町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

はるかぜ vol.1 2007年4月号市政報告『はるかぜ』

2007.04.01(日)

・町田市議会議員となって
・大学院へ進学
・一身にして二生

町田市議会議員となって

 私は、平成18年2月に行われた町田市議会議員選挙において、御蔭様で初当選を果たすことが出来ました。
 さて、最も根源的な疑問として、なぜ私が、市議会に立候補したのか、それを知りたい、という方もいらっしゃるでしょうから、誠に遅ればせながら、ここでそれにお答えをさせていただきます。
 私は、落語家ですから、社会的には落語さえやっていれば、それでなんら問題はありません。議員になる必然性もありません。まして私は、どなたかから依頼があって立候補した、というわけでもないのです。
 ところで、大学で行政学を受講して知ったのですが、民主主義発祥の地イギリスにおいては、行政を統制する方策としてlayman controlを採用している、というのです。
 レイマンというのは、門外漢、つまり、素人によるコントロール(=統制)、それが民主主義発祥の地、イギリスにおいて広く共有されている政治への考え方、なのです。
 翻って、日本人が抱く政治に対する考え方に、このレイマンコントロールが認知されているといえるでしょうか。
 とても、そうは思えない。それが、一般的な認識なのではないでしょうか。
 つまり、ごく普通の一市民が議員となって、行政に、素人の立場から意見や異見を伝え、改善を迫る。これこそが、本来の議員の姿である、というのがイギリスでの考え方なのです。
それならば、一市民に過ぎない私にも議会に立候補する資格はあるのではないかと思い、町田市議会議員選挙に立候補したのです。
 ですから、私が議員となって、何をしているときが最も充実しているのかといえば、一般質問に関する政務調査と、一般質問を行っているときです。
 その証拠に、議員となったその月に開かれた議会でも、私は当然のことながら一般質問に立ちました。
 そこで質問した内容については、町田市議会のホームページをごらんいただくのが、何よりですが、本通信3ページにあるように、町田市はただの1円も費消することなく、小田急線町田駅の踏切渋滞を解消する手だてを講じる施策の実施を迫る、という内容でした。
 それを受けて、町田市は日本でも初めての渋滞解消法を、小田急電鉄に申し入れたのですが、敢え無く、実現には至りませんでした。
 この質問は、結局実を結ぶことはありませんでしたが、町田市民にとって有用なものと認識する質問は各定例会ごとに行っております。
 その模様を知るには、町田市庁舎5階にある議場に傍聴に来ていただくのが一番ですが、それがかなわなくても、議会の模様はインターネットでいつでも見ることが出来ます。
 アドレスはこちらです。https://www.gikai-machida.jp/
 是非、ご覧下さい。あわせて、らん丈HPにも、議会活動は逐次掲載しております。


大学院へ進学

 2007年3月25日に、らん丈は、48歳にして3度目となる、大学の卒業式に出席しました。
 らん丈本人が、大学を卒業したからです。
 我ながらよくもまぁ、3度も大学に通ったものだと思います。
 最初は、1981年の立教大学文学部、次が2002年の立教大学経済学部、そして今度は、早稲田大学社会科学部の卒業です。

 先ず申し上げたいのは、最初に大学を卒業した時点では、その後2度、あわせて都合3度にわたって大学に通う羽目になるとは、まったくもって夢にも思ってはいなかったということです。
 それがどうして、3度も大学に通い、そのうえ今度は、大学院にまで進学しようとするのでしょうか。

 そのお答えに、代表的な国学者として〈もののあはれ〉の文学論を主張した、本居宣長の弟子の話を引用させていただきましょう。
 宣長の許には、学究肌とは言いかねる商人もたくさん集ったそうですが、それらの弟子たちは異口同音に、「散々道楽の限りを尽くしたものだが、学問ほどの快楽はない」と言ったそうです。
 このように学問は、遊び人をして最高の快楽と言わしめるほどの魅力が備わっているのですから、それに魅せられたから、というのが3度も大学に通い、大学院に進学しようとする、ぼくの偽ざる通学理由です。

 さて3月になると、新聞では決まって高齢者の学位取得を採り上げます。
 たとえば2007年3月の朝日新聞の記事では、84歳の修士号取得、75歳の博士号取得、71歳の博士号取得といった具合に。
 これらの方々も同じように、学問の魅力に惹かれたために、大学院を修了なさったのでしょう。

 とはいうものの、日本の現状を見ると、教育への風当たりはかなり強くなっています。
 それが証拠に、内閣府は3月31日、『社会意識に関する世論調査』の結果を発表しましたが、現在の日本の状況について「悪い方向に向かっている」と思う分野を複数回答で聞いたところ、教育が前回(06年)から12.3ポイント増え36.1%となり、98年にこの質問を盛り込んで以来最高で、初のトップとなったという報道がありました。
 今までの日本の教育現場は、特に初等、中等教育においては、世界に冠たるレベルを維持しているという認識がありましたが、それが揺らいでいるというのが、顕現化している問題です。

 ぼくはその大きな原因に、「好きなことの欠如」を挙げたいと思います。
 これは、どういうことか。簡単です。
 人間には、必ず好きなものがあるはずです。それを教育の過程で、本人に知らしめる、これこそ教育の目的ではないでしょうか。
 教育とは、教え、育てる、の意ですが、世界はどうなっているのか、そして、あなたはどんな人間なのか、それを考える術を教えるのです。
 なるほど世界とはそうなっているのかと、それぞれの頭に地図を作成させるのが教育の要諦です。
 そしてその世界のなかで自分はどんな人間なのか、それを教えるのが教育の“教”であり、それを育むのが、教育の“育”だと思います。

 もっと具体的なお話をしましょう。
 バブル景気が弾けるまでの戦後日本経済は、2度のオイルショックはあったものの持ち前の技術力でそれらを克服し、右肩上がりの成長を維持したのですが、バブルが弾けてからは、失われた10年ともいえる1990年代を迎えました。
 バブル崩壊後の日本の顕著な特徴として、グローバライゼーションの波に呑み込まれた観があり、日本独自のあらゆるシステムの瓦解が挙げられます。

 その結果、勉強をして、良い大学に進学し、大企業や官庁に入り、安泰の人生を送り、人生を全うするという、明治以来の日本が営々として築いてきた成功神話が消失してしまいました。
 けれど、人間は生きていかなければなりません。その際、職業に就かなければ、大抵の人は生きていくことが出来ないのです。

 『荘子』にあるように、天は人に命を授けますが、同時に職をも授けます。
 人は天から授けられた職がなんであるのか、天に問うことは出来ず、おのれで知る努力を積まなければなりません。
 それを知ったうえで、天からの特命を知ることがすなわち、
 「天命を知る」
 ということなのです。

 これを評して孔子は『論語』で、五十にして天命を知る、と述べたのです。
 もう一度いいますと、この場合の天命とは、人間の力をこえた運命という意味があります。

 このように、安穏な生活が保障されなくなった日本にいてなお、人は職業を選択する際、その人生を運命に委ねるのか、それとも自ら切り開くことを選ぶのか。

 ここにこそ、教育の真価が発揮されるのではないでしょうか。
 教育を英語では、educationといいますが、この言葉は、educeから来た言葉です。educeとは、潜在能力を引き出すと言う意味です。
 これこそ、教師が行わなければならないことなのではないでしょうか。
 教師は、生徒の潜在能力を見出し、それを引き出すことによって、その能力を開花させるという重要な役割を担っているのです。

 らん丈の大学への通学からは、話が逸れてしまったようです。
 2007年4月から、らん丈は、議会や委員会活動の合間を縫って大学院に通うのですが、そこで専攻するのは、人権論です。
 研究テーマは、「法令の先占理論」といって、法律と条例の関係について研究する予定です。

 2006年に御逝去なさった元一橋大学学長、歴史学者の阿部謹也さんは、その師、上原専禄教授に「それをやらなければ生きてゆけないようなテーマ」を選び、それを追求し続けるようにいわれたそうですが、そのテーマに法律と条例の関係を据えるつもりです。

 この稿の最後に、教育で最も留意すべきことに、ほめることを挙げます。
 これは、ピグマリオン効果として心理学でも認知されており、人は期待された通りに成果を出す傾向があるようです。
 『国家の品格』で話題の藤原正彦さんも、「ほめられた言葉は、挫折したときに思い出すと力になります。」とおっしゃっています。

一身にして二生

 早大の先輩で、ラグビーの日本代表監督を勤めた、宿沢広朗さんが昨年お亡くなりになられました。
享年は、幕を引くには余りにも早過ぎる、55歳でした。
宿沢さんはまた、三井住友銀行取締役であり、頭取候補の一人でもありました。
その宿沢さんに、ラグビーと銀行業務の両立を尋ねると、「両方とも好きなことだからね」と答えたそうです。
表題にした、「一身にして二生を経るが如し」とは、福澤諭吉の言葉です。
いずれも、議員となったぼくには、身に沁み入る言葉です。
現在の日常は、議員と落語家の「二身」を生きているので、まさしく、一身にして二生を生きているかのようで、身につまされます。
役者の松本幸四郎丈は、歌舞伎と外国劇を演じ分ける場合、生身を引き裂かれるような乖離に苛まれる、と言及しています。
ぼくの場合は明らかに、広沢先輩の言葉により大きな親近感を覚えます。
というよりも、落語も政治も言葉を媒介にして、その職を全うしているので、ぼくにとってはさほど大きな差異を感じていない、というのが実感です。
こんなことを書くと、議場での言葉を空疎だと批判する方がいらっしゃいます。
私は、実際に議場に入って、実感をもって受け留めたのは、そこで使われている言葉は、決して空疎なものではない、ということでした。
むしろ、その逆の感懐を抱きました。
これは、ぼくが早くも“政治の世界”に麻痺してしまった証拠でしょうか。
そんなことはないと、自負しているのですが。
日本の市民は、平成21年までに実施される裁判員制度によって、司法への参加が義務付けられたように、立法への参加も義務付けるべきだと、ぼくは思っています。
つまり、議員も、その何割かを立候補制ではなく、だれもが等しく「義務として」議員にならなければならないようにする、ということです。
そのようにすれば、確実に立法は、市民により身近なものとなることが出来ます。
これこそ、究極の民主主義だと思うのですが、さて、賛同者はどれほどいることでしょうか。
けれど、これこそが、真の民主主義の実践だと、ぼくは確信します。
日本人はいつの頃からか、政治を蔑むようになりましたから、その担い手となることには、裁判員以上の拒否反応を示す方がいらっしゃることは容易に予想できます。
これは、先ほど触れた、一身にして二生を経ている方を尊敬せず、むしろ、一芸をこつこつ掘り続ける方にこそ、敬意を覚えるという日本人の心性からすると、ぼくなぞは、さながらどっちつかずの半端者、というのがごく普通の方々が覚える感情なのかもしれません。