町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

鈴木輝一郎『何がなんでも作家になりたい!』(河出書房新社)らん読日記

2002.11.28(木)

 この作家をご存知の方は、かなりの小説好きでしょう。知らなかったら、これを機会に覚えておいても損はない、手練れの作家です。1994年には推理作家協会賞を受賞しており、1960年生まれですから、ぼくとは一歳違いで、年齢は40台前半と、今を盛りの作家です。
 いまや作家にとって、顔かたちの出来具合が売り上げにかなり、影響するご時世です。この傾向は、石原慎太郎のデビューによってもたらされ、五木寛之の登場によってそれは決定的なものとなり、いまや、美人の代名詞といってもいい中山美穂と結婚する作家まで出てきたのですから、作風よりもカッコウばかり優先されるのも致し方のないところでしょう。
 そこへいくと、著者の鈴木は、作品一本勝負です。これだけ言っても、どうしてもその顔を知りたいという方は、『新刊ニュース』11月号の33ページをごらんなさい。そこに、本書40ページに書いてあるように、「インド系の暑苦しい顔」をした著者を見つけることができますから。

 書名を見ればお分かりの通り、作家志望者に向けて書いたのが本書です。ところでこの、小説家入門本はエッセイの一ジャンルを形成しており、本書でも指摘している通り、書店によっては棚一本ぜんぶそれに充てている場合も珍しくないご時世です。本の購買者よりも、作家志望者のほうが多いといわれているほどなのですから。
 ぼくの場合は、作家になろうなどと大それた望みを抱いているわけでは、もちろんなく、同書にはきっと面白いことが書いてあるに違いないと目星をつけて読み始めたところ、案の定、なかなか楽しめたので、この「らん読日記」に掲載したのです。

 たとえば、「一生の長さは人それぞれですが、一日の長さは生まれた日と死ぬ日以外はすべて24時間と決まっています」、「事実はあなたを快適にさせるために存在しているわけではありません」など。

 本書で作者は、作家になろうとするものは新人賞は取って当然であり、それよりも作家であり続けることの困難さこそ、むしろ強調しています。
 そりゃたしかにそうでしょうなぁ。なにしろ、ぼくの周りを見回してもみなさん活字を読む時間が実に少ない。メールを見たり打ったりしているひとを実に好く見かけますが、あの行為は5年前はまだ、ほとんどだれもしていなかったことです。少なくともその時間分は、活字を読む時間が減っているのです。いうまでもなくメールの文字は活字ではありません。だいたいが、いまや情報はほとんどインターネット経由で仕入れるのが当たり前になっていますから、新聞を宅配してもらっている家庭がほんの5年前と較べてもどれだけ減ったことでしょう。特に都心の単身世帯では、かなりの数の家庭が新聞を取っていないはずです。

 つまり、いまの日本を覆っているのは、本書でも指摘するように「壮絶といってもいい出版不況」なのです。売れるのは漫画かベストセラーばかり。たまにしか本を買わないから、どうしても安全志向になり、『ハリーポッター』の一人勝ちになってしまうのです。まさに「一将功成りて万骨枯る」状態になってしまうのです。

 もうひとつ。これはだれもがずっと以前から言い続けていることですが、テレビしか見ない人間は確実に劣化します。大宅壮一が言ったように「一億総白痴化」しつつあるのが、いまの日本でしょう。こう書くと、吉田直哉が書いていた(朝日新聞02年11月19日夕刊「時のかたち」)けれど「総白痴化って、その前、みんな脳トカよかったわけ?」と訊かれますが、テレビのどこがいけないのかは、「テレビの向う側の大衆を無視するわけにはいかない。その大衆=視聴者は、高度成長、テレビの増加とともに、刻々、文化程度が低くなってゆく。」(『志ん生、そして志ん朝』5「志ん朝のいる〈空間〉」「一冊の本」02年11月号』)と、小林信彦が指摘する通りです。

 テレビを見るからばかりではないでしょうが、経済協力開発機構(OECD)が00年に調査した結果によると、32カ国の15歳のうち日本の子どもの勉強時間は、世界で最低レベルという事実があります。日本から受験戦争はとっくになくなっているのです。もしもあるとすれば、それは進学塾が入塾者を獲得するがためのミスリードでしょう。
 それでも、こうして文字を主な媒体とするぼくのHPを読んでいる方がいらっしゃるのですから、ありがたいことです。

 最後に、本書を読んで気になった箇所をひとつ指摘します。50ページに、夏目漱石『吾輩は猫である』は新聞連載された旨の記述がありますが、発表誌はご存知の通り「ホトトギス」という俳句雑誌であって、これを新聞というのは、少々無理がありはしないでしょうか。
 とはいっても、これはごく些細なことで、本書の面白さがいささかも減じるわけでは、もちろんありません。まずは、ごらんあれ。損はしませんよ。