今月号の『本』(講談社)という雑誌に、笑福亭鶴瓶師匠が寿司屋で隣り合わせた医師に、いきなり人情噺を三十分以上も語り、その医師を泣かせた話が載っていました。
どんな理由から、寿司屋のおそらくカウンターで鶴瓶師匠がその医師に古典落語を語ったのかは、その文面では読み取れなかったので、それを知りたくその医師が書いた『がんで死ぬのはもったいない』(講談社現代新書)を読んだところ、著者平岩正樹医師によって、がん治療に関する様々な蒙を開かれたため、ここにそれを記します。ただ、鶴瓶師が平岩医師一人に寿司屋で落語を演じた理由は、結局どこにも書いてありませんでしたが。
日本では年間百万人が死亡しており、このうち三十万人が癌によるものだそうで、なかで胃癌と肝臓癌は「日本病」と言われるほど日本に多い癌とのことです。ちなみに、弟が昨年亡くなったのも肝臓癌によるものでした。
驚かされたのは、”日本の癌治療は「手術は一流だが、抗癌剤治療はなし」”という記述でした。平岩医師は外科医であるのにもかかわらず、これに敢然と挑戦し、”工夫をすれば、日常生活の邪魔をしない抗癌剤治療は可能だと私は訴えたし、それを日々の診療で実践している”というのです。ではなぜ抗癌剤治療を施すのか。それは、手術で治る癌患者は半数しかいないからなのだそうです。けれど、日本ではこの抗癌剤の評判が極めて悪い。
「効かない、副作用が強い」という悪評がたっていますが、それはいきなり基準量いっぱいの抗癌剤を患者に投与するから。だから、中には強烈な副作用が出る人も生じる、のだそうです。したがって、癌治療に批判的な慶応大学医学部の放射線科医近藤誠さんが『文藝春秋』二〇〇一年九月号に”つぎからつぎへと新たな抗がん剤が提示され、患者は懊悩しながらもそれをうけ、副作用に苦しみ、死ぬまで気持ちと身体がやすまる暇がない、という状況になっています。抗がん剤治療を最期までやっていた場合の死因は、まず間違いなく副作用死であるはずです”との批判には、真っ向から反論するのです。そもそも近藤氏の主張は、「どうせ癌は治らない。どうせ死ぬのだから、恐ろしい手術や辛い抗癌剤治療など無駄だ」という主張で貫かれています。このどうせ死ぬという考えは、医学とは反対の立場にあります。そもそも人間は百パーセント死ぬのです。けれど医学は、患者に少しでも長く健康に暮らせる状態を供するために努力する学問のはずですから、平岩医師はこう云う。”患者がまだ諦めていないのに、医者が先に諦めてはならないと思っている”と。
先に触れたように、弟を三十八歳にして昨年、肝臓癌で亡くした遺族として、死なせただけに癌治療では、大いに悔悟の思いがあり、この平岩先生に診察して頂きたかったとの思いを今も拭い去ることはできないのです。