今回新たに、その時々にぼくが読んだ本の感想を気ままに綴るらん丈の読書日記、略して「らん読日記」のコーナーを設けました。
ぼくは芸人にもかかわらず、情けないことに趣味らしい趣味を持っていないのです。献血が好きで、毎月一度は血液や血小板、血漿を採っていただいておりますが、献血は趣味とはいえないでしょう。では見方を変えて、なにをしているときが楽しいのかと問われれば、映画を観たり、あるいは、JAZZを聴きながらコーヒーを飲みつつ本を読んでいるときが、無上の時の過ごしかた、と答えます。たとえば、登山や釣りが趣味というのならばすぐに納得できますが、映画や読書を楽しむのはどなたでもなさることで、はたして趣味の範疇に入るのか、きわめて怪しいのですが、上述のように、本を読んでいるときが、ぼくに至上ともいえる幸せなときをもたらしてくれるので、この際、ぼくの趣味は「読書」とさせていただき、思いつくままに読んだ本の感想をその時々に、徒然なるままつづってみようというのが、このささやかなコーナーを設けた理由らしきものです。それでは、始まり、始まりー。
たとえば、明治に漱石がいなかったら、大正に芥川龍之介がいなかったら、昭和に太宰治や三島由紀夫がいなかったら、われわれはさぞや貧しい文学環境に甘んじなくてはならなかったことでしょう。その伝でいえば、昭和から平成にかけて古井由吉と村上春樹がいなかったら、それこそ、日本の小説好きは悲しくなるほど貧しい日々を過ごさなくてはならなかったのです。
今回はその村上春樹が1998年に上梓した『辺境・近境』(2000年新潮文庫刊)を、ちょうど今日読み終えたところなので、取り上げてみましょう。
ぼくが最初の学生生活を送っていた1979年に、村上は『風の歌を聴け』で颯爽とデビューしたのです。その印象は、じつに鮮やかで、ぼくもそこに描かれる都会的でいながら日本の本質に根ざした作風に強く惹かれたものです。それ以来村上の作品は出来るかぎり読んできました。その3年前の1976年に『限りなく透明に近いブルー』でこれも鮮やかなデビューを飾った村上龍とともに、両村上として今もその人気は衰えることがありません。
早いもので、デビューから23年もの月日が過ぎたのですが、その間、村上はぼくのような日本の小説好きを常に満足させてくれた、他をもって変えることの出来ない=彼にしか書けない優れた小説の数々を生み出してくれました。その筆頭に『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)が挙げられることは、多くの方々が賛同してくださることでしょう。
さきほど、村上の作品はほとんど網羅してきたと書きましたが、その実、ぼくは村上のさほど好い読者ではなかったのです。それが証拠に、今回取り上げる『辺境・近境』にしても、出版されてから4年も経ってから初めて読んでいるほどなのですから。
ぼくにとって村上は、読み出すと止まらなくなり、一冊を読むとまた新たな一冊を読みたくなる、中毒性を帯びた作品群を、提供してくれる作家です。けれど、ある程度読んでしまうと、ある日を境にパタッと読みたくなくなってしまう作家でもあるのです。
これはいったいどうしたことなのでしょう。もしかすると、この謎を解くことが、村上春樹の特徴を知るひとつの手掛かりになるかものかもしれません。
『辺境・近境』は、村上春樹が実際に経験した7つの旅の記録を収めたトラヴェルログ(旅行記)集です。行き先は様々で、ニューヨークからぴったり100マイル離れたイースト・ハンプトン、瀬戸内海にある無人島・からす島、1ヶ月にわたるメキシコ旅行、讃岐のうどん食紀行、戦前、日本の軍隊が壮大な愚行を犯したノモンハン、アメリカ大陸のボストンからロスアンジェルスまで自動車による横断旅行、村上が生まれ育った阪神間、西宮から神戸まで、あの大震災から2年後に15キロメートルにわたって歩いた旅行記、以上7編が本書に収められています。つまり、メキシコやノモンハンが「辺境」であり、阪神やからす島が「近境」に当たるのでしょう。
村上の作品を読んだ方はどなたもご存知のように、村上のエッセイの魅力はアフォリズムと異次元同士を組み合わせたような突飛でいながら正鵠を射た比喩にあります。
本書でも、その魅力は遺憾なく発揮されており、たとえば、
“僕という人間を疲弊させるさまざまなものごとを、自然なるものとして黙々と受容していくようになる段階こそが、僕にとっての旅行の本質なのではあるまいか”
“我々はある場合には、見事な祭典よりは、むしろ、いつ果てるともなく引き延ばされたアンチ・クライマックスのほうを好んだ”
“我々は日本という国家を結局は破局に導いたその効率の悪さを、前近代的なものとして打破しようと努めてきた。自分の内なるものとしての非効率性の責任を追及するのではなく、それを外部から力ずくで押しつけられたものとして扱い、外科手術でもするみたいに単純に物理的に排除した。”
“道はおおかたの場合、トルストイの小説に出てくる正直な農夫の魂のごとく、痛々しいまでにまっすぐであり、(以下略)”
“人は年をとれば、それだけどんどん孤独になっていく。みんなそうだ。(中略)僕らの人生というのは孤独に慣れるためのひとつの連続した過程にすぎないからだ。”
といった言葉が、ちょっとページをめくっただけでも、次々に出てきます。
村上は1997年に出版された『アンダーグラウンド』(講談社文庫)以降、その視点を社会への関わりに、それまでの作風からは想像できないほど強く、向けてきました。
その契機となったのはいうまでもなく、その2年前に起こった阪神大震災と地下鉄サリン事件です。
『アンダーグラウンド』について村上は本書でこう言います。“ぼくがこの本で追求し、描き出したかったのは、あるいは僕自身が切実に知りたかったのは、我々の社会の足下に潜んでいるはずの暴力性についてであった。僕らが普段はその存在を忘れているけれど、現実に可能性としてそこにある暴力、あるいは暴力というかたちを取って現実に外に出てくる可能性について”と。
先に挙げた、本書からピックアップした村上のいくつかの文章にもあるように、村上はいま、「僕」という一人称よりも「我々」という主語を多用します。これは、デタッチメント(かかわりのなさ)を重視してきた村上がコミットメント(かかわり)を“ものすごく大事になってきた”〔『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)〕と語ることと符合します。
また、彼は自らを“ムーブメントや集団に違和感はあっても、「個人的に政治的な人間」であると規定する”のにも照応します。
村上の作品はある日を境にパタッと読みたくなくなると、先に書きましたが、村上は日本の作家では多作とはいえないまでも、翻訳を含めれば、決して寡作とはいえない、結構な量の作品を生み出す作家です。
その少なくない作品を生み出すインセンティヴ(誘因)は、もちろんぼくには測り知れないのですが、大きな理由のひとつに彼の「生真面目さ」があるように、思われます。
おそらく、彼は怠惰を嫌うタイプなのでしょう。そういう人に、ぼくは個人的にシンパシーは感じても、「面白み」は感じられないのです。あるいは、近親憎悪の感情も抱いてしまうのですし、ある種の「鬱陶しさ」もあわせて村上の文章から嗅ぎ取ってしまうのです。
そんなところに、ぼくが村上をあるときからパタッと忌避してしまう、その鍵が隠されているような気がしてしまうのです。