町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』新潮社らん読日記

2003.03.01(土)

 この「らん読日記」で村上春樹の著作を取り上げるのは、これで3冊目です。それはただ単に、貴女や貴方と同じように、ぼくも村上の書いた文章をこよなく好んでいるからなのです。
 本書はもともと平凡社から1999年に発行されたものですが、昨年文庫に収録されたので、それを機に読んだというわけです。

 本書を紹介するには、「前書きのようなものとして」にある、次の言葉を引用するのが最も適切だと思うので、それを以下に掲示します。
  “ほんとうのことをいえば、そもそもは夫婦二人で二週間ばかりかけて、プライベートなアイルランド旅行をのんびり楽しむつもりだった。しかしちょうど、ウィスキーについて文章を書く仕事がもちこまれてきたので、それならちょうど場所もいいしということで、ウィスキーをテーマにした旅行をしてみようと思い立ったわけだ。”
 上記のように陽子夫人と同道したため、『遠い太鼓』(講談社文庫)と同じように、本書は夫人が撮影した写真をふんだんに、カバーを始め文章の合間に収めています。
 引き続いて、村上の文章を引用します。
  “そんなわけで、ふたつ(スコットランド紀行とアイルランド紀行)足してもそれほど長い文章でもないのだが、文章に手を入れ、少し書き足して、写真と一緒に、独立した一冊の「ウィスキーの匂いのする小さな旅行の本」を作ってみることにした。僕が旅先で味わったそれぞれに個性的なウィスキーの風味と、手応えのあるアフター・テイストと、そこで知り合った「ウィスキーのしみこんだ」人々の印象的な姿を、そのままうまく文章のかたちに移し変えてみようと、僕なりに努力した。ささやかな本ではあるけれど、読んだあとで(もし仮にあなたが一滴もアルコールが飲めなかったとしても)、「ああ、そうだな、一人でどこか遠くに行って、その土地のおいしいウィスキーを飲んでみたいな」という気持ちになっていただけるとしたら、筆者としてはすごく嬉しい。”

 いうまでもなく、その村上の思いはみごとに達成されています。それは、たとえば次のような箇所を読んだだけでも、ぼくはウィスキーを飲んでみたいなと思ったのですから。
“ レストランで生牡蠣の皿といっしょにダブルのシングル・モルトを注文し、殻の中の牡蠣にとくとくと垂らし、そのまま口に運ぶ。うーん。いや、これがたまらなくうまい。牡蠣の潮くささと、アイラ・ウィスキーのあの個性的な、海霧のような煙っぽさが、口の中でとろりと和合するのだ。どちらが寄るでもなく、どちらが受けるのでもなく、そう、まるで伝説のトリスタンとイゾルデのように。それから僕は、殻の中に残った汁とウィスキーの混じったものを、ぐいと飲む。それを儀式のように、六回繰り返す。至福である。
人生とはかくも単純なことで、かくも美しく輝くものなのだ。“

 あるいは、こんな箇所もあります。
  “僕はだいたい半分はストレートで飲む。根がケチなのか、うまいものを水なんかで割るのがもったいないような気がして、どうしても半分はそのまま飲んでしまう。それから一息置いてグラスに水を加える。グラスをぐるりと大きくまわしてやる。水がウィスキーの中でゆるやかに回転する。澄んだ水と、美しい琥珀の液体が、比重の違いのもたらす滑らかな模様をしばらくのあいだ描き、やがてひとつに溶けあっていく。この瞬間はそれなりに素晴らしい。”

 いずれの箇所でも、ぼくは「あぁ、飲んでみたい」とウィスキーを渇仰したのでした。
 それに加えて本書では、スコッチ・ウィスキーはもともとアイリッシュ・ウィスキーが伝播したもので、発芽した大麦のみから造られた「シングル・モルト」と、それ以外の穀物を蒸留した「グレイン」をブレンドして作られる、そして、スコッチには氷を入れてもいいけれど、シングル・モルトの世界には、ワインと同じように、パーソナリティーというものが厳然と存在するため、氷を入れてはいけない、そんなことをしたら大事なアロマが消えてしまうから、という、おぼろには知ってはいましたが、明確には知らなかった知識もあわせて得ることができるのです。

 酒飲みならばだれしも思うことであり、村上も本書で触れていますが、“酒というのは、それがどんな酒であっても、その産地で飲むのがいちばんうまいような気がする”ものであり、酒は、風土や人間が顕著に現れる嗜好品です。
 ですからバーのように、1、2杯ひっかけてぱっと立ち去る形態の飲み屋は日本酒では、存立しにくいと思います。日本酒を飲むならば、まず、座りたい。それも椅子ではなく、あぐらをかきたいのです。つまみは肴、というほどですから、魚介類が好い。まさか、ポテトチップというわけにはいきません。これは、逆の場合もそうで、ウィスキーのつまみに、塩辛というのはまずいでしょう。つまり、酒は湿潤な日本の風土が産んだものですから、どうしてもウエットであり、反対に、ウィスキーには乾いている感じがあります。
 ただ、どうにも耐え難いのが、日本酒を飲むと、くどくなる方です。あれは、ご勘弁をいただきたい。すっきりと格好よく飲みたいのに、日本酒はうまいからつい飲みすぎて、飲み過ぎると、当然酔い、すると、うだうだとくどくなってしまうのです。
 かくいうぼくがそれで、ずいぶんしくじっています。途中でブレーキをかけようとしても、肝心のブレーキがなくなっていることがあるのには、心底、困るのです。