【箇所】2010年度前期 早稲田大学大学院法学研究科
【科目】社会保障法研究Ⅰ
【担当】菊池 馨実 教授
INEQUALITY REEXAMINED by Amartya Sen 1992
『不平等の再検討』潜在能力と自由(岩波書店、1999年)
担当:序章、第一章、第二章 (1-58頁)
【梗概】
はじめに
「本書は、表題が示しているように不平等を考え直すことを目的としている。」
「平等についての分析や評価の中心にある問題は「何の平等か」であると、私は本書で主張したい。」
「「何の平等か」という問いの決定的に重要な役割は、(中略)何の平等を追及すべき社会的課題と見なしているのかという基準で整理できるという点にある。」
「何の平等か」という問いの重要性は、現実の人間の多様性から生じているのであり、一つの変数を基準にして平等を求めることは、単に理論上だけでなく現実的にも他の変数における平等の要求と衝突することが多い。」
「ここで選んだアプローチは、わたしたちの人生を構成する、価値ある「機能」を成し遂げる「潜在能力」、より一般的には、わたしたちが十分な理由をもって価値あるものと認めるような諸目的を追求する自由に焦点を当てる。」
「本書は、1988年4月にイェール大学で行われたクズネッツ 記念講演に基づいている。」
※序章では、妥当性と平等以降の節において、本書各章における主要な論点が提示されているため、序章の梗概はすなわち、本書全体の梗概を意味することにもなりかねない。しかし、第三章以降は、当該の報告者がすでに設定されているため、当報告はその兼ね合いから逸脱しない範囲で各節の梗概を以下に記す。なお、各節タイトル後の→は、その節で扱っている章を示す。
序章 問題とテーマ
「人間は互いに異なった存在であるために、異なった変数 によって平等を評価すると多様な結果が導かれる。このことが、「何の平等か」という問いを非常に重要なものにしている。」
多様な人間性
「平等に関する中心的で重要な特徴」は、「人間とは全く多様な存在である」 ということである。
焦点の多様性
平等か不平等かは、特定の側面を他の人の同じ側面と比較することによって判断をすることができ、その際、比較する分析の焦点(=対象)となる変数(=機能) を、「焦点変数」とよぶ。
「このようにして選ばれた焦点変数は、その内部に複数性を持っている可能性があ」り、「ひとつの変数内の複数性は、いくつか選択された焦点変数の間の多様性とは区別しなければならない。」
一致と不一致
「実際には人間は本質的に多様であり、平等を評価する際に「焦点の多様性」を考慮することが必要になる。」
多様な平等主義
「いずれの理論もその理論が「焦点変数」と見なすものについての「平等」を支持するという共通点を持っている。」
「中心的な領域で平等などの秩序を守るために、周辺とみなされる変数に関する不平等は受け入れなければならない。」
妥当性と平等→第一章
「いかなる理論も、ある「焦点変数」に関しては平等主義的だから」、「問われなければならないのは、「何の平等か」ということである。」
成果と自由→第二章
「これまで(略)注目を浴びてこなかった不平等評価のひとつの側面は、「成果」と「成果を達成するための自由」 との区別であり、そこにセンは注目する。
機能と潜在能力→第三章
「社会のあり方を評価する一般的なアプローチ」として、本書は「個人が理性的に評価している機能を達成する潜在能力」を提示しており、これは「平等と不平等を評価する新しい視点」 であるとともに、その「ルーツは、アリストテレスにまで遡ることができる。」
「有効な自由」の評価→第四章
「成果の不平等は、各個人が享受している自由の不平等を解明することにも役立つ。このような認識に立つと、(略)実際の成果に関する観察可能なデータを用いることにより、各個人が享受している自由について、部分的ではあるが重要な見通しを得る」 ことができる。
潜在能力と効用の違い→第三、四章
「効用アプローチとは対照的に、潜在能力アプローチでは、困苦を強いられている人々が基本的な機能を達成する自由を欠いているということを直接説明することができる。」
潜在能力と機会−平等と効率性→第九章
「これまで長い間、支配的であった「機会均等」に関わる様々な概念とも異な」り、「潜在能力はその人の目的を遂行する機会を文字通り意味して」おり、「「真の機会均等」を捉える適切な方法は「潜在能力の平等」でなければならないということである。」
ロールズの視点との違い→第五章
潜在能力に基づく評価と基本材(primary goods)の保有に焦点を当てるロールズとの違いは、人間の基本的な多様性に行き着く。
それは、「同一の基本財を持っている二人の人間でも、善と考えることを遂行する自由は全く異なっているということも起こりうる」 からである。
経済的不平等と貧困→第六、七章
「厚生経済学で標準的に用いられる情報とは異な」り、「機能と潜在能力という視点は、経済的不平等を評価する際に新しいアプローチを提供する。」
それは、貧困評価において、「豊かな国々の貧困の性質を理解する上で特に役に立つ。」
階級、ジェンダー、その他のカテゴリー→第八章
潜在能力の視点で、階級、ジェンダー、その他の社会的特性における格差を論じることは、「効用水準に歪みを生じさせている状況を効用アプローチよりも敏感に捉えることができる。」
平等、効率性、インセンティブ→第九章
「平等は、他の要件との関連において見ることなしには適切に評価することはでき」 ず、「人間の多様性が広範に存在する時に不平等の問題は特に深刻になるので、この問題は社会経済政策を考える上で重要になってくる。」
分析手法と本質的内容
「本書は分析手法だけではなく、同時に本質的な論点も取り上げる。」
第一章 何の平等か
1 なぜ平等か、何の平等か
「平等の倫理分析におけるふたつの中心的な課題は、(一)なぜ平等でなければならないかということと、(二)何の平等かということである。」
「(二)の課題に言及することなしに、(一)の課題に答えることはできないだろう。」
それは、何の平等かを考えることなく、なぜ平等でなければならないのかを考慮することはありえないということである。
「時の試練に耐えて生き延びてきた社会制度に関するいかなる規範的理論も、その理論は特に重要であると見なしている何かに関する平等を要求しているということである。」
つまり、「すべての人々の総効用の和を最大化することを求めている」 功利主義 においても、じつは、「「隠れた」平等主義を内包している」 のである。
「このことから、(略)平等主義は理論を「統合する」特徴ではないという」 結論が得られる。「問題は、「何の平等か」という問いに対して暗黙のうちに異なった答えを支持する議論を行っているということに帰する。」
「政治、社会、経済哲学における平等の要求は特定の変数と伝統的に結びついており、平等主義として取り上げられるのはこれらの変数のひとつにおける平等である」 。従って、他の変数に関しては反平等的であることを意味する。
2 公平さと平等
「なぜ平等でなければならないか」より、「根本的な論点は「何の平等か」にあるということであ」 り、「社会のあり方に関する多くの異なった倫理理論は、それぞれ重要とみなすものに関して平等を求めるという共通の特徴をもっている」。
それは、「社会的なことがらに関する倫理的根拠が何らかの妥当性を持つためには、その根拠はある側面ですべての人々に等しく基本的配慮をしなければならない」 ことを意味する。
「ある面における不平等が正当化されるのは、倫理体系の中で、より基本的であると見なされる他の面における平等が優先されるからである。」
3 人間の多様性と基礎的平等
「人間の多様性から生じるひとつの帰結は、ある変数に関する平等は他の変数に関する不平等を伴いがちだということである。」
ここの議論で重要なのは、「平等によって不平等を正当化しようとする戦略」に、「より中心的で重要な変数に関する平等の結果としてそのような不平等が生じたということを示す」 ものが挙げられる。
基礎的な変数に関する平等の必要性について人々が合意し、この合意が公平でなければならないとすると、「何の平等か」という問いは、「基礎的平等を求めるべき変数は何か」という問いと差はなくなる。
4 平等 対 自由?
「平等の重要性は、しばしば自由の重要性と対比される」 が、「自由と平等との間の関係をこのようにとらえるやり方はまったく間違ったものである」。
むしろ、「平等の問題は自由を重視する主張に付随して直ちに生じてくる。」 たとえば、自由が重要であるという信念は、人々の自由を平等に促進するような社会制度を考案しなければならないという考え方と対立」 しないように。
「自由対平等」という観点から違いを考えることは、「カテゴリーの過ち」を犯しており、「自由は平等の応用分野のひとつであり、平等は自由の分布パターンのひとつである。」
5 複数性と平等の「空虚さ」
平等とは「内容の空虚な概念」 という考え方があるが、「この考え方は間違っている」 とセンは主張する。
その理由の第一は、「特定の変数が選ばれる前でも、特に重要と見なされる変数に関して平等を評価する必要を一般条件として求めるということは決して空虚な要求ではない」 からであり、「第二に、一旦、文脈が決まると、平等は強力で厳密な要件となる」 からである。「この原理は、指標や尺度を特定することなく一般的な平等の条件のみで、総額の等しいいくつかの分布を順序付ける説得的なルールである。」 「第三に、平等が求められる変数の多様性は、より深い多様性、すなわち価値目的が多様であること、問題となっている文脈において人の優位性をとらえる適切な概念が多様であることを反映している。」
ここで、「複数性は、単に平等のみではなく個々人の優位性を示す情報的基礎に含まれるその他の社会的概念にも反映されている。」
「例えば、効用に関するパレート最適に対応させると、「自由で測った効率性」とは「他の誰かの自由を縮小させることなしに誰の自由をも増大させることはできない状態」であることを意味する」 が、「効率性は、自由、権利、所得、などの変数によっても同じように定義することができる。」
6 手段と自由
「社会制度に関する規範的理論は、(中略)ある変数に関する平等を要求している。」 そのため、「基礎的平等は、他の変数の不平等の直接的な原因になっているとさえ言える場合がある。」
それは、変数の選択について、「最も強力な発言は、ジョン・ロールズのものであろう」 が、彼の言説にある「公正としての正義」のふたつの原理のうち、第一原理では、「自由の平等を求めている」 からである。
「同様に、基本財と、個人の目的を追求する自由との関係も多様である。」 そこでは、「人間は多様であるという基本的事実があるために、不平等を評価するときにどの変数をもって評価しているのかをはっきりさせておくことが特に重要になる。」
「平等主義のもっとも中心的な課題(中略)は、まさにこのような異なった変数に対応して平等な状態が異なってくるという対照性から生じている。」
7 所得分配、福祉、自由
われわれは多様性に満ちた生き物であるため、そこに存在する不平等を評価する枠組みを適切に導入することは困難である。
そこに生じる重要な問題として、不平等分析が所得にのみ焦点を当てることを指摘できる。なぜならば、その他にも重要な手段は、存在しているのであり、手段と目的の間の関係が個人間で多様であるからである。
これらの問題は、経済学の不平等の計測に関する文献でも無視されてきた。そこでは、すべての人の所得を同等に取り扱うという点に問題があった。
不平等の分析を単純かつ容易にしようとする誘惑から、個人間の多様性は無視されてきたが、そこに生じる心地よさの代償として、「平等な所得分配の結果から生じる福祉や自由の本質的な不平等を見逃すことにな」 った。
第二章 自由、成果、資源
1 自由と選択
社会における人の評価は、成果と、それを達成するためにどれだけの機会が与えられていたかによって測られる。
そのうち、成果を判断する方法に、「効用」、「豊かさ」、「生活の質」があげられる。これらを「変数」ということもできるが、「変数」にどれを選ぶのかを、センは不平等を評価する際に、本章においても重視する。そこに、本章では成果を、達成度と達成するための自由を区別するという問題を新たに設定している。
「もし資源や基本財の観点から平等を捉えようとするなら、成果によって評価することを超えて、自由を評価する方向に進んでいると見ることができる。
しかし、資源や基本財の所有を平等化させることは、必ずしも各人によって享受される実質的な自由が平等化されることを意味しない。なぜなら、資源や基本財を自由へと転換する能力には、個人間で差があるからである。」
2 実質所得、機会、選択
「成果と自由の違いは、これまではっきりと区別されてこなかった実質所得分析の二つの異なった解釈によって説明できる。」
この実質所得の評価には、選択した財の組合せに関わる「選択の視点」と、自分の所得で購入することのできるすべての財の組合せからなる集合に焦点を当てる「オプションの視点」がある。
「オプションの視点」では、顕示選好理論 が使われる。
それに対して、「「選択の視点」では財の組合せxとyを比較することに焦点を当て、その際、選好に特定の構造(特に凸性 、すなわち、非逓増的限界代替率)を仮定している。」
「しかし、(中略)「オプションの視点」においてさえ、選択の自由の範囲に対して本質的な重要性が与えられて来なかった」。
3 資源とは区別された自由
「ここで再び「自由」と、「自由を達成するための手段」との間の違いに戻」 ると、「予算制約の下で選択可能な財の組合せの集合」 である予算集合は、財空間における人の自由を表しており、予算集合は個人の資源をもとに導出することができる。そこにおいて、「「予算集合を決める資源」と「予算集合自体」との違いは、「自由の手段」と「自由の程度」との間の違いに対応している。」
「成果から資源へと焦点をシフトさせることは、(中略)自由に対して、より大きな注意を払うことになる。なぜなら、選択可能な財の組合せの集合は資源によって決まってくるからである。」
このように、個人の優位性を、その個人が支配している資源によって判断することによって、成果から自由へと焦点を移すことになる。
「個人的・社会的特性が個人間で異なっているということは、資源や基本財から「成果を達成するための自由」への変換についても同様に多様であることを意味している。」
この結果、「一般に、資源や基本財の比較を、自由の比較として用いることはできない」と、本章においてセンは結論づける。
【若干の考察と感想】
1、本書は、当レポート1頁でもふれたように、イェール大学で行われたクズネッツ記念講演に基づいたものであり、それ以外での記述も、それらは大学等で行われた講義に負っているため、口語体を基調にしている。そのため、同じ概念を何度も重ねて記述している箇所が多数みられる。
2、「はじめに」の冒頭で指摘しているように、本書は、平等についての分析や評価の中心にある問題に「何の平等か」、すなわち、「「何に関して平等を求めているのか」という観点から問い直」 しを行っており、その際「争点を平等主義者と反平等主義者との間の対立と見てしまうと、この問題の中心的なものを見失うことになる」 ことを指摘している。それは、ある面ではみな平等主義者だからなのであるが、問題は、先述のように、「何の平等か」なのである。
3、上記「何の平等か」という問いの役割は、2点ある。
ひとつは、どの平等を追求すべきなのかを明示することで、そのことによって、社会的課題を整理することができるからである。その結果、「それぞれの理論で重要と見なされるものに関して平等を求めようとすれば、重要とは見なされないものに関して不平等を受け入れなければならない」 ことになる。
もうひとつは、「人間は本質的に多様であり、平等を評価する際に「焦点の多様性」を考慮することが必要になる」 との認識によるものである。
4、「これまでの平等論の情報的基礎は、功利主義または効用主義のように快楽または欲求充足という心理的成果か、またはロールズの基本財のように、よく生きるための手段にすぎない財・サービスの資源のどちらか一方に偏っていた。これらはいずれも、人間の多様性のために人々の福祉を正確に表現することはできない」 ため、センは、「機能」(=人の福祉を表す様々な状態や行動を指す)に注目する。成果や資源は、人の福祉の手段や結果を表すものであり、人の福祉そのものとの間にギャップが生じるため、人間の多様性を考慮した場合に特に深刻なものとなってしまう。
5、訳者の佐藤仁准教授は、「アマルティア・センのアートとサイエンス」 で、「センが広く社会に受け入れられる理由は、そのサイエンスよりもアートの側面ゆえ」と指摘している。
センの学問の母胎が経済学にあり 、その経済学は、社会科学のなかでもとりわけサイエンスと親和性が高いものであるが、にもかかわらず、本書を読んでいても、センの論考にはたしかにアートを感じさせるものがあった。
佐藤准教授は上記論考で、センには3つのアートがあると指摘している。そのうちのひとつが、問いの前提を問うアートである。それによれば、センには『グローバリゼーションと人間の安全保障』 という邦題の著書があるが、その第3章に「文明は衝突するのか−問いを問い直す」が収録されている。
そこに次の記述がある。“今日の世界を席巻している決り文句は、「文明は衝突するのか」という問いの形をとります。この問いは、表面的にはとても魅力的なものですが、全く間違った問いなのです。その意味では、間違った前提に基づく問いの例として古くから知られる、「君はもう奥さんに暴力をふるうのをやめたのか」という問いによく似ています。この問いに対して「イエス」と答えたとしても、「ノー」と答えたとしても、そもそも答えようとすること自体が、全く間違っているかもしれない前提を成り立たせてしまうことにつながります。”なるほど、このように問いの前提を問うのもアートであり、ユーモアでもある。
6、「センの方法論的特徴は、既存の議論の精緻化よりも、その批判に基づく新たな焦点を作り出す」 ことにあるように思われる。本書でいえば、序章でふれられ、第三章以降で詳しく論じられる「潜在能力」‘capability’がそれに該当するのであろうし、「何の平等か」という問いも「新たな焦点」である。
「「潜在能力」は曖昧さを残した概念である。「潜在能力」を完全なものにしないでも役に立てることができるというのが、センの考え方である。」
「センはケインズが残した名言を繰り返す形でこう言ったことがある。「ぼんやりと正しいほうが、はっきりと間違っているよりマシだ。」 これは、理論の不完全さを取り繕う言葉とも読み取れないことはないが、複雑な問題に特有の曖昧さから逃げないセンの決意のようにも読み取れる。