まとめの感想文「科学の発達と疎外される人間」 氏名:三遊亭らん丈
20世紀後半以降の科学の発達とそれに伴う医学の長足の進歩によって、多くの人類は長寿という果実を手に入れることができるようになりました。
このことは改めていうまでもなく、たいへん素晴らしいことなのですが、その結果、それまでの人類が経験したことのない難問にも直面させられることになったのです。
それは、さまざまな形態をとってわれわれに問いかけてきます。
たとえば、出生前診断の是非、臓器移植とそれに付随する臓器不足、安楽死とペイン・コントロール、クローンES細胞、認知症とそれへの対応、終末期医療等々。
これらの難問に対して、われわれは正解を果たして持つことができるのだろうか、という諦念をともすれば抱いてしまいそうになるところを、本講座を受講することによって、かろうじて回避できた思いがしたものです。
たとえば、市野川容孝(東大)准教授の講義では、生と死の自己決定権の危うさについて、考えさせられました。
そこでぼくは初めて、パレンスパトリエparens patriaeという概念を知るところとなったのです。
つまりそれは、家族よりも共同体が、共同体よりも本人自身が最終決定権を行使できる権利を保有している、というものです。
それゆえ、今日の脱工業化社会下の日本に顕著な、個人の共同体への帰属意識の稀薄化は、この概念の普及によって変化がもたらされるのではないかと思わされもしたものです。
ここにこそ、近代以降の人類にとっては宿題ともなっている、果たして人類は、自由と公共の秩序の整合的両立は可能であろうか、という問いへのひとつの有効な回答が用意されていると思うのです。
殊に、少子高齢社会となった今日の日本では、労働に適しているとされる年齢に比して、それ以降の年齢が極めて長いのですから、それに対応するためには、その期間を健康に過ごせたほうが、何よりも本人にとって大事なこととなってきます。
そのためには、このような講座は末永く続けていただきたいと切に願う次第です。