町田市議会議員 会派「自由民主党」/(一社)落語協会 真打 三遊亭らん丈【公式ウェブサイト】

三遊亭 らん丈

らん丈の、我ら落語家群像 記事一覧らん丈の、我ら落語家群像

「民族芸能」vol.78

2001.09.01(土)

 去る八月二十八日、七十九歳にしてお亡くなりになった作家の山田風太郎さんは、人が次々に物故して逝くさまを、”怒濤の如く死んでいく”と形容したことがありました。

 本誌「民族芸能」にゆかり所縁の噺家も、正に”怒濤の如く”鬼籍に入る。例えば林家彦六師匠こそは、当会にとって欠かすことのできないその筆頭に挙げられる噺家でしたが、その高弟、橘家文蔵師匠が去る十日、心不全により六十二歳の天寿を全うされました。

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「民族芸能」vol.77

2001.08.01(水)

 林家三平師匠がおはこ十八番にしていた「源平盛衰記」にあるように”盛者は必衰”してしまうのが世のことわり理であり、人はそれを心待ちにし、盛者がいざ坂を転げ落ち始めると、それをみて手を叩いて喜ぶのが、古来、人と云うものの変わらぬ習いです。ですから、年末年始やお盆の雑誌休刊期前に出す週刊誌の合併号では、マスコミから消えた人の特集を組むのが恒例です。たとえば、今年のお盆前の合併号では「週刊文春」が”消えた女消された事件”を、「週刊新潮」では”人生「秋風烈日」の悲喜劇”を特集しています。

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「民族芸能」vol.76

2001.07.01(日)

 何しろ落語以外の職業に就いたことはないので、他の業界のことは疎いのですが、概して落語家はスポーツ観戦を好みます。

 その最たるものはプロレスでしょう。ぼくは師匠の代わりに一度だけ、故人となられたジャイアント馬場さんの試合を見に行ったことがあるだけですが、それこそプロレス観戦が三度の飯より好き、というフリークといってもよいファンは枚挙に暇がありません。噺家に会いたかったら、プロレス会場に行けば間違いなく誰かと会える、といわれるほどですし、楽屋には、誰かが置いていった東スポ=東京スポーツがいつもあります。

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「民族芸能」vol.75

2001.06.01(金)

 落語協会は毎月、池袋演芸場下席最終火曜日の夜席に「二ツ目勉強会」と銘打ち、各回五名の二ツ目が芸を競い合う落語会を、すでに百回以上にわたって開いています。すでに定着した落語会なので、何度か見たことがあるという読者の方もいらっしゃることでしょう。その方はご存知のように、後ろの席には落語協会幹部の師匠方が陣取り、出演者の芸に目を光らせ、終演後、ありがたいことにその師匠方から、芸の批評を頂戴できるのです。誉められれば天にも昇る思いを味わえ、自信がつきますし、拙いところを指摘されれば、そこを改め、ゆくゆくはその芸で一家をなすことができるかも知れないのですから、向上心あふれる二ツ目にとっては、ありがたい勉強会なのです。因みに今月は二十六日です。

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「民族芸能」vol.74

2001.05.01(火)

 ぼくは神の存在を信じてはいますが、時として神は、人の智恵では到底理解の及びようもない振る舞いをなさることがあります。

 たとえば、つい先だってお亡くなりになった六世中村歌右衛門丈やシアトルマリナーズのイチロー、ヤワラちゃんこと田村亮子等のスーパースターは、それぞれ歌舞伎と野球と柔道の神にめ愛でられし者との想いを抱きます。

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「民族芸能」vol.73

2001.04.01(日)

 その世界に入らないと分からない、特有の不文律というものがあります。ぼくは落語の世界しか知らないので、適切な例を出せないのが歯痒いのですが、敢えて一例を挙げれば、ぼくは”さん”づけで一向に構わないと思うのですが、議員同士がお互いを先生と呼び合うのも、傍からは奇異に感じる光景です。

 落語界の不文律の一々をここでつまびらかにはしませんが、勉強の仕方のみお知らせしましょう。それは、高座に尽きるのです。自他の高座を聴くしかありません。なぁんだ、当たり前じゃないかと、がっかりなさったかも知れませんが、これに優る勉強法をご存知の方には是非とものご教示を請いたいのです。

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「民族芸能」vol.72

2001.03.01(木)

「目病み女に風邪引き男」と云う。たしかに目を患っている女性は、その潤んだ目つきがあだっぽく見え、色香がいや増す。ちょいとした風邪を引いて、喉なんぞに白い布でも巻いてご覧なさい、その男っぷりはいやが上にも二〜三枚は上がる。まして、治りかけの風邪声はどうしても低くなるので、尚一層その声を魅力あるものに変えてしまう。

 斯くの如く、「目病み女に風邪引き男」は異性に好印象を与えるのですが、何につけ、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし、なのです。

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「民族芸能」vol.71

2001.02.01(木)

 時は受験シーズン真っ只中ですが、日本を最も代表する心情を、本居宣長は『源氏物語』の注釈書「玉の小櫛」でそれをどのような言葉で概念化したでしょうか、という問題が出れば、受験生は躊躇なく”物の哀れ”と答えるでしょう。西暦千年から二千年に至るミレニアムの日本人の核となる心の有り様を、”物の哀れ”以外の言葉で表すのは、これはなかなかの難問で、もちろんぼくの手には到底負えるものではありません。

 さて、ここでいきなり卑近なことを申しますと、ぼくが最もこの”物の哀れ”を感じるのは、旨くないものを食べたときなのですから、我ながら何ともいやはや情けないったらありゃしない。

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「民族芸能」vol.70

2001.01.01(月)

 まるで異なる人生を歩んでいた二人が、ある日劇的な邂逅を果たすことがあります。

 新年明けて早々の四日、その二人の落語家はあたかも示し合わせたかのように、TVに登場したのでした。

 ひとりは四代桂三木助師匠であり、もうひとりは上方の笑福亭小松師匠です。ご存知のように、前日不帰の客となった三木助師を、朝からどのワイドショウでもトップでセンセーショナルに報じていました。対して、四日午後九時十五分からNHKテレビ『にんげんドキュメント』で「いのちの独演会」と称して小松師の特集番組が放送されました。小松師は四年前に胃ガンが発見され、胃の全摘出手術を受けた後、体力の回復を待ち、日本を鹿児島から北海道まで踏破したのです。番組では、十三年振りとなる独演会に向けて稽古に励む姿を中心に描いていました。

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「民族芸能」vol.69

2000.12.01(金)

 我々が初めての仕事場へ行くとき、必ず持っていくものが、着物です。何をあたりまえのことを云い出すのかと、いぶか訝しんでいらっしゃることでしょう。けれど、今回触れたいのはその着物ではなく、着物を容れるカバンについてなのです。じゃあ初めからそう書けよ。御尤も、御尤も。
 そのカバンは、まさしく人それぞれです。

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