落語家になって、さまざまな芸人を、楽屋という芸人のある種素顔に近い面を見せるところで見て驚いたことのひとつに、高座からは決して想像できない、(人様に楽しんでいただくのが仕事なのですから、当然のことではありますが、それにしても)屈託を抱えた人がいかに多いかということでした。
もちろん高座そのままに、普段でも陽気な芸人がいないとは言いませんが、それは、数としてはむしろ少なかったのでした。
ですから、その芸人が楽屋入りすると、それまで湿っていた楽屋の雰囲気をがらりと明るくする先輩は、前座にとってはかけがえのない、拝みたくなるほどありがたい存在なのでした。
なぜならば、明るい楽屋の方が、前座としてはずっと働きやすくなるからなのです。
ぼくが前座のころ、楽屋を明るくする芸人の筆頭格だったのが、さきごろ六十二歳という脂の乗り切ったお年でお亡くなりになった、三遊亭歌奴師匠、そのひとでした。
客席から見ていた歌奴師匠の印象は、快活そのものといったものでしたが、それと寸分違わぬどころか、「おわん」といってお入りになると、パッと楽屋を明るくする歌奴師匠は、まさに芸人だなぁと、感歎とともに羨望の思いを多くの前座に抱かせたのでした。
いまから思えば歌奴師匠は、楽屋も高座も分け隔てなく勤めていたのでしょう。それはあたかも自分に与えられた責務の如くに。
ことに、御身体の御具合を悪くされてからは、せめて高座に上がる前ぐらいは楽屋で身体をゆっくりと休めたかったでしょうに、そのそぶりも見せずに、仲間や前座を笑わせた、そのうえで、高座でも満場から笑いをとっていたのですから、芸人の鑑を見る思いがしたものでした。
特に印象に残っている歌奴師匠の高座は、先の池袋演芸場のお客様がごく薄い(=少ない)ときのものです。たとえ薄くても、そのお客様が聞いて下さるのでしたら、芸人は一生懸命勤めるのですが、薄くて重いお客様ですと、投げてしまう芸人がいないとは限りません。そんなとき歌奴師匠は、板戸一枚裏の芸人に向けてギャグを放つことがありました。
それを、芸人の符丁で「遊ぶ」というのですが、「遊ぶ」のがお好きで、また天下一品の冴えを見せたのが歌奴師匠だったのでした。
前座は働きながら歌奴師匠の「遊び」で何度、「ニヤッ」と笑ったことでしょうか。中には楽屋の芸人が我慢できず大声で笑ってしまい、お客様はその楽屋から聞こえる笑い声が、どうして発せられたのか分からず、当惑しているのが、楽屋にも伝わり、それがまた、新たな笑いを呼ぶといったことも、一度や二度では済まなかったのでした。
お客様はもちろんのこと、芸人までもその高座で楽しませてくれた歌奴師匠に、合掌。