小稿は、2009年12月に発行された、『市民必携@議会のトリセツ』(まちだ市民情報センター)に寄稿した、「日本国憲法とルソー」を転載したものです。この場合のルソーとは、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712-1778)を指します。
コラム 「日本国憲法とルソー」
日本国憲法は、大日本帝国憲法では記述されなかった、地方自治に関して、第8章を設けてそれを記しています。
第8章92条でそれは、つぎのように記されています。「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」
ここでいう、「地方自治の本旨」には、住民自治と団体自治の二つの要素があることは、広く知られているとおりです。
住民自治とは、地方自治が住民の意思に基づいて行われるという民主主義的要素ですし、団体自治とは、地方自治が国から独立した団体に委ねられ、団体自らの意思と責任の下でなされるという自由主義的・地方分権的要素です。
それに関しては、94条につぎのように記されています。「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」
したがいまして、地方議会を諮問機関としたりすることは、「地方自治の本旨」に反する措置として違憲となることを、芦部信喜(東大)名誉教授が『憲法』(岩波書店)において、指摘しているとおりです。
つまり、「地方自治の本旨」のうえからも、地方議会の重要度はきわめて高いのです。
このように地方自治上、重要なる議会において最も枢要な行為である表決の際、その判断基準をどこに求めるのかは、議員各人により異なるでしょうが、わたしの場合それは、「一般意志」によります。
「一般意志」とは、ルソーが『社会契約論』で紡いだ概念ですが、それを噛み砕くと次に記すようになります。
「社会の一般意志は、ルソーの思想に由来するが、これは個人の私的な意志でないばかりでなく、各人の意志の総和である「全体意志」でもない。社会の構成員の個別意志を超越した普遍的な社会が実体として存在することを前提にし、この普遍的な社会がもつところの意志が、「一般意志」である」(田村正勝『新時代の社会哲学』早稲田大学出版部)ということであり、わたしはこの「一般意志」に基づいて表決の際、意思表示を行っているところでございます。