、バブル経済の収束後、急速に悪化する財政赤字と少子化高齢化の進展により日本は、高瀬淳一(名古屋外語大)教授によれば、「不利益を分配」する社会に移行したとする考察が注目に値する。それは、つぎに示すような論考である。“どの政党のどの首相が政権についても、この時代の宿命は避けて通れない。政治の中心的争点は、いまや「だれに利益を分配するか」から「だれに不利益を押しつけるか」に変わったのである。これからの内閣は、あわれなことに、真摯であればあるほど、不利益を受ける人からの罵声を背に職務を遂行することになる。”
なるほど、これからの日本では、政治家は有権者の耳に痛いことをいわなければ、その説明責任を果たし得ないのかもしれない。
また、分配の政治に関して、後藤田正晴による、「公共事業や補助金等で中央から地方(略)へ金が流れる仕組を作ったのが田中角栄であ」る、との指摘を紹介していたが、「中央から地方へ金が流れる仕組」は、戦後の税制改革によって、地方交付金や補助金制度等を整備したことによるものであるという考えも無視できない。