一九八〇年代末までの日本は、「経済一流、政治三流」と言われていた、といっても今の若者はにわかにはその事実を信じることは出来ないのではないでしょうか。
たしかに、日本の政治は世界的に見て劣悪ではあるけれど、それを補って余りある経済の活力があり、付け加えるならば、優秀なシンクタンクとしての霞が関官僚群が政治の実質を担い、政治家はお飾りに過ぎなかったから、それでも何とか日本は一流国でいられた、というのが冒頭の掲句の根拠となる言説でした。
つまり、日本のベスト&ブライテスト(=知的エリート)は中央官僚を目指し、そのパスポートを手に入れるために東大法学部へ入学する、これが学歴社会日本において、ピラミッドの頂点に位置する東大文?の役割でした。
明治政府が薩長土肥以外の門閥から、優秀な人材を広く登庸するシステムとして作った東大はその期待に応え、国立ならではの安価な授業料ゆえ入学生の出身階層を選ぶことなく、他大学に抜きん出て優れた教授陣、国立大学の中でも集中的に予算を配分することによって最高の施設を整えることで、戦前戦後を通じて優秀な人材を常に提供し続けてきたのでした。
その官僚は、各省庁におけるトップである事務次官を勤めると、与党である自民党から参議院(稀に衆議院)への立候補を要請され、出身官庁の関連団体の応援のもと、めでたく議席を獲得した暁には、応援してくれた団体に、議席のある限り奉仕するというのが、日本の政治と官僚の関係の一端でした。
たしかに、日本が先進国へキャッチアップ(追いつく)することが至上命題とされていた段階では、官僚は先進国をモデルとして有効な政策を提示することが出来ていました。
ところが一九八七年、バブル経済が膨らんだとき、日本はついに一人当たりGDP競争で、米国を抜き去り世界一の座へと躍り出、キャッチアップは達成されたのです。
すると困ったことに、政治家はもちろんのこと官僚も、目指すべき日本のグランドデザインを描くことが出来なくなってしまったのです。先行するモデルがあるときには、つまり試験問題があるときには有効な解答を作成できても、自ら試験問題を作り、それに解答を作る段になると、それまで延々と試験への解答によってその能力を測られ登庸された官僚には、問題自体をつくる能力に恵まれていた者が、余りに少なかったのでした。
キャッチアップを果たし、目標を喪失したことによって虚脱感に襲われたことが、二〇世紀末から今世紀にかけての日本の閉塞感を説明できる、最大の理由なのではないでしょうか。
日本は一旦は経済力において世界一になったものの、その後バブル経済がはじけたあと、急速にその自信を失い、いまや急成長を遂げる中国に怯え、偏狭なナショナリズムの萌芽も見られます。そのために日本政府は、その必要のないセーフガード(緊急輸入制限)を暫定発動したのでしょう。
では、これからの日本は何を目指すべきでしょうか。少なくとも従前のように、工業製品の主要生産国という位置付けは、安価で良質な労働力を豊富に有する中国が急進する今日の情勢を考えれば、有り得ない選択でしょう。
他をもって代えがたいオンリーワンを目指すのが、最もまっとうな方法ではないでしょうか。たとえば、世界をリードするデザイナーや音楽家を擁する芸術立国。つまり、川久保玲、山本耀司や小沢征爾を陸続と輩出させるのです。デザインや音楽を楽しむのならば日本人に限る、と世界中に認知させれば好いのです。
あるいは医学立国。病気にかかったら、日本の病院に行って治してもらおう、と世界中に思わせれば好いのです。そのため、優秀な医学生を世界中から集め、その学生には充実した奨学金を用意し、出身階層に関係なく学べる環境を整えるのです。その学生が、日本で学んだ医学を故国に持ち帰り、患者を治すのですから、これほどの国際親善はないでしょう。また、病人が多い日本を攻撃しようとする諸外国は、どれほどの非難を浴びることでしょう。つまり、日本は世界中から病人を引き受けるがために、武力を持たなくても他国は一切攻撃しようとしなくなるのです。
素敵なデザインの服がショウウィンドウにあふれ、美しい音が舞い、世界で最も優れた医療がある国、そんな国が実現するならばそこは、この世の楽園といっても好いのではないでしょうか。