町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

姜 尚中・森巣 博『ナショナリズムの克服』(集英社新書)らん読日記

2003.01.31(金)

装幀:原 研哉

 姜尚中さんが、政治学・政治思想史を専攻する、東京大学社会情報研究所教授であることを御存じの方は多々いらっしゃるでしょうが、対論の相手を勤める森巣博さんを御存じの方は、あまり多くはいらっしゃらないと思います。
 ですからここで森巣氏をあらためてご紹介しますと、1948年に金沢で生まれた後、すぐに東京に移り、学校で教師に殴られると、確実に殴り返すという、天晴れな少年時代をすごし、14歳から一人暮らしを始め、1971年に後楽園競輪で300万円(当時大卒の初任給が3万円)を当てたのを機に雑誌社の編集者を辞め、米国に渡り、1975年にイギリス人の妻と結婚し、イギリスに居を定めるものの、1981年にオーストラリアに一家で移住し、そこを拠点に世界各地のカジノを攻め、「常打ち賭人」を自任し、なおかつ「不純文学」を標榜し、ジャンル横断的な作品を執筆する作家でもあるのが、森巣博です。

 まず、表紙カバー裏にある本書の紹介を転写することで、本書の概要を伝えましょう。“在日の立場から、長年、「日本」について鋭い批判と分析を続けてきた姜尚中と、オーストラリア在住の国際的博奕打ちで作家の森巣博という、異色の対談が実現しました。テーマは、1990年代以降、日本に吹き荒れている、ナショナリズムの嵐です。第一部で、日本型ナショナリズムの歴史を通観。第二部で、グローバル化によって、変質する国民国家像と、国境なき後の世界の未来について、刺激的な意見交換を繰り広げます。国家とは何か、民族とは何か、故郷とは何か。本書は、ナショナリズムを理解し、何者をも抑圧しない生き方を模索するための入門書です。”

 姜尚中は2001年に『ナショナリズム』(岩波書店)という本で、90年代日本のネオ・ナショナリズムが、単なる一時的な現象などではなく、第二次世界大戦以前に捏造された「国体」という、実に怪しい概念(日本型ナショナル・アイデンティティの源)と地つづきのものであることを明らかにしています。では、「国体」とはなんでしょうか。この場合の国体とは、いうまでもなく、国民体育大会の略ではありません。
 姜は「国体」とは、「主要素たる日本民族の本質」でありながら、その「本質」がなんであるかは決して明記しない、と指摘しています。
 国体が歴史的に最初に現れるのは、本居宣長における古代神話の考古学的な発見を介して、ナショナルな自己同一性を確認しようとしたことに始まります。
 その後、江戸時代後期に会沢正志斎など、後期水戸学の一派が、封建的な割拠性や階層秩序を包括する統一体として「国体」という言葉を使用し始めます。
 この素朴な「国体」言説は、大日本帝国憲法、教育勅語、軍人勅諭などのテキストを通じて、洗練され、いよいよ法律用語として浮上したのは、1925年に公布された治安維持法においてです。ところが、敗戦時にいたって「国体」という言葉を使用する支配層の中で、その言葉の本当の意味を説明できる者が、誰一人としていないという、異様な状況が生み出されました。
 戦後日本は、アメリカという外部の超権力の介入をテコに、現人神を憲法の内部に封じ込め、しかもそれを政治的にはイノセントな「象徴」に変身させることで再生した、新たな立憲民主国家でした。しかし、主権が国民になっても、「国体」は途絶したわけではありません。「談合体制」としての戦後「国体」は、アメリカの眼差しを内部化して自らを眺めながら、同時に、イノセントな、その意味ではより根源的な天皇と国民の共同体に回帰する形をとったからです。
 本書は二部構成となっているのですが、第一部のなかでぼくの心に最も残った言葉は、“国家という共同性に対して、国民が忠誠心や生命を捧げたりするのは、いったい、なぜなのか”という姜の発言でした。

 第二部では、民族を介して対論が展開されます。そもそも民族概念は、「西欧近代」の発明物と森巣は指摘します。「民族」は、文明、文化、国民、国家、人種などと同様に、18世紀の後半に、社会分析の道具として立ち上げられたものなんだそうです。
 民族は「西欧近代」が発明したとの論から、日本と呼ばれる領域内に「日本民族」は存在しないけれど、「アイヌ民族」、「沖縄民族」、「在日××民族」は成立する、これは民族という幻想は、外側を排除・抑圧・収奪し、内側を統治するのに非常に便利な道具という説に敷衍されます。

 ただその「民族」という概念は1960年代の構造主義以降、徹底的に解体され、いまや成立しようがないと、森巣はいいます。そのことが分かってきたからこそ、統合を強めようとする。それがいまのナショナリズムなのです。
 そのうえ、70年代の終わりくらいから、国家が国民を等しくボトムアップしていくことができなくなった、こうして福祉国家が挫折すると、資源の選択的な配分が起こらざるを得なくなる。それを再配分化していくために、国家の正当性を、別のものに切り替えなければならなくなった、ここからもナショナリズムが胚胎されたのです。
 こうして公共の福祉ではなく、効率性、合理性、能率性が優先され、国民は、企業にも、国にも寄りかかるな、自分たちのことは自分でしなさい、頑張らない人はダメなんですよ、という「自然状態」が現出しました。
 では、豊かな社会へのキャッチアップ幻想が消失したときに、救済されない人々は、どうしたらよいのか、何を求めて生きていくかが問題となり、その結果として9・11のテロリズムが現れたというのです。
 ただ、姜もいうように、ぼくも、近代のナラティブ(物語)は、やはり、キャッチアップにあったと思うのです。
 もうひとつ、今日のグローバリズムにおいては、少数者が中心に近づけるシステムがあらわれてきた、そこでは、民族の違いは問われない、という姜の発言に光明を見出したのでした。