この連載ではここのところ、追悼文をずいぶんと書いてきましたので、今回の朗報はとりわけ嬉しく、パソコンのキーボードを打つ指は軽く、弾む気がする、というのはまったく誇張ではないのです。
というのも、「民俗芸能を守る会」の事務を一手に束ね、また、この会報の実質的な発行人として、同会の発足から余人をもって代えがたい職掌を担ってきた茨木さんが、めでたくご恢復を果たされたからなのです。
ご子息から頂いた手紙によれば、さる四月十三日に、くも膜下出血のために茨木さんは都知事選挙投票の帰途に倒れ、一時は意識が失われた、とのことでしたが、その後、驚異的な復活を遂げられ、意識は本復し、リハビリに励んだおかげで、いまやご自宅で療養されるまでに、お元気におなりになったというのです。
茨木さんに初めてお会いしたのは、ぼくが師匠のもとに入門した昭和五十六年のことですから、今を去ること二十二年も前のことになります。そろそろ卒寿を迎えられるとのことですから、当時でも六十代の後半だったわけです。
今回、この会報を再開するにあたり、林家正雀師匠からお電話を頂き、茨木さんの近況を伺い、あらためてこちらから茨木さんに電話をかけると、受話器からは二十二年前と寸分も変わらぬ声が聞こえてきたのでした。
正雀師が「前より声が若返った」というように、その声は、とても病後とは思えないほどに、しっかりとしたものだったのでした。
うちの師匠が、林家彦六師匠の矍鑠ぶりを高座で、「死ぬの忘れたんじゃないか」と評したように、正しく死神も尻尾をまくほどの、お元気な声を聞くことが出来たのでした。
茨木さんとお会いするにつけつくづく思うのは、人は年齢を重ねるほどに、個人差が顕著になるということです。
若いときにももちろん人によって様々に異なってはいますが、たとえば、生死相分かれているほどに違いがあるわけではありません。
かたや、茨木さんのように、目出度く卒寿を迎えようとする方がいらっしゃる。日本人の平均余命を持ち出すまでもなく、人が九十年間も生きるというそのことだけでも、賛仰に値するのに、その働きにおいて、まったく老いを感じさせない茨木さんのような方を、実際に眼にすると、人間年を取るのもあながち悪いことばかりでもないと、思わせてくれる、これは貴重なことです。
もう一つ。これはなんら根拠のない、単なる思い込みに過ぎないとは思うのですが、長命の方は、ぼくの周りを見渡したところ、そのほとんどがいわゆる「おしゃべり」なのです。好奇心にその大本があるとぼくは睨んでいますが。そして、茨木さんこそ、まさにおしゃべり好きなんですね。長生きしまっせぇ。