林家こん平師匠のネタではありませんが、寄席の客席は、芝居や歌謡ショウとは違って明るくするために、演者からはお客様の表情がとてもよく分かるのです。
というよりも、お客様の表情を見ながら高座を勤められるようにとの配慮から、客席を明るくしているのです。
ですから、お客様がこちらの咄に惹きつけられているかどうかは、いやがうえにも分かってしまいます。これは、眼の見えない噺家であろうと、事情は変わらないと、思いますよ。自分の咄をお客様が喜んで受け入れてくださっているかどうかは、たとえ目が見えなかろうと、高座の演者には、肌で分かるのに違いないからです。
ただ、客席が明るいというのは、お客様にその咄が受けているときには、演者とお客様の双方に相乗効果をもたらしますが、逆に、ケラれているときには、悲惨なことになります。あれこそ地獄ですね。お互いに。噺家は、「こんなネタやるんじゃなかった」、お客様は「こんなとこ来るんじゃなかった」と。
F1レーサーは、あれほど早い速度で走っていても目は、コース上をあるく虫をとらえることができ(るそうです。ほんとかね)、野球選手は五万人の観衆のなかから、知り合いを見つけだすことができるそうです(ベンチから探してんじゃないの?)から、驚くには当たらないのかもしれませんが、高座から、明るい客席をひとわたり見渡すと、だいたいどこにどなたが座っているのか、分かるものだそうです。だそうです、と書いたのは、ぼくの場合、客席の一番前の方は、どうしても見落とす傾向があるので、そう書いたのです。
それでもたしかに、寄席はさほど広くはありませんから、これはぼくでも実感として分かります。
ただ、面白いのは、今年から落語協会事務所二階で始めた「黒門亭」のように、狭い客席の場合は、目が合うと視線を逸らすお客様がいらっしゃいますが、これも分かりますね。ぼくだって、むくつけき男にねっとりとした視線で見つめられたら、あわてて目を逸らしますもん。「おっと、合っちゃった」てなもんです。
ところが、中には、剛の者がいるもんでして、千人単位でも、しっかりとお客様を認識することができる、柳家喬太郎さんのような噺家もいるのです。「ほんとに分かるの」とぼくが訊くと「髪型だとか、シルエットだとか特徴のある方なら判ります」と、ご本人が言うのですから、満更誇張でもありますまい。
またこれは、喬太郎さんのお客様からも、確認が取れてますから、本当なのでしょう。
それにしても、お客様は、嬉しいでしょうね。「千人の中から、私を見つけてくれた」となれば、客冥利に尽きるというものです。
ぼくも老眼になれば、見つけられるかしら。