さる二月二十四日投開票された町田市議会議員選挙に立候補しての感想は、「あぁ、面白かった」の、一語に尽きます。よく、「芸人は三日やったらやめられない」、と云われますし、ぼくも芸人の端くれとして実感を以てそれに首肯するものですが、選挙に初めて立候補して思うのは、本人はともかく、傍からは落選間違いないと思われた選挙を戦ってあれほど楽しかったのですから、勝てる選挙ならば、さて、どれほどの愉悦をもたらすものか、想像しただけでもワクワクしてしまうのを、もはや禁ずることはできません。
傍からは落選間違いないと思われた選挙でしたが、獲得票数二千十六票で四十位、定数は前回まで四十だったのですが、今回からは一割削減され三十六となったため、予想通り落選しました。
「なんのバックもないのに、よく出るよ」と世間様に思われた選挙に、なぜ立候補したのか、と問われれば、投票用紙に書きたい名前が自分以外に一人としていなかったから、としか答えようがありません。
一月二十四日まで大学の学年末試験があり忙しかったことを云い訳にするつもりは毛頭ありませんが、何しろ後援会会員を二百人しか集められなかったのですから、立候補することじたい、無謀なことでした。
普通は、最低当選票数の二〜三倍の後援会会員を集めてから、立候補するものなのです。前回の最低当選票が千九百余票でしたから、定数減により最低当選ラインが上がるものとして、五千人程度の名簿を持っていないことには、お話にならなかったのです。それがたったの二百人ですから、立候補は暴挙以外の何物でもありませんでした。それなのにも拘わらず、二千人以上の方が”三遊亭らん丈”と記名してくださったのですから、これにはただただ感謝申し上げるほかに公職選挙法上なす術がないことが、歯がゆいばかりです。
さて、では選挙のどこがそれほど「面白かった」のでしょうか。余人はいざ知らず、ぼくの場合、公衆の面前で大っぴらに誰はばかることなく大音声によって自分の政策を訴えられたことが、何よりの快感でした。何千人という聴衆を前に、町田市政府を口を極めて罵ったときの快感は、文字通り筆舌に尽くしがたい快楽をもたらしてくれました。
そこで読者諸賢に申し上げたい。戦後の日本人はよってたかって政治家を馬鹿にし、またそう思われても仕方のない政治家しか、われわれ有権者は選んできませんでした。ただし、その付けは他ならぬわれわれ自身が払わなくてはならないのです。ならば政治に不平をぶつけるほどの元気と関心があるのならば、立候補なさればよろしいのではないでしょうか。つい十年前までの日本は、経済一流政治は三流と云われておりましたが、経済はごらんの通りの惨状で、一朝一夕には回復することはないでしょう。けれど、政治は有権者によっていかようにでも変えられます。落語家だけに落ちて政治の重要さが身に沁みました。