この小説は、さる1月16日に選出された、現在のところ最も新しい芥川賞受賞作品です。
今回の芥川賞で話題を独占したのは、選からは惜しくも漏れたものの、受賞すれば史上最年少となる候補作家となった、19歳の現役高校生、島本理生(しまもとりお)さんだったのは皮肉ですが、今回で4度目の候補に挙げられた、大道珠貴(だいどうたまき)さんが、みごと受賞されたのでした。
ぼくは、今回初めて大道の作品を読んだのですが、なかなか達者な小説で、近来の日本の小説ではなかなか味わえない極上のユーモアをたっぷりと満喫することが出来、楽しく読み終えることができたのでした。
こういうところが、日本のマスコミのイヤなところなのですが、稀少な価値への執着が必要以上に強いのです。
いうまでもなく、芥川賞を受賞したのは大道作品であって、島本作品ではなかったのです。なのにマスコミは専ら、“受賞すれば史上最年少の芥川賞作家”“現役高校生”という稀少性にのみ価値を見出し、その作品へはほとんど言及しようとせずに、取材のみを行います。これは、作品によってではなく、高校生というレッテルによってマスコミに採り上げられる島本にとっても不幸なことです。つまり島本は、落選という厳しい現実とともに、作品の内容以外の理由によって取材を受けなければならないという、二重の不幸を味わわなければならないのですから。
文学賞の選考において、作者の年齢に果たしてどれほどの価値があるというのでしょうか。これが、候補作家が小学生であるとか、あるいは150歳にして初めて候補に推薦されたというのであれば、話はまた別ですが、高校生とはいえ19歳なのですから、レイモン・ラディゲの例を持ち出すまでもなく、さほど驚くには当たらないのではないのでしょうか。
マスコミ批判はこれぐらいにして、『しょっぱいドライブ』に戻りましょう。同作は「文學界」2002年12月号に掲載された、新鋭中篇小説特集のうちの一篇で、作者の大道は1966年福岡市生まれの36歳です。
今回の芥川賞候補作は、同作を含めて全6作あったのですが、そのうち、女性の作品が4作を占めました。女性作家の優位は今に始まったことではなく、別に驚くには当たらないのですが、この作品は、女性でなければ描けない雰囲気を、文章それ自体からも濃厚にかもし出させることに、成功しているのです。
新しい才能が見出されたとき、それを形容するのに相応しい表現がいまだ整っていないことに気づかされることが往々にしてありますが、今回もその例に漏れないようです。
たとえばこの小説を、「元気の出ない小説」と否定的に捉えた選考委員がいたそうですが、黒井千次委員が言うように、ぼくも、だからこそ好いのではないかと思うのです。
本作は、34歳の女性が“61か2か3かそのあたり”の父親と同級か、それより少し下の、初老の男との交情を描いたものですが、その男をからっきし意気地のない男として、作者は執拗なまでに強調して描写します。
なにしろ、その男は“ちくわのような手首”を持ち、かなりきゃしゃなのです。そして、皮膚は“さつま揚げみたい”にくすぶっており、そのうえに、“ひとの手を洗ってやっただけで体力を消耗し”、“くちづけだけで体力を消耗したのか、はあはあ言っている”始末なのです。
にもかかわらず、「いつかいっしょに暮らしませんか」と女はその男に提案し、それを男は動揺しつつも、受け入れるのです。
ここだけを読むとぼくは、野坂昭如の小説にあるようなシチュエーションだなとは思うものの、書いたのはいうまでもなく野坂ではなく、紛れもない女性なのです。
そんな女性、ほんとにいるのかしら、とは思うものの、改めて自らを顧みれば、いささかぼくの方が若いものの、まさしくこれと酷似した状況にあると、傍からは見えるのではないか、とも思われたのでした。
そう、男女の仲は、古来、何でもありなのです。年の差がいくらあろうとも、そんなことは一向にお構いなしなのが、男女の仲なのではないでしょうか。
その状況をこの作品は、ごく自然に、肩に一切の力を入れることなく、淡々と描き出しているのです。そして結果的に、作者の周到な配慮によって、稀に見るユーモアを備えた作品へと仕上がったのです。
もうひとつこの作品でとても面白かったのが、あまりに恬淡としたその性の描き方でした。なにしろ、34歳の主人公はいくら未婚とはいえ、“わたしは男のひととそういうことをするのが3回目だったし、以前の2回とも、はるか4年ほど前のことなので、その方面のこととなると素人も同然だった”と述懐するのです。あげくに、初老の男との性交も「漏れそうです」ですからね。みごとなまでに劇的ではありません。
女が妄想に駆られるシーンがありますが、それにしたところで、
“目をとじ、九十九(初老の男の姓)さんとあくまで頭のなかでの性交をしてみる。うす暗い、曇ったぐらいの空間で、どんより、ゆっくり、どっちの力といえないもののなかで揺れている”というごく微温的なものです。
この描写の直後、小説はカタルシスのないままに終わるのですが、その終わり方も含めて、この作品は、停滞した日本の現状そのままに、もどかしいまでに澱んだ感じを色濃く漂わせています。
それが嫌いというのならば、始めから読まなければ好いのですが、ぼくのように生まれてこの方ずっと低空飛行を続けているものにとっては、癒される小説でした。
※文中引用した箇所の算用数字は、原文ではすべて漢数字です。