町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

「民族芸能」vol.117らん丈の、我ら落語家群像

2004.12.01(水)

 上方の落語界は知りませんが、こと東京に限れば今でも、前座、二ツ目、真打のそれぞれの違いは、画然と分かたれています。

 つまり、真打になった落語家は、“師匠”と呼ばれるわけです。

 これは、落語家に限りまして、例えば、講談の真打は、“先生”ですし、色物さんも同じように、先生とお呼びします。

 さて、世の中には不思議なことが多々あるもので、たとえば、議員を“先生”と呼ぶ場合があります。あれはいったい、いつからの呼び名なのでしょうか。

 そもそも、「先生といわれるほどのバカじゃなし」といわれるぐらいなので、「バカにするな」と怒鳴る議員がいらっしゃるのかと思えば、それは聞いたことがありません。

 ここで、思い出しました。ぼくは、昭和五十六年に入門し、翌年の二月から前座となったのですが、その当時まだ立川談志師匠は、落語協会にいらっしゃいました。

 落語協会をおやめになる直前、談志師匠がトリを取ったときです。ネタ帖に名前を書かずに、「大先生」と書けとおっしゃったのには、驚きました。

 これなぞは、談志師匠が国会議員を勤めなければ、そんなことはなかったのかとも思いますが、さて、どうでしょうか。

 尤も、「ノンキ節」を歌った石田一松は落語家ではないものの、寄席芸人として活躍後、戦後代議士となりましたし、現在のところ、北海道から三重県まで、現職の落語家議員がぼくの知る限り、三名います。つまり、落語家、芸人の議員はさほど珍しくないのです。

 その方々は、どのように呼ばれているのでしょうか。師匠なのか、それとも先生なのか、興味を引かれます。

 だいたいが、欧米では議員のことを、先生に類する敬称で呼ぶのでしょうか。

 ぼくは、寡聞にして聞いたことがありません。

 そればかりではありません。議会に立候補する方々は、実に奇妙な言葉遣いをなさる方が多い。たとえば、自らの主張を「お訴えする」のです。

 どうして自らの主張に敬語を付すのか、誠にもって奇妙なことです。

 あるいは、人を見れば、必ずといっていいほど、笑顔で近づき握手を求めるのも、よく分かりません。いったいに、議員ほど握手の好きな日本人はいないでしょう。

 そもそも出馬、これが分かりません。立候補でいいじゃないですか。どうして、自分を馬にたとえるのでしょうか。

 色々と疑問を並べましたが、それを解決する手段として、自らその世界に飛び込むというのも、一つの方法です。今月、三遊亭らん丈は、立候補を予定していますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。