町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

ドナルド・ケトル『なぜ政府は動けないのか』稲継裕昭[監訳]らん読日記

2013.06.09(日)

【箇所】2013年度春学期 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻
【科目】政治・社会論特殊研究 政治過程における民主主義の理論と分析Ⅰ
【担当】小林 良彰 教授
なぜ政府は動けないのかアメリカの失敗と次世代型政府の構想
Donald F.Kettl 〈メリーランド大学公共政策大学院〉(勁草書房)
稲継裕昭〈早稲田大学 政治経済学術院〉教授[監訳]浅尾久美子[訳]

はしがき
 米政府は避けがたい困難な問題に直面しており、いまの政府では、解決しようとしている問題に適合しないことが明らかになりつつあるため、この問題に対処し、次世代に向けた米政府を築くことに資するものとして、本書は著された。

第1章 ミルドレッドとハリケーン・カトリーナ pp.1-29
ミルドレッド
 65歳を超えた人びとの診療費を払うメディケアと、比較的貧しい国民の医療費を払うメディケイドは、1965年に制定されたものである。このメディケアとメディケイドの運営センターの職員は4,400人しかおらず、その人数は連邦職員の0.2%に過ぎないが、それで連邦予算の20%を管理している。両制度を利用しているミルドレッドは、著者の義母である。
「ミルドレッド・パラドックス」政府自らはサービスを提供せずその費用を負担する=非政府機関が実施する施策の増加⇒「だれが責任をもってミルドレッドに最良の看護を受けさせてくれるのか」
「ミルドレッド・コロラリー(帰結)」政府が看護の費用や質に影響する決定には関与しないまま金を支払う=だれも最終的な説明責任を負わないガバナンス・システム⇒「だれが責任をもって、われわれの払った額に見合うきちんとした公金の使い方をするのか」

ハリケーン・カトリーナ
 ハリケーン・カトリーナへの対応は、米国史上最大ともいえる行政の失敗であったが、政府職員はあらゆるレベルで精一杯の努力をしていたのにもかかわらず、結果として完全に失敗してしまったことにその特徴がある。その理由は、洪水制御プロジェクトが、統一的な計画に沿ってつくられたシステムではなかったことと責任をもつ組織がひとつもなかったことである。つまり、非ルーティン的な問題に対して、ルーティンの解決法を当てはめたことに失敗の主因がある。

ミスマッチ
 ミルドレッドとハリケーン・カトリーナの事例は、どちらも、生起した課題に、有効に対応する制度が構築されていなかったことによって問題が深刻化されたことに特徴がある。
 その問題とは、政府が公的組織、民間企業、非営利団体の連携によって施策を実施するようになってきたため、サービスを提供するシステムが複雑になり、効果的かつ効率的に施策を実行することが困難化していることである。

 それに対して、いままでは、政府の用いる手段を構築し直すことで、適切に機能する政府をつくることができたが、いまや、新たなガバナンス手法を見つけ出さなければ、政府は市民が解決を求める問題に適応できなくなっている。米国では、新たなガバナンス手法を見つけることができない場合、政府は新たにつくりなおされてきた。

第2章 ネットワーク化した政府の直面する課題 pp.31-66
 米国で政策をつくるとは、施策をつくってそれを運営する機関を割り当てるのが伝統的な手法だった。自動販売機がそのモデルである。現金を投入し、外からは見えないシステムが作動し、出てくるサービスを受け取ることで、市民は、そのシステムの詳細を理解する必要はなかった。しかし、自動販売機内部のメカニズムははるかに複雑になり、モデルの見直しが迫られている。←コメント1

 その一環として、ミルドレッドやハリケーン・カトリーナの事例があり、分散したネットワークによってサービスを実施する施策が増えていることを示している。ネットワーク化の戦略が増えたことで、さまざまな分野で新しい問題が生じ、求められる成果が出せなくなっている。
境界の問題

 政府が頭を悩ませる問題は、多くの場合、境界の問題である。施策を展開するにあたって、政府が自ら担う役割なのか、どの役割をアウトソーシングするのか。政府が受け持つ役割ならば、それを、連邦、州、地方のいずれが担うのか。事業や問題の幅と広がりが増すにつれ、境界をどのように引くのかが重要視されるようになった。

 政府が日常的に行うことは、だいたいうまくいっているが、それは、ルーティンワークに限られる。ところが、21世紀に入り、それでは適切に対応できない事例が増えている。それは、政府が扱う問題が大きくなりすぎ、行政の戦略も複雑になり過ぎて一機関でカバーしたり制御したりすることが無理になっているからだ。

複雑さの問題
 第2次世界大戦において、大恐慌から抜け出していない政府は、民間企業への請負契約を行うようにしたが、その結果、複雑な仕組みが生まれ、それは第2次大戦が終わった後も続くこととなった。
 時を同じくして、政府の施策に対する国民の期待は急速に拡大した。その期待に応えるために、政府による請負業者への利用頻度はますます増加した。そのうちに政府は、民間企業から何を購入するかを決める業務さへ、委託するようになった。さらに、民営化できるものは何でも民営化すべきだという主張も現れた。

 それに関して、「部分的にせよ請負業者の仕事に依拠して政府の決定が下される可能性があり、決定に対する政府の統制権と説明責任に業者が影響力を及ぼす恐れが高まる」との指摘がある。

説明責任の問題
 米国は連邦主義をとっているためもあり、政治責任の境界が曖昧になっている。
 市民の高まる要求と、政府の能力的な足かせとの板挟みで、政府の統治能力は損なわれている。
ネットワーク化した政府の課題
 米国では、市民同士が自発的に結び付き、その過程で、境界を超える架け橋という米政府に本質的に欠けるものをつくりだす「黙示的な積極活動主義」から、公共サービスを担う民間組織との複雑な協力関係を通じて政府が市民の問題を解決するよう期待される「明示的な受動主義」へと変わってきた。その結果、民間のアクターが果たす公的な役割が大きくなり、民営化ならぬ「公共化」というパラドクスが生じている。

第3章 責任のとれない政府 pp.67-95
 政府がネットワーク化すると、その政府が市民に対して不都合な施策を行っても、市民がそれに対抗するのは、至難のこととなる。なお、政府は施策の実行にあたって、費用を負担する業務のほとんどを自らは行っていない。また、往々にして政府は、臨機応変な対応を図るべき問題に対して、ルーティンで対応してしまう悪弊が見られる。
議会という劇場

 ハリケーン・カトリーナの問題の根底には、米議会が連邦危機管理庁(FEMA)その他の国土安全保障関係機関を絶えず再編しようとしたことが挙げられる。9.11テロの後、議会は、国土安全保障のシステムを有効に機能させることよりも、組織の再編に焦点を当てた。←コメント1

 そのこともあって、国土安全保障省が新設されたが、それは22の機関を統合してつくられ、同省を所管する議会の委員会や小委員会は88という膨大なものとなった。そのため、「88もの委員会や小委員会が、政治的な威信や見せかけのために高官に証言を求めて国土安全保障問題を少しでも所管しようとひっきりなしに要求してくるので、問題がこじれている。」

大統領の力
 米国の建国者たちは、大統領が王になることがないように腐心したがために、大統領は行政府の長の役割を真に果たすことは不可能になってしまった。そのため、ホワイトハウスは大きな問題に対して無策であるようにみえてしまう。

警報ベル
 警報ベルが鳴ったときに、ホワイトハウスはいかに対応するべきか。もちろん、直ちに問題に取り組むが、それは反射的なもので、問題はつぎつぎと広がり、政府は無力にみえてしまい、それをみた市民は失望する。しかし、政府の各部門は権力分立によって、だれもが説明責任を免れており、だれも協力して対応しようとはしない。それに関して、議会はまったく有効に機能しない。

やっかいな問題
 今日の米国が直面している最も厄介な問題は、1)瞬時に決断しなければならない。2)失敗は連鎖する。3)失敗すると、莫大なコストがかかる。
 総括すると、公共の問題は、複雑で相互に結び付き、責任はだれも取ろうとしないことにある。

第4章 問題の定形度に応じた対処法 pp.97-125
 政府は、新しい問題を古いルーティンで解決しようとして、失敗してしまう。

ガバナンスのルーティン
 マーサ・ダーシックが問題視したのは、非ルーティンの問題を解決するために、施策を新たにつくって自動販売機モデルで管理しようとしたときである。
問題とガバナンスのミスマッチ

 政府が、政府より効率的と思われる民間部門からモデルを借りてきても、このモデルは現実の政府業務とは、合わなくなってきた。そうではなく、政府は非ルーティンの問題を、どうすればルーティンにできるかが、問われている。
非ルーティンの問題で成功する
 非ルーティン問題をうまく解決することができるのは、通常のルーティンを使って対処してはいけない、ということである。
公共の価値という課題
 21世紀型の問題を20世紀型の手法で解決しようとすると、惨事が起こる。

第5章 プレートの動く国 pp.127-172
トリプルジャンクション
 米国は、20世紀末に、史上初めてともいえる大きな変化にさらされ、その動きを受けて21世紀のガバナンスは土台づくりをしなければならない。

政治的なプレートの動き
 米政府の基本は、次の3つに集約される。
1、民営化←19世紀の進歩党は公的組織を活用した
2、連邦主義
3、グローバリゼーション
民営化−交通混雑
 政府と民間部門との関係に変化が生じている。政府による民間をつかったサービスのサプライチェーンが伸び、組織間の関係も複雑化しているために、法の支配は昔よりはるかに適用しにくくなっている。

連邦主義−FEMAの「プロジェクト・インパクト」
 2つの目の問題は、連邦政府と州政府・地方政府との政府間関係に変化が生じていることである。
 FEMAは事後的に対応するより被害を予防するほうがはるかに有効だとして、それは地域社会によるボトムアップ型の戦略で行われたが、責任者の移動によって、政府間の協力関係づくりがおろそかになり、災害に有効に対処できなくなってしまった。

グローバリゼーション−ペットフードとおもちゃ
 20世紀が後半に至り、貿易・通商のグローバリゼーション化によって、他国の失敗が、自国にも影響を与えるようになった。つまり、米国内で製品を売る外国企業の法制度に規制を及ぼす必要が生じたが、海外の産業サプライチェーンに責任をもてる者はいなかった。

アメリカのガバナンスの課題
 従来の政策論議は、グローバリゼーション、連邦主義、民営化の何れかに収斂できたが、今世紀に入り、これら3つのフェイズすべてに及び、問題に対する戦略もそれらをまたぐようになった。その際、政府の規模や力は、どれだけ経済や民間組織を動かせるかで決まる。

転換点
改革1.0−進歩党(1881-1913年)
 工業化時代の課題に取り組めるように政府に権限を与えつつ、個人の自由を脅かさないように力を抑えることを目指していた。

改革2.0−進歩党を超えて(1913-1933年)
 民営化を推し進めると同時に政府の権限は、はるかに強くなったが、世界大不況への対応には機能しなかった。

改革3.0−ルーズベルトの時代(1933-1953年)
 大統領の権限を強化し、今日あるホワイトハウスをつくった。それとともに、歳出拡大への警戒感があらわれた。

改革4.0−予算改革(1953-1981年)
 第2次大戦が終わり、大規模になった戦時政府を平時の組織に変えることに力が注がれた。そこでは、政府に効率性の向上を求めた。しかし、義務的歳出が増え、市民は歳出規模の縮小を求めるようになった。

改革5.0−民営化、政府再生、パフォーマンス(1981-2009)
 レーガン大統領のもと、政府は公共的な活動を民間企業に積極的に引き渡し始めた。
 それに対して、その後大統領になった民主党のクリントンは、「行政革命」によって、伝統的な施策を削減せずに政府の効率性と応答性を高めようとした。

 これらに新たな分析法を導入することで、政府の規模の縮小とパフォーマンスの改善を同時に図ろうとした。
 ハリケーン・カトリーナによって、改革5.0は終焉を迎えたが、政府には改革6.0を計画する持ち合わせはなかった。問題に対して、国家としてうまく対応する能力が欠けているのだ。次世代の米政府の最重要使命は、偉大な伝統と理想を新しい戦略に融合させて、国民の希望を実現することにある。

第6章 ロケット科学の秘密 pp.173-210
 ミルドレッド型やカトリーナ型のような新たな問題には、階層組織で運営するルーティン的対応=自動販売機モデルとネットワークで制御する非ルーティン的対応とに峻別し、互いに結び付いた2つのシステムを使って統治する政府をつくらなければならない。←コメント1
ロケット科学モデル

 ここでいう「ロケット科学」とは、非常に困難な仕事を指す。そして、それは、チームワークを基礎とし、幅広い分野の専門家がつくるネットワークを慎重にまとめあげ、強いリーダーシップで任務を達成することである。そこでは、制度化にしにくいリーダーシップ、マネジメント、調整の仕組みを制度に組み込む必要がある。

ロケット科学者たち
 21世紀の政府に必要な活用型政府は、現場指揮官が上官からの承認を待つことなく迅速に問題解決の主導権をとり、やるべき仕事をすばやく判断し、使える資源を使って協力関係を築き、問題解決のための協力者を動かす、というものである。ここでいうロケット科学者とは、変容と協力を賢く実現して結果を出すための戦略を発見した有能な指導者のことである。

ロケット科学の秘密
 政府における効果的なマネジメントとは、サービスと法執行という2つの任務のバランスをいかにうまくとるによって決定される。

「ロケット科学」=次世代の政府は、次の7つのリーダーシップが求められる。

(1)明確な目標:当該業務に課せられた目標の明確化

(2)効果的なプレゼンス:しかるべき資産や人材を、しかるべき時にしかるべき場所に効果的に配置する

(3)一体的な取組み:全員が一体的に取り組む

(4)現場の努力:現場の状況に応じて機動的に対応する

(5)柔軟性:目的に応じて柔軟性のある対応をする

(6)リスク管理:まず自分の安全を確保した上で、行動する

(7)慎み:人間を相手にするのだから、相手への尊厳を以て対応する

ロケット科学者たちの進撃
オクラホマシティの爆破事件
 寄せ集めの組織では、構成員はどこから来たのかよりも、自分が任務達成のために何ができるかに焦点を当てるべきである。

9月11日のアーリントン郡
 テロリストが飛行機をハイジャックし、国防総省を攻撃するという事態への初動を成功させたのは、目的を広範に捉え、それへの備えを十分に訓練していたからである。

アル・アンバーのプレゼンテーション
 イラクで米人の死亡が最も多いアル・アンバー県に配置された、陸軍大尉トラビス・パトリキンは、プレゼンテーションで独自の戦略をつくった。それは、米軍兵士を、地元から隔絶された巨大基地に閉じこもることを止めさせ、地域の中に送り込むことだった。

ニューオーリンズの学校の再建
 ハリケーン・カトリーナ後の湾岸地域では、多くの学校が荒廃した。そこで、減失した物品を購入しようとすると、その手間が非常に煩雑なものとなっている。そこで、物品のカテゴライズを簡素化したところ、各カテゴリー内で柔軟に物品を購入できるようになった。

ロケット科学者の技術
 逃れようのない目前の問題をどう解決するかという基本的な問いに対して、回答は本能的に動いた結果、うまく対応でき問題は解決したのだという。

 成功例をいくつか挙げているが、そのうち特に大事なものと思われるものだけを次に掲げる。
(1)相互協力
(2)協力関係間のコミュニケーションを活発化
(3)専門知識をもつ官僚をうまく使う
(4)必要となる前に信頼関係を築いておく
(5)金、情報、人の資源の流れを把握する
(6)究極の目標を公共の利益として複雑な協力関係を構築する

第7章 次世代のアメリカ政府 pp.211-235
 次世代の米政府が直面する大きな課題は、2つある。1つは、政策戦略に合わせたガバナンス手法を用いること。ルーティンの問題には自動販売機型のガバナンスを、ロケット科学型の問題には活用型ガバナンスを適用すればよいが、2つ目の課題は、ロケット科学型のリーダーシップを育成し、定着させることであり、この課題を解決するのはきわめて難しい。

ガバナンスと説明責任
 政府の役割が、自ら問題を解決することから、複雑な組織間協力関係を動かして結果を出すことに変わっている。これは、活用型の解決策を必要とする根本的な変化と捉えられているが、それは、次のような違いである。

1、官民連携は、宇宙事業から社会福祉サービスの提供までほぼすべての公的活動に入り込んでいることから、問題の質と量が大幅に増えている。

2、政策の連鎖が複雑化している。

3、複雑なガバナンスの連鎖によって、説明責任を負わせることが難しくなっている。それは、同時に複数の説明責任の仕組みが働くからである。
 それを整理すると、次のようになる。
自動販売機モデル:1、標準的な手続きをつくって、繰り返し起こる問題に対処する。2、個々人の気まぐれに左右されないようにする。

ロケット科学:複数のプレーヤー間の協力関係を築くことを重視。柔軟な能力を形成しようとする。個々人の質に依存する。
 21世紀の政府は、これらのガバナンス手法を適切につかって、質の高い結果を出せるようにすることが課題である。
説明責任を果たすための新しい戦略
 政府に説明責任を求めても、政府はサービスの提供を非営利・営利組織等の民間組織に依存する割合を増やしているため、施策実施の連鎖は複雑化しており、説明責任を果たすことはより難化している。

 政府は、非営利組織等の混合的な政策手段をもつ新たな政策システムに移行しており、それに伴って混合的な説明責任のシステムが必要となってくる。そのメカニズムは、以下のとおりである。

1、権限:新しい説明責任体制においても、従来からある、命令によって説明責任を全うすることは、今日でも重要である。

2、契約:政府からの委託は、契約という法的根拠によることで、説明責任を負わせる。

3、規制:連邦政府と州政府は規則を遵守させることによって、民間施設に説明責任を負わせている。

4、民間の基準設定:連邦政府、州政府、業界が連携して基準を設けて質の高いサービスを確保している。

5、任意の自己規制:たとえばISOでの認証を受ければ、その企業は環境に配慮することになり、強力なマーケティング手段ともなる。

6、交渉による規則作り:とくに環境分野では、政府は民間に交渉による規則作りという戦略を進めてきた。そこでは、産業界の柔軟性を最大限に認めながら立法目的を達成できるよう、関係者を集めて基準について交渉する。

7、市場:分野によっては、政府の目的を達成するための民間の市場を企業がつくっている。その一例が、二酸化硫黄の排出権の取引市場である。それ以後、ヨーロッパでも排出権取引市場は広がった。

8、インセンティブ:事後的に政府が損害を填補するより、個人がハリケーンに強い家を建てたりして被害を受けにくくしたりするようなインセンティブをつくるほうが、ずっと安上がりで効果も高い。

9、競争:市民に情報を与え、公共サービスの提供者を選ばせることによって、公共サービス提供者間の競争を促している。

次世代の政府の課題
 米政府の抱える課題に、問題に迅速に対応できないことがある。それは、建国者があえて反応に時間のかかる政府をつくったからである。短期間に揺れ動く国民の意見に、容易に左右される政府を忌避するためであった。そのため、権力を分割し、だれもが権力を持ちすぎないようにしたのである。

 そのため、問題そのものが複雑化すると、それを解決するための行政戦略も複雑化する。したがって、対応が、後手に回ってしまう。

 政府のこの問題を解決する手段として、大統領の権限強化を主張するものがいるが、これには、建国者が反対した。事実、カトリーナへの対応で、ブッシュ政権は非常に動きが遅かった。

 この問題の根底には、議会が、活用型政府をつくるという課題にすっかり失敗してしまったことが挙げられる。
 また、行政府の長、大統領は、ガバナンス問題への関心が欠けているため、カトリーナへの対応に遅れたのである。
 米国は、建国者からつねに新たなガバナンス手法をつくりだしてきたが、今日の危機は、新たなガバナンス手法をつくるのが間に合わないことと、それに国民が愛想を尽かしてしまうことである。

 次世代の米政府をつくりだせるのは、単に標準の手続きに頼ってあらかじめ決まったパターンに押し込めて問題を解決するのではなく、できる限りの想像力を働かせて対応する政府の代理人としてのロケット科学者である。

付章 次世代のアメリカ政府のためのアクションプラン pp.237-249
 米政府は、何度目かの転機を迎えており、今のままの政府では、同じ失敗を繰り返すことになる。もはや、先に挙げたレーガン政権時の改革5.0を以てしては、この転機を乗り越えることはできない。新たな革新的ともいえる、改革6.0が必要である。改革6.0では、変容と協力を実現できる政府が必要である。この場合の変容とは、公共の目標を実現するための協力関係をつくりだす政府への変容であり、この仕事をやり遂げられるネットワークを築くには協力が必要ということである。

 その改革6.0では、次の5つの要素が必要である。
1、結果を出すことに集中すること

2、場所ごとのパフォーマンス測定を開発すること:政府活動を担う多くの組織をまとめあげて人びとの生活や仕事に役立つようにすること

3、ロケット科学の指導者をつくりだすこと:政府は人材育成にもっと多額な投資をすべき

4、だれが何をするのか、整理すること:国民のための仕事を政府がどのように達成すべきか、だれがそれを行うべきか。政府の監視能力を高める必要がある。

5、最高幹部が、結果を出すことを後押しすること

第1章へのコメント
1、ミルドレッド・コロラリーは、日本の場合、もう少し機能しているものと思われる。たとえば、診療費のレセプト審査を米国では行っていないのだろうか。
2、カトリーナほど大規模なハリケーンとなると、どんな組織をもってしてもスムーズな対応はできないのではないか。

第2章へのコメント
1、米国で政策をつくる際、施策をつくってそれを機関に割り当てるとするが、日本の場合は、法律をつくるのが施策に該当する。
2、米国は連邦政府のため、「州政府から中央政府」に権力を移譲すべきか議論になるが、日本の場合は、中央集権のため、逆の動きを示す。
3、連邦組織から地方政府まで、非営利組織に依存する傾向が高まっているために、政府の業務を実現させる仕組みは複雑になり、政府の統制権と説明責任が十分に行われなくなっているが、非営利組織等へのアウトソーシングという施策をとることなしに、国民による政府への増大する期待に応える施策はあるのだろうか。
4、本書では、アメリカが権力分立と連邦主義をとっているため、責任の所在が曖昧になることをマイナスととっているが、むしろ、権力の暴走を止める有効な手段という側面もあることを不当に軽視している。
5、政府がネットワーク化していることから、プリンシパル・エージェンシー関係が指摘できる。

第3章へのコメント
1:米国では、議会が行政府の枠を作り替えて省を再編・新設しており、それは本能であるとの指摘があるが、わが国では、内閣が自らの手で省庁の再編を行っている。たとえば、2001年に行われた中央省庁再編は、第2次森内閣の下で実行されたが、その素地は橋本内閣に遡る。
2:米国建国時に、大統領に権力が集中しないように厳格な三権分立体制をとったために、大統領は行政の長の役割を真に果たすことが不可能になった、との記述があったが、この結果は、米国建国時には望んだことだったのである。

第4章へのコメント
1:「政治家は新しい法律をつくってその実施を政府機関に割り当てる。政府が行うことすべての責任を官僚に負わせたいのである」との指摘があるが、三権分立を厳格に守ろうとする米国では、当然のことではないのか。
2:「専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法」 という立憲主義に基づいた憲法観からすると、本書がいう「市民に対して、力を与えようとしている」とする憲法の人権規定は、立憲主義にそぐわないものと考えられる。

第6章へのコメント
1:問題に対して、ルーティンか非ルーティンか、何れかの対応を誤ると、政策の失敗を招くとの指摘があるが、その区別が困難だから、失敗が招来されるのであって、どうしたらそれを区別すべきかが、問題視される。
2:アル・アンバーのプレゼンテーションにしろ、ニューオーリンズの学校の再建にしろ、民間ではごく当たり前の作業と思われるが、それがなかなかできない公的組織の欠陥があぶり出されることとなった。

第7章へのコメント
1:「議会が行政府を監視することが難しいために、行政府への権限移行がいっそう進んだ」との指摘があるが、議会から行政府への権限移行というベクトルはそもそもない。あるのは、三権分立であり、議会が行政府への監視機能が以前ほど強く働かなくなった、という指摘であれば、わからなくもない。
2:地方政府ではコールセンターを設けて情報提供を受けていることによって、税金が節約され、サービスの質も大幅に高まっているとの指摘があったが、そのことで、市民からの意見が市政府に直接伝わらなくなるデメリットもある。したがって、「市民と政府のつながりを強める効果」は期待できない。
3:「大統領にガバナンス問題への関心が欠けてい」るとの指摘があるが、本当にガバナンス問題への関心に欠ける大統領というものが存在するのか。それほどに、米大統領とは、政治的な存在なのか。

付章へのコメント
1:「政府が困難な仕事をやり遂げても政治的に得るものはほとんどない」との指摘があるが、はたして本当にそうだろうか。疑問が生じる。

【論点】
1、多くの市民、識者、そして、政府自身も、今ある政府では、様々な困難な問題に適切に対応できていないことは分かっているが、それへの適切な解決法は見出していない。それに対するひとつの回答が本書であるが、付章にある5つの要素で本当に改革6.0は成功するのだろうか。たとえば、「1、結果を出すことに集中すること」との提示を著者は行うが、これは当然のことであり、今さら提示されても違和感を覚える。他の4つの提示も新鮮味は感じられない。