村上龍の『十三歳のハローワーク』という本が、爆発的に売れているそうです。五百十四種類におよぶ職業を紹介したこの本の定価は、なんと二千七百三十円という高価なものでありながら、それが文字通り、飛ぶように売れているというのですから、今さらながら、作者の村上龍と、出版元の幻冬舎の本つくりのうまさには、恐れ入ってしまいます。
このように、世の中には、実にさまざまな職種がありますが、さて、落語家です。それを特徴付ける要素は色々とありますが、欠かせないものに、「軽さ」があるといって好いでしょう。
ぼくがまだ二ツ目の頃、春風亭正朝師匠からいわれた言葉が、忘れられません。
「こないだ、家で有線放送をつけていたんだよ。べつにおれは見ていなかったんだけど、なんか軽い声が聞こえてきたんで、こりゃ噺家だと思って、画面を見たら、案の定、出てたよ」といって、ニヤリと笑いながらぼくを指差すのです。
たしかに、ぼくの声は軽いのですが、噺家は、ぼくに限らず、軽い声質の持ち主が多いですし、それに輪をかけて、話し方も実に、軽い。なおかつ、通常の方に較べれば、話し方も早いので、正朝兄さんでなくても、ぼくも、声を聞いただけで、「あれっ、これは噺家だぞ」とおもって、声の持ち主を見やると、まず、間違いなく仲間がそこにいることになります。
そこへいくと、(そもそも我々と較べてはいけないといわれればそれまでなのですが)、ごく一般の方々の話しかたのその、なんとまぁ、悠長なこと。じれったくて仕方ないのですよ、我々としては。
そこで、あらためて、ぼくは思うのです。これは、噺家という職業柄、素人さんの話し方がまどろっこしく感じられてしまうのか。それとも、そもそも噺家になろうという輩は皆、話し方が早く、軽いのか。
つまり、職業がそうさせるのか。それとも、もって生まれたものが、そうさせるのか、ということです。
まぁ、ありきたりの結論で恐れ入りますが、もともとのおしゃべり好きが、環境に揉まれるうちに、一層、その話術を進化させる、ということなのでしょう。
その噺家を、二十年以上も続けていると、まるで噺家らしくないぼくでさえも、素人さんの会合に出ると、もう、じれったくてじれったくて堪らなくなるときが、一再ならずありました。
高齢化社会となった日本では、至るところにご高齢の方々がいらっしゃるのですが、それがまた皆さん、妙に元気なもんですから、色んなところで、ご一緒する機会があります。
すると、もう、こちらはそれだけで覚悟を決めますね。「今日も忍耐力の涵養に努められて嬉しい」と。それも、内容があれば喜んで話を聞きましょう。ところがこれが例外なく、「何ともいやはや」という代物ばかりなのですよ。揃いも揃って。どうして素人さんは、あれほどつまらない話を延々と話す能力ばかり長けているのかと、恨めしくなるのです。嗚呼。