1、本作品が置かれる、芥川龍之介作品群における系譜上の位置
芥川は、王朝や、中世や、江戸や、文明開化期を背景とする、実に多彩な系列の作品群を発表した。
本作品は、25歳で大学を卒業した年に、早くも新進作家としての地位を確立することができた芥川が、『煙草と悪魔』と題する切支丹物の一作目を著した後、生涯にわたって書き続けることになる切支丹物のひとつとして著された。
2、芥川が、切支丹物の執筆を生涯にわたって持続させた原動力
1)古今東西の時代の社会風俗に、小説家的と同時に、歴史家的な興味も旺盛だった芥川にとって、西洋と日本との出会いがキリスト教受容というものに集約的に表象されると認識していたから、と思われる。
2)芥川が創作を始めたころ、わが国の文化史学会では、新村出などを中心として、それまで忘れられていた戦国時代末期のキリスト教導入に際しての、事跡研究が進んでいた。
それに伴い、カトリック宣教師などが当時の俗語で著した宗教的文献への関心が急速にひろまり、この「切支丹文化」の影響を受けたため。
他にもたとえば、木下杢太郎や北原白秋もその影響を受けた代表的な作家に数えられる。
このキリスト教文献には、独特の用語とあわせて、室町時代の俗語も取り入れられており、それらが芥川に文体的、あるいは言語学的な関心を惹起させたものと思われる。
ゆえに、あらゆる思想、美に対してと同様に、日本語の文体に広汎な、好事家的関心を持っていた芥川にとって、異国趣味溢れる日本語に、限りない作家的挑戦の意欲がそそられたのであろう。
3、芥川がキリスト教を受洗しなかった理由
『奉教人の死』一作を読んだ限りで、それを論じることは、荷が勝ちすぎることではあるが、上に記したように、芥川にとってキリスト教は、好事家的関心によって理知的に観察の対象とするものであり、それを血肉化し、信仰の対象とするものではなかった。
逆に言えば、キリスト教を観察の対象としたがゆえに、距離感を得ることができた。距離感を有したがために生むことができた、切支丹物という作品群なのである。
4、「ろおれんぞ」とイエス・キリストとの類似性
一読、本作品の主人公「ろおれんぞ」とイエスとのあいだに通底する相似性を感得することができる。
それを以下に列挙する。
1)「ろおれんぞ」をずっと少年と認識していたが、じつは、女性という倒錯性。
2)傘張の娘を身籠らせたのは「ろおれんぞ」であるとの噂によって、教会を放逐され、乞食に成り果てる。
その後、噂の娘を燃え盛る火事のなかから救出するも、自分は息絶える。
その過程で、じつは、その娘は「ろおれんぞ」の子ではなく、それどころか、「ろおれんぞ」の子と言う噂を流したのは、「ろおれんぞ」に惹かれたものの、顧みられなかった娘の母の逆恨みということが発覚する。なのに、「ろおれんぞ」はそれらにいっさいの言い訳や非難をくわえずに、それどころか、噂の元となった娘を一命を賭して助ける。
これは「火事」という災厄があって、初めて成立する。つまり、凶事が吉事へと転換するのである。
これらは、いずれも、最も卑小な存在であるものが、じつは最も偉大な存在=神の子であったことが発覚するという逆説によって成立する、キリスト教を支える枢要な物語の模倣である。
5、才気あふれるものの稚気
本作品が、日本版『れげんだ・おうれあ』のなかからの引き写しであるとする、その架空の書物について、体裁その他を詳細に紹介し、また作者の切支丹的文体の模倣があまりに完璧であったために、学会がだまされて、作者の手許に、その本を譲って欲しいとの問合せが来たというエピソードを知ると、オーソン・ウェルズの「火星人襲来」という架空のラジオ放送によって、聴取者がパニックに陥った故事を想起する。
いずれも、才気あふれるものにのみ許された悪戯である。
6、芥川のキリスト教理解
本作品ではなく、『さまよえる猶太人』に“14世紀の後半において、日本の西南部は、大抵天主教を奉じていた”という記述があるが、16世紀中葉に初めて日本にキリスト教がもたらされた史実から、これは芥川のまったくの誤解に基づく記述である。
このように、ちょっと危なっかしい芥川のキリスト教理解ではある。