1、タイとは
タイの正式国名は、英名Kingdom of Thailand、つまり、タイ王国です。
しかし、絶対君主制ではなく、立憲君主制をとっています。
立憲君主制になったのは、1932年の国軍を中心とした人民党によるクーデター(無血革命)が起こったことによります。
その結果、ときのラマ7世は1935年、人民党を嫌い、王妃を伴って英国にわたり退位を宣し、王位はラマ8世へと移行しました。
1939年には、それまでのサイアーム(シャム)から、タイへと国名を改め、近代国家へとその歩みを始めました。
ちなみに、タイとは、自由の国という意味です。
2、国旗と黄色い旗
タイに行くと、至るところで、国旗と黄色の旗を目にすることになります。そして、それは多くの場合、並んで掲げられています。
国旗は、中央に紺色の太い横線が引かれ、その上下を白線が囲み、その外側を赤線が走っています。
紺色は王室、白色は宗教(仏教;タイ人の9割が仏教徒で、残り1割のうち、キリスト教徒とイスラム教徒が半々を占める)、赤色は王室と仏教を擁護する国民の熱意を表しています。
国旗と並んではためく黄色い旗は、王室をあらわしています。
じじつ、現国王プミポン・アドゥンヤデート(ラマ9世)に対する国民の敬意には並々ならぬものがあり、タイの政治家には利権が絡んだスキャンダルが多く、政治的リーダーシップを発揮し、国民を統合できる人材がいないこともあり、国民の心をまとめる担い手は、国王にのみ存するのが、タイの特徴です。
プミポン国王は、1946年6月9日、ラマ8世だった兄アーナンタマヒドン王が、宮廷内で銃弾により死亡した後を襲ってすぐに、19歳で即位しました。
正式に即位したのはスイスへの留学から帰国した1950年になりますが、以来半世紀以上にわたって、仏教の十王道の実践者という側面も含めて現チャクリ王朝では最長の在位期間を続けています。
3、2006年9月19日の無血軍事クーデター
2006年8月には、陸軍幹部による首相暗殺未遂事件が発覚。このころから、軍内部では首相派と反首相派との間に勢力が分かれていることも同時に発覚しました。
それ以前に、タクシン・チナワット首相の親族による、株式インサイダー取引疑惑が2006年1月に発覚し、一挙に政治不信が国民の間で増大していました。
また、タクシンは就任当時から汚職の疑いが多数もたれてもいました。
このため、タクシン政権は人民代表院(下院)を解散し再選挙を行うという手を打ったものの、主要野党が出馬をボイコットしたため、憲法裁判所が選挙無効を宣言しました。
下院総選挙後にタクシン首相は退陣する意向を示しましたが、そののち公務に復帰し、国民から反発を買いました。
反首相派は、国王に全幅の忠誠を誓ったうえで、タクシン首相が離タイしたのに乗じ、2006年9月19日に軍事クーデターを決行しました。
この時、タクシン首相はアメリカ・ニューヨークの国連本部で開かれていた国連総会に出席するため同地に滞在しており、首相の不在を狙った計画的クーデターとの観測が流れています。
4、タイ政権不安定に
昨年軍事クーデターにより発足したタイの現政権が、年末にバンコクで起こった連続爆弾テロを機に、窮地に陥っています。
それは、現政権が報道規制を布き、前首相の言動を一切報じないことを求めたり、タクシン前首相と友好関係にある警察関係者がいることによる治安当局内の対立も表面化したためです。
その結果、タクシン前首相ときわめて関係が良好であった、コウィット警察庁長官を2月5日、スラユット首相は更迭しました。
これは、昨年末にバンコクで起きた連続爆弾テロへの対処の不手際を理由としているものの、タクシン前首相は警察官僚出身であったために、親タクシン派が多い警察を牽制する狙いあるとみられています。
こうして、治安を担う軍と警察との亀裂はさらに広がり、政局は不安定さを増しそうです。
5、タイ旅行
今回のタイ旅行は、H.I.S.のコース旅行〈スタンダード〉にしました。
理由は、安いからです。〈スタンダードクラス〉の場合、53,800円でした。
いうまでもなく、旅費等全額私費にて賄いました。
利用ホテルは、トンタラリバーヴューホテル。御蔭で、最寄りのサパーン・タークシン駅(BTS)から、2km以上離れているために、毎度タクシーのご厄介になりました。
利用航空会社は、キャセイパシフィック航空で、安いエアチケットのために、香港経由でした。
到着したのは、開港して4ヶ月しか経っていないスワンナプーム空港。この空港は、ドン・ムアン空港に代わって、運用しているものの、42年の歳月をかけてつくったにもかかわらず、現地のバンコク・ポストの1月31日付記事によれば、滑走路と誘導路にひび割れがあり、その補修作業行われていた、とのことです。
それをタイ空港会社(AoT)の委員会が中断させ、原因調査を優先させるとのことでした。
ただ、タクシン前首相は、スワンナプーム空港問題の責任を否定し、空港問題と前首相を結びつけ、前首相とその政府の信用を傷つけようとする政治的利益に利用されていると、タクシン氏の弁護士は話しているます。
たしかに、これは現政権による、タクシン氏への誹謗中傷に類する行動ではないのか、というのが実際にスワンナプーム空港を使用した際に抱いた感想でした。
6、タイの民衆
タイといっても広いので、バンコクに限定しますと、昨年末に連続爆弾テロ事件が起こったものの、その影響は市民生活には全く現れていないように見受けられました。
つまり、あの事件は、現政権がタクシン前首相の一味がやったように見せかけたテロであって、市民に犠牲者を出すことを目的としたものではない、ということをみてとっているようです。
タイは、今回のものも含め、戦後18回もの軍事クーデターがあったものの、ピブーン、サリット、タノーム、サンヤー、プレーム、チャーチャイ、といった歴代内閣が、プミポン国王のもとで民主主義国家タイの舵取りを行ってきました。
金権政治に走り勝ちな政治家が出現すると、政治腐敗を一掃するために、軍がクーデターを起こして政権を交代させることは、市民の支持を得てきたことなので、今回のクーデターも、その直後には、市民の圧倒的な支持がありました。
それは、タクシンの金権政治に市民が嫌悪感を抱いていたことの証でもありました。
それが証拠に、昨年10月の政権発足直後には9割を超えた支持も、報道規制や治安当局の内部対立があり、現在48.5%にまで支持率は急減してしまいました。
そのために、今年10月に予定されている総選挙まで、現政権が持ちこたえられるのかどうか、それは予断を許さない状況にあるように見えました。